マズアのチャイコフスキーの交響曲第5番
作曲者 : TCHAIKOVSKY, Pyotr Il'yich 1840-1893 露
曲名  : 交響曲 第5番 ホ短調 Op.64 (1888)
演奏者 : クルト・マズア指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
CD番号 : WARNER/25646-14322

昨日は、来年五月のコンサートの打ち合わせと称した飲み会で、いつもお世話になっているyurikamomeさんと遅くまでご一緒させていただいた。
散々飲んだけれど、四時間もよく飲んで話したものだ。大体アルコールは口を滑らかにするらしい。記憶が飛ぶほど飲んでいないというか時間をかけて飲んだので大丈夫だったけれど、いつもの「やじろべえ」での食事とお酒は最高だった。安いし…。来年のコンサートについて、ロクに決まらなかったけれど「打ち上げ」だけはこのやじろべえということで決定した。yurikamomeさん、昨日はお世話になりました!!

さて、長い前置きはこのくらいにして、その飲み会でも話したことだけれど、私はクルト・マズアをロクに聞かないで来てしまったことを大変後悔している。
いや実に良い演奏だ!!この曲は私は結構好きで、ベルナルト・ハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による決定盤を持っているのだけれど、それを脅かすのはこのクルト・マズアだとは知らなかった。1980年代にすでに売っていた録音なのだから、全く私の不明である。
第1楽章から緩急自在のテンポと深いブレスでぐいぐい聞く者を惹きつけて止まない。この楽章をこれほど暗く、絶望と憧れに満ちた音楽として提示したのは、ベルナルト・ハイティンク以来だ。
そして第2楽章。これはハイティンクの方が一枚上手だ。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の最強の弦の美しさはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団にはない。冒頭の低弦のハーモニーの美しさとホルンの美しいメロディーが始まっても存在感満点のコンセルトヘボウ管に対してゲヴァントハウス管はやや弱く、弦の存在感が希薄なのだ。ここには石田もクレバースもオロフもいないのは明白である。
しかし、音楽のとらえ方の大きさは大変なもので、この演奏が競合するとしたらカラヤンとベルリン・フィルの録音ではないだろうか?
テンポはかなり大きく動かされるが、恣意的と感じるところは全くなかった。
第3楽章のチャーミングなワルツは、繊細な表情つけ、普段あまり聞こえないちょっとした隠し味の合いの手もサラリと強調して聞かせるなど、なかなかの芸達者なところもあり、マズアが豪壮な一本調子な指揮者とは正反対であることを示している。
終楽章は抑え気味にはじまり、じわじわと迫るように盛り上がっていく。1987年の録音である。ベルリンの壁はまだ健在だった時代のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は、往年の能力をまだ温存していたと考えて良い。
また新しいゲヴァントハウス・ホールの響きもまずまずだと言ってよいだろう。
ただ、ここでの盛り上がりはハイティンクにやや押され気味で、あの大名演にまだ若干の優位が存在していると私は思う。テンポを大胆に動かすところで、やや不自然さがこの楽章では若干残っている。第1楽章の圧倒的な感銘に対してあと一歩。
しかし、これが千円を切る料金でダウンロードできるのだから、安い!!商品価値は高いと私は思う。
by Schweizer_Musik | 2008-12-16 09:51 | CD試聴記
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