武満 徹のノヴェンバー・ステップスの分析 その5
c0042908_21565768.jpg7の段では弦楽に最も高い音からポルタメントで下降せよという、ペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」で見かけた音から始まるが、ペンデレツキとは全く異なる音調で、どこか、調性を保った響きを持っていることが特徴だ。
また、ここではまだ、微分音で半音の間を埋めるというところまではなく、D-Es-E-F-Fis-G-Gisという半音のクラスターに対し、A-C-Bというダイアトニックの響きが離れて鳴っている。もちろんこれを密集で響かせればそのままクラスターとして重厚な響きとなるのだが、配置をこうすることでダイアトニックな響きに包まれてクラスターが鳴り響くこととなる。
この上に尺八の微分音(伝統的な奏法による)のロングトーンが重なり、東西の響きがそのまま統合されることなく提示されるのである。
この、東西の様式、響きの相違をこの曲ではかつての近衛秀麿や山田耕筰などが試みた統合、あるいは融和を否定し、敢えてそのまま提示し、対立させることにこそこの作品のユニークな方法論なのである。
この後、コンバスの超高音の延ばしと十六分休符のフェルマータの後、 木管のベルトーンに弦が短い打撃音で合いの手を入れると、序奏冒頭の動機(あるいは主題)を弦を主体としたオーケストラが変奏する。
ハープや打楽器が、琵琶の役割を果たし、弦楽が尺八の役割を果たしているが、ハーモナイズは上の特徴を拡大していることと、序奏でも聞かれたハーモニクスで背景を作り出している。
尺八が再びトリルで割り込んでくるところでこの段を終える。

8の段は尺八と弦、そして二台のハープで演奏される。弦のピチカートとハープは琵琶の合いの手を連想させる。更にバルトーク・ピチカートは琵琶の典型的な奏法であるハタキを想像させる。
微分音は、第2群の弦楽の一小節目のチェロの1に人工的ハーモニクスによるピチカート音と、2小節目から3小節目にかけて第2群の弦楽のヴァイオリンの4と7にその指定があるが、他は極めてダイアトニック的な響きを保っているが特徴である。
この段はこの作品の中でも最も調性的な響きに傾いている。
そして大きなフェルマータにKeep silenceと書かれたゲネラルパウゼに引き続き、琵琶のソロが始まると9の段である。
これにオーケストラのハープと打楽器という減衰音系、即ち琵琶の役割を果たしてきた楽器が絡んでいく。
そして尺八が入り、弦がロング・トーンでその背景を作るのだが、この二人のソロの後、第1群と第2群のヴィオラに微分音を使用したペンデレツキ風のクラスターが出現する。
クラスターにダイアトニック・スケールによる開離位置の響きを加えている、あるいは、この開離によるダイアトニックな響きにクラスターがスーパーインポーズ(ピーター・バート著「武満 徹の音楽」参照)されることによって、これが極めて効果的な東西の響きの対比をもたらしている。
そして、この作品の最大の聞き所であるカデンツァに入る。

カデンツァは示唆に飛んだ図形楽譜であり、音高が示されていないだけで、奏法やリズムなどかなりの部分が的確に書き込まれている。
私は奏者が横山勝也氏と鶴田錦史氏によるものしか知らないので、これで慣れてしまっているが、二人での演奏が不可能となった現在、その弟子による新たな解釈も広まりつつあるようだ。

カデンツァが10の段であり、その後のオーケストラとソリストたちによる部分が11の段ということになる。
11の段はソロを伴った序奏の逆回転バージョンと言うべきではないだろうか?序奏部分をここに後ろからはじめたような、シンメトリカルな構成をここに私は聞くのである。
そして曲は断ち切られたように突然終わる。
尺八のソロに対して、オーケストラには大きなフェルマータにKeep silenceの文字がある。時間の流れのある部分をあたかも切り取ったかのような幕切れである。
by Schweizer_Musik | 2008-11-12 21:57 | 授業のための覚え書き
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