コンマスのツィマンスキー氏について
スイス・ロマンド管弦楽団についてのエントリーでツィマンスキー氏についての記載に誤りがあったのでお詫びして訂正します。

ロバート・ツィマンスキー氏はアメリカ出身でジュリアード音楽院でガラミアンのクラスで学んだヴァイオリニストである。1972年にヨーロッパに移った彼は、1975年にジュネーヴのスイス・ロマンド管弦楽団のコンサート・マスターになっている。ということはペーター・リバールと同時期にサヴァリッシュのもとでコンサート・マスターとして活躍していた。そしてリバールが引退して1980年以降も彼は同職にとどまり、スイス・ロマンド管を支えたのだった。
ここのコンマスの多くはジュネーヴ音楽院の教授にも就任しているが、彼もジュネーヴでその後1980年から教えるようになる。ソリストとしても活発に活動していて、サヴァリッシュをはじめシャルル・デュトワやヘルベルト・ブロムシュテット、ディヴィッド・ジンマン、ホルスト・シュタイン等と言ったスイス・ロマンド管弦楽団と関係の深い指揮者をはじめとして多くの名指揮者と共演を果たしている。もちろんアルミン・ジョルダンのスイス・ロマンド管弦楽団の時にもコンマスとしてスイス・ロマンド管弦楽団の要として活躍した。
彼は、スイス・ロマンド管弦楽団で、ペーター・リバールと共にインターナショナルなオーケストラへと脱皮する端緒を切り開く仕事をしたと言えよう。ヘンリク・シェリングなどと同門でもあるリバールと、ガラミアン門下が一緒にオケのトップに座っていたということだけでも、アンセルメの後のスイス・ロマンド管弦楽団を、アンセルメの音がしないと言って、ただの我が儘を言っていた音楽ファンと評論家は聞くべきところを間違えていたと言って良いのではないだろうか?
ところでリバールは、あのウェストミンスターに録音したヴィオッティのヴァイオリン協奏曲のレコードで知られていたが、クララ・ハスキルなどと組んで戦後のヨーロッパで一世を風靡した名ヴァイオリニストだった。テクニシャンとしても知られ、マルティヌーやストラヴィンスキーなどの作品の初演をしたことでも知られる。
ちょっと脱線してしまったが、ツィマンスキー氏は1993年に、彼はジュネーヴからチューリッヒ音楽院の教授としてチューリッヒへと移っている。ジュネーヴとチューリッヒはインターシティ(特急列車)で三時間。東京と大阪位である。もうジュネーヴでの活動は無理ということもあり、完全に彼はドイツ語圏のチューリッヒに移った。チューリッヒ音楽院は弦では隣のヴィンタートゥーア音楽院に少々水を開けられていたところだった。(今ではこの2つの音楽院は合併したが)ヴィンタートゥーア音楽院は長年にわたってリバールが教えた学校であったのだ。こうしてツィマンスキーはチューリッヒ音楽院の先生になり、そしてチューリッヒ交響楽団のコンサート・マスターに就任した。
シューマンのソナタのCDやスイスの作曲家たちのヴァイオリン作品を集めたCDなどがソロのものとしては知られている。
またアルミン・ジョルダンの指揮したマーラーの第4番の交響曲でソロをとっていたり、多くの録音で彼の名前を見つけることができる。
近々、彼の録音したスイスの作曲家たちのヴァイオリン作品集についてレビューを書いてみたいと思う。

ツィマンスキー氏のバイオグラフィーです。
by Schweizer_Musik | 2005-04-03 11:46 | 原稿書きの合間に
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