武満 徹のノヴェンバー・ステップスの分析 その2
概論 (続き)

この音楽が東洋、それも日本という伝統に目を向けた作品であることは疑いようもない。
1950年代の武満にとって日本の伝統的な音楽には否定的であった。が、しかし、弦楽のためのレクイエムなどの中にある東洋思想的な発想は、1958年に見た文楽によって伝統的な響き、世界観への強い関心となって現れる。
1961年にNHKから委嘱を受けて書かれたテレビ番組「日本の文様」の音楽で筑前琵琶と箏を使っている。
こうした経緯についてはピーター・バート著小野光子訳の「武満徹の音楽」(音楽之友社刊)に詳しく書かれているが、章立てで書かれているのに、時系列がゴチャゴチャしていて読みにくいのは困ったところである。
ぼんやり読んでいると、1969年のケージショックが1960年頃の出来事のような気になってしまう…(笑)。

さて本題である。
この作品は弦楽を左右両翼に配しその奥に同じく左右に分かれて打楽器群、中央に木管、その奥に金管セクションがおかれている。
指揮者の前にハープが二台、これまた左右に分かれて配されてこれがちょっと面白い点ではあるが、それは琵琶と尺八のソロと対応する重要な役割を担っていることへの配慮であると考えられる。
この編成と楽器の配置の空間のマネジメントへの関心もまた後の作品へと繋がるのであるが、私はそれ以上に雅楽の配置に似たものを感じるのである。そしてそれはこの曲が書かれる三十年以上前に、近衛秀麿が「越天楽」をオーケストレーションした時に使った方法でもあることも指摘しておきたい。
ちなみに武満が雅楽のフル編成のために書いた作品はただ一曲「秋庭歌一具」のただ一曲のみである。

曲は武満自身が語っている通り、序奏の後、11の段から成り立っており、それぞれの長さは様々である。最も長いのがカデンツァを除けば序奏の24小節である。ちなみにこの曲は全体で71小節から出来ている。

1. 序奏

24小節ある序奏では、西洋の伝統的な協奏曲の定石通りに、独奏楽器(尺八と琵琶)は出てこない。

序奏は4つの部分から出来ている。
第1部 1〜5
第2部 6〜14
第3部 14〜20
第4部 21〜24

冒頭から明白なのは、装飾的に動く群と、ロング・トーンを中心とした群の対立した楽想が左右の二つのオーケストラ群から聞こえて来ることである。
そしてそこから次のような音の流れがまず浮かび上がって来る。
c0042908_9502093.jpg

これは、尺八と琵琶の音楽をオーケストラに拡大して行っているものである。
1st Groupの6人のバイオリン奏者による最初のコブシの効いた動機、続いて分散和音の憧れに満ちた第2の動機が2nd Groupの6人のバイオリン奏者によって演奏され、続いて1st Groupのヴィオラによってロングトーンの動機が奏でられる。
ここに省略して書いた他の音も入れて書くとこうなる。
c0042908_10245658.jpg

装飾的な細かな音は、琵琶の合いの手のような役割を果たし、ロングトーンは尺八の役割である。
響きは希薄な調性感ではあるけれど、合成音階によるモード技法をベースとして11や13の和音を使用して書かれていることがわかる。というよりも、かなり全音階的であることは聴感上も理解していただけるのではないだろうか?
第2部はこの変奏で、テンポが大きく落とされる。主に最初の動機と第3の動機がここでの変奏、あるいは展開の対照となっている。
テンポは、元々が極めて遅いテンポなので、変化による大きな対比は生まれない。テンポ変化による対比というよりも楽想のテンポ、色づけと考えるのが順当であろう。
左右のヴィオラ群にチェロのフラジオを伴ってテーマが出現する。ロングトーンとフィルの関係は同じである。
c0042908_11474069.jpg

第3部で、管楽器が登場するが、それについてはまた今度…。なかなか前に進まない。書きたいことがこの曲については多すぎる。
by Schweizer_Musik | 2008-11-07 09:38 | 授業のための覚え書き
<< 武満 徹のノヴェンバー・ステッ... 武満 徹のノヴェンバー・ステッ... >>