ミーク作品集 ****(推薦)
イェックリンから出ているミークの作品集を紹介する。ミークは1906年にスイスのチューリッヒの近くのレンツブルクという町に生まれた作曲家で、1990年に亡くなった。戦後になって活動を本格化させた晩成型の作曲家であったとは思うが、残念ながら資料があまりに少なすぎるので、思い切ったことを言うことはできない。
いずれにせよ、晩年にいたるまで筆を折ることはなく、1986年に書かれたチェロ・ソナタなど、枯れるということとはおよそ無縁の作曲家だった。
作風は擬バロック調というか、完全に調性の範囲で書かれていて、大変聞きやすい反面、展開の方法、フレーズの作り方などに独特の味わいがある。
このCDではそうした彼の作風を味わうにはうってつけだと思う。また歌曲も多く残しているようだが、平易な作風の歌曲は、新民謡とでも言ってよいだろう。 これをどう評価するかで、この作曲家の位置づけが変わってくるのだろう。彼の作品で使われる平易な三和音を、アカデミックで古くさいと言うのは簡単だ。だから独特の味わいがないというのは、聞く耳がないに等しい。
さて、まず最初のイタリア風三重協奏曲を聞いてみる。1978年に書かれたこの作品は、翌年のルツェルン音楽祭で初演され録音された。このCDの録音はそれであろう。若き日のヴェンツァーゴ(彼は今年からエーテボリ交響楽団のシェフとなった)の清新な指揮振りが気持ちよい。ルツェルン祝祭弦楽合奏団の見事なアンサンブルはもちろんのこと、ラルセンス(vn)、ゲルラッハ(va)、コーライ(vc)といったソリストたちの丁々発止といった掛け合いもスリリングだ。聞き始めていつの時代の作品?と思ってしまう。これは全くバロック音楽だ。しかし、次第にフレーズがデフォルメし、半音階的なフレーズがチェロに現れる。それでも決してバロック的な調性の範囲でハーモニーが作られ、様式的な違和感が何とも微妙な味わいをもたらす。
第2楽章 Canzonettaの美しい旋律はバロック音楽の単純さを完璧に維持しながら、よく聞けば20世紀の音楽以外にあり得ないフレーズを作っている。ちょっとした音のぶつかりやテンポの変化、クライマックスの持って行き方は、バロックの様式でありながら独特である。カンツォネッタというより「エア」なのだ。終楽章はタランテラかジークの様式かと思ったら、二拍子のヴィヴァーチェで書かれている。あちこちに面白い響きがちりばめられていて、決して飽きさせないが、もう少し終楽章は斬新な響きがあっても良かったかもしれない。
しかし、おそらくこれがミークなのだ。独特のハーモニーとかはない。彼は胸を張ってヴィヴァルディの世界から出発する。1978年と言えば、クシシトフ・ペンデレツキたちが少しずつネオ・ロマンティシズムへと舵を切り出した頃だが、これをミークは1950年代からやっていたとは・・・。
続く作品はテノールと管弦楽のための歌曲集「夜そして夜に」である。全六曲からなるこの作品はホフマンスタールの詩につけた3曲からなる連作であるが、このCDでは6つのトラックが区切られている。歌うのはスイス東部のダヴォス出身の世紀のエヴァンゲリスト、エルンスト・ヘフリガーで、トーンハレ管弦楽団の指揮者として有名なエーリッヒ・シュミットがチューリッヒの放送局のオーケストラ(シェルヘンが指揮していたベロミュンスター放送管弦楽団)が共演している。
1962年の作品で、全曲よりもずっと暗く、重い内容を含んでいる。どこかマーラーの管弦楽伴奏の歌曲集のようなところもある。オーケストレーションはユニークだ。 海岸にうち寄せる波の音も止み、星がきらめくと歌い始めると、ミークがただのバロック風の作品ばかり書いていたわけでないことを思い知らされる。(そんなわけがないのだが・・・笑)オーケストラをシンボリックに扱い、歌の背景を饒舌に描くミークの実に感動的なスコアだ。
これはアールガウ州の依頼で書かれ、エルンスト・ヘフリガーが初演している。共演はこの時はエドモン・ド・シュトゥツの指揮するトーンハレ管弦楽団であったというが、この録音が残っていたらぜひ聞きたいものだ。「大熊座は澄み切った夜空を与えられた」とテノールが力強く歌い、弦が背景を作るとテノールと木管群が掛け合う辺りは秀逸だ。歌に常に木管が絡み、弦は背景にという具合だが、ここぞという時にその弦が中心となってサウンドを作っている。
日本で歌った人はいないのではないだろうか?だったら・・・「良い曲ですよ、誰か日本初演しませんか?」ちょっと宣伝したくなるほど面白い作品だ。知られていないだけの名作なんていくらでもある。そうした鉱脈を見つけられず、同じ所で同じものばかり食べさせられるのは、私はゴメンだ。
ミークの他の作品でも歌曲は彼にあっていたようで、晩年の1985年に書かれたというメゾ・ソプラノのための3つの歌などもよければぜひ一度聞いてみてほしい。ただ、良い演奏がないのが残念だ。

フルートとハープのための優雅な小品 (1969)はペーター=ルーカス・グラーフ(fl)とウルスラ・ホリガー(hrp)によって演奏されている。世界的な名声を誇る彼らに、この録音があることを知る人は少ないのではないだろうか。六分半ほどのデュオ作品で、実に良い感じである。この2つの楽器のデュオと言えば、ジャン=ピエール・ランパルとリリ・ラスキーヌの二人が録音したエラート盤がすぐに頭に浮かぶ。かなり長い間、繰り返し繰り返し聞いていた。LPの頃の話である。中に入っていたイベールの小品やダマーズのソナタが特にお好みだった。
しかし、イベールの機知やダマーズの知性は、この作品に求めても無駄だ。それはミークのものではない。
基本は三拍子でありながら、微妙な揺らぎが与えられている。基本はソナタ形式でありながら、大きなテンポの変化もあり、かなり自由な形式に様式をシフトしていると言えよう。
この二人のために書かれた作品故に、演奏が素晴らしいことは自明のことであり、私のつたない文章を必要としていない。これ以上の演奏があるかどうか。柔らかなハープとフルートのダイアローグで、バレエ音楽のようですらある。

続いて、1954年、ミークが世に認められはじめた時代の頃の七重奏のための音楽がおさめられている。全4楽章からなる作品で、彼が新古典主義的な作風をその出発点にしていたことを知ることができる。チェンバロが使われている点などで、マルタンの影響も見受けられるが、十二音音楽への接近は聞かれない。最初に聞いたイタリア風協奏曲の世界にそのまま繋がっているような作品だ。
そしてこの作品は様式的にずっと後の時代のイタリア風協奏曲よりもずっとモダンな響きに満ちているのだ。この時代の逆行はどんなところから出てきたのだろう。興味深いことだと思った。
録音は1993年で、オーボエのフックスやヴァイオリンのノヴァークなど、チューリッヒ在住の腕利きたちが丁々発止と演奏している。指揮者はなく、室内楽のスタイルで演奏しており、決してやっつけ仕事の録音などではなく、丁寧に仕上げられた演奏だ。

最後に1986年に書かれたチェロ・ソナタが収められている。1993年の録音でダヴィッド・リニケル(vc),カール=アンドレアス・コーリー(pf)という二人による演奏だ。演奏は丁寧だが、ここまで超一流で聞いてきただけに、演奏がかなり落ちるように感じられてしまったのは残念だ。
ミークは晩年になってピアノとチェロのための協奏曲を1984年に完成し、続いてこの作品を完成している。冒頭から揺らぐようなメロディーがチェロにいきなり現れる。決して無調の「難しげな」音楽ではないが、これをリニケルはどう演奏したいのか、全く伝わってこないのには閉口してしまった。3楽章全てが平板で、今ひとつ感興に乏しいのは辛い。ピアノもタッチはきれいなのだが、どう惹きたいの?と訊ねたくなのような平板な演奏で、アンサンブルもなんとか合わせましたという感じでは駄目だ。この録音は私は気に入らなかったが、知らない作品を音にしてくれたことに免じて**程度は進呈しよう。他は超名演ばかりで、未知のミークの作品に誘われた私は、大変幸福だった。
聞いたことのない人はぜひ一度聞いてみられることをお薦めする。ただし、前衛音楽が好きという人は厳禁。

今日、チューリッヒ交響楽団の定期でミークのピアノ協奏曲が演奏されているはずである。ピアノは私が応援している素晴らしいピアニスト津田理子さんだ。そんなことを思って、このCDを選んで久しぶりに聞いてみた。

Jecklin/JS 314-2
by Schweizer_Musik | 2005-03-30 03:01 | CD試聴記
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