ヴェレッシュのムジカ・コンチェルタンテ
作曲者 : VERESS Sándor 1907-1992 ハンガリー→スイス
曲名  : ムジカ・コンチェルタンテ "Musica Concertata" 〜 12の弦楽器のための (1965-66)
演奏者 : ハインツ・ホリガー指揮 カメラータ・ベルン
CD番号 : ECM/POCC-1027

ヴェレッシュはハンガリーに生まれ、コダーイに作曲を、バルトークにピアノを学んだエリート中のエリートとして将来を嘱望された作曲家であった。何故過去形となっているかというと、1949年、表現の自由に対する共産主義の度重なる干渉に耐えきれず、職も家族も友人も全て捨て去り、ただ一人イタリアに亡命したことで、彼の音楽はハンガリーで演奏禁止となったため、共産主義政権が崩壊するまで、母国ハンガリーでは忘れられた存在となったためである。
しかし、1950年でベルン音楽院において作曲を教えることとなり、ここで演奏しているホリガーなどを育てたスイス作曲界において極めて大きな足跡を残すこととなった。
1970年代のスイスで作曲を学ぶならベルンに行けと言われるほどの人物であるが、故国ハンガリーでも今日、大作曲家として尊敬をあつめるクルタークなどを育てた人物であり、バルトークがおそらく弟子の中で唯一「才能のある人物」として認めたことでも、その極めて高い音楽性は推察できよう。
実際、彼の作品はもっと聞かれて良い傑作揃いだ。昔はヴェレシュと書いていたが、ヴェレッシュと表記する方が実際の発音に近いようであるが、1960年代から70年代における「現代音楽」の先端を走っていた(と思しき…)ダルムシュタットとは一定の距離を置き、メロディーの可能性を終生信じていたと思われる。
また、ハンガリーの民族音楽をラースロー・ライタとともに採取した体験がある(彼はブダペスト民俗学博物館の職員としてしばらく仕事をしていた)ほど、自ら民族的な素材に対してアクティヴだった。だからこそ、バルトークからリゲティ、クルタークへとつながる系図の中の重要な一里塚として彼は存在しているし、今日でもそうした点が再評価のきっかけとなったのではないかと思う。
この作品に対するホリガーをはじめ所縁の団体でもあるカメラータ・ベルンの入れ込みようは尋常ではない。迫真の演奏とはこういうものを言う。テキトーにきれいに音を並べただけでは、音楽になんかならない。音が様々な感情の発露となり、人を感動へと導く。そんな当たり前の姿を真っ正面から信じている人たちのこれは記録(レコード)である。

写真は彼が活躍したベルンの町並み。
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by Schweizer_Musik | 2010-04-12 12:38 | CD試聴記
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