ロッシーニの小ミサ・ソレムニスを聞く
作曲者 : ROSSINI, Gioacchino 1792-1868 伊
曲名  : 小ミサ・ソレムニス (1863/67改訂)
演奏者 : エドウィン・レーラー指揮 ソシエタ・カメリスティカ・ルガーノ, ルチアーノ・スグルッティ(pf), ジョルジュ・ベルナルド(pf), ブルーノ・カニーノ(org), ハンネック・フォン・ボルク(sop), マーガレット・レンスキー (alt), セルジュ・マウラー(ten), ジェームス・ローミス(bs)
CD番号 : ERMITAGE/ERM 118-2

多分、大方の人はこのレーラーなんて知らないと思う。けれど、この人は大変な人物なのだ。昔、彼について書いた一文を引用させていただく。

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 一九〇六年二月二六日にザンクトガレン州のアドウィルに生まれたエドウィン・レーラーは、イタリアのルネッサンスからバロックにかけての声楽作品を中心とした演奏活動を中心に大きな成果を残した大音楽家でありました。
 イタリアのあるレーベルからエドウィン・レーラー・エディションというシリーズで彼の膨大な録音がリリースされていますが、その多くが今でも唯一の録音となっているもので、彼の音楽史における業績がいかに大きなものであったか思い知らされます。
 レーラーは、地元で音楽を学んだ後、一九二八年から三〇年にかけてドイツのミュンヘン音楽アカデミーで、作曲とオーケストラの指揮を学び、更にスイスに戻りチューリッヒ音楽院で、エルンスト・イスラーに師事し、オルガン演奏のディプロマを取得しています。また同時に一九三〇年から一九三五年にザンクトガレンなどの州の音楽監督に就任しており、レーラーの音楽能力とそのプロデューサーとしての能力が、高く評価されていたことが窺われます。
 また、レーラーはスイスのルネッサンス時代の大作曲家ゼンフルについての研究によって、一九三六年に音楽学の博士号を取得しています。作曲と指揮、そして音楽学とレーラーのその後の活動の基盤がこの時期に形作られたと言ってもよいでしょう。
 音楽博士となったレーラーは、故郷のザンクトガレンの音楽監督を辞し、一九三六年にルガーノへと本拠を移し、スイス・イタリア語放送局で合唱団を創設します。総勢二十人前後といったところの室内合唱団を率いてレーラーは、その頃はまだ一般的とは言えなかったモンテヴェルディをはじめとするイタリアのルネッサンスからバロックの音楽を中心に活発な演奏活動をはじめます。その深い学識に支えられた演奏は、ただ学究的な冷たい演奏とは異なり、実に音楽的で美しいフレージングでカンタービレにみちたものでありました。そしてこのレーラーの演奏は、電波によって広く人々に届けられ、ヨーロッパ中から高い評価を受けます。もちろん自身が作曲を学んだこともあり、現代の作品からロマン派の作品と、放送局付属の合唱団として求められる幅広いレパートリーを網羅していたことは言うまでもありません。交友のあったイタリアの作曲家ペトラッシの作品などもよく取り上げていたようで、ライブ録音が残されています。
 スイス・イタリア語放送管弦楽団も彼の演奏活動のもう一つの母体となっていました。彼がルガーノにやって来る前年に設立されたばかりのこの若いオーケストラは、ヘルマン・シェルヘンなどの協力で、ぐんぐん力をつけていました。
 彼らはルガーノでの歌劇の上演でオーケストラを担当することとなり、レーラーはバロック・オペラを中心としたレパートリーの指揮を担当していす。また、このバロックからの歌劇上演の校訂などでも深く関わっていました。リガッチやアンドレーエなどの前古典派からロマン派にかけての作品の上演についても同様であったようで、それらは録音され、エドウィン・レーラー・エディションとしてイタリアのレーベルからCD化されています。もちろんレーラー自身が指揮した上演もいくつかが録音されて残されました。中では、チマローザなどの前古典派の作品にレーラーの真骨頂を聞くことができるように思われます。「3人の愛人」というチマローザのナポリ時代の軽妙な喜劇が筆者には特に印象に残っています。スター歌手が華々しく歌う録音ではありませんが、バランスのとれたアンサンブルが、楽しい雰囲気をよく伝えていて、とても埋もれてしまうような駄作とは思えません。
 レーラーの演奏活動は、ルネッサンス、バロックの合唱に限らず、実に幅広いものでした。しかし中心はあくまでイタリア・バロックの声楽作品であったと言えましょう。一六世紀イタリア・バロックの歌劇の原型ともいえるヴェッキのマドリガル作品の「パルナッソス山をめぐって」という音楽喜劇の録音が、フランスのアコードに残されていますが、ニコル・ロシェ=マラダンやフランソワ・ルーといったコルボのモンテヴェルディ演奏などでも親しい名歌手たちが加わった上質の演奏によって、この歴史上名高い作品の録音がなされたことに、心から感謝せざるを得ません。
 多くのレーラーの演奏でのチェンバロなど鍵盤楽器を担当していたのが名演奏家ルチアーノ・スグルッティです。一九五〇年頃にレーラーに見いだされ、以後のレーラーの演奏の多くに彼の名前が見いだせます。レーラーの薫陶よろしきを得て、スグルッティは単にチェンバロ奏者としてだけでなく、数多くの種類の鍵盤楽器をこなすマルチ・プレーヤーとして、欠くことのできない存在となっていったのです。
 長い間、器楽のパートは主にスイス・イタリア語放送管弦楽団のピックアップ・メンバーで行っていたようですが、バロックの時代の様式にあった楽器でそれを演奏したいという欲求から常設の器楽アンサンブルの必要を感じていたと思われます。
 スイスはバーゼル・スコラ・カントゥルムなどもあり、古楽研究ではヨーロッパでもトップ・クラスであることを忘れてはなりません。そしてレーラーは、一九六二年、ソシエタ・カメリスティカ・ディ・ルガーノという合唱と器楽の合体したアンサンブルを創設し、この団体によって更に活発な演奏活動を行ったのでした。
 レーラーは後進の指導も積極的でした。マルク・アンドレーエ(アンドレーエの息子)や東京芸術大学で客員であったトラヴィス教授、そしてリガッチやエフリキアンなどの指揮者をはじめ、後にコルボのモンテヴェルディの録音で独唱を務めた歌手たちを指導したことも忘れてはなりません。指揮者ミシェル・コルボもこの頃、レーラーの薫陶を受け、後にレーラーのソシエタ・カメリスティカ・ディ・ルガーノをモデルとして、ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルを創設したのです。
 レーラーのモンテヴェルディ演奏は、楷書のような一点一角をおろそかにしない、しっかりとした様式美と、カンタービレの柔軟なフレーズ感によっていたと申せましょう。それはミシェル・コルボに見事に引き継がれ、あの珠玉のマドリガーレ集や「オルフェオ」「倫理的・宗教的な森」「ヴェスプレ」の素晴らしい演奏の数々を生み出しました。また、ヴィヴァルディやカリッシミなどのバロックの声楽作品を数々の名演奏もまた、こうしたレーラーの影響のもとに彼の瑞々しい感覚と相まって生まれ出たものであると言うべきだと考えます。レーラーはミシェル・コルボをはじめとする次の世代にも大きな影響を残した、まさにイタリアのルネッサンスからバロックにかけての声楽曲復興の立役者であったのです。
 しかし、一九八〇年代に入って、レーラーは高齢もあり、長年のパートナーであるスイス・イタリア語放送合唱団、ソシエタ・カメリスティカ・ディ・ルガーノに別れを告げます。一九八一年に引退したあと、十年後の一九九一年にオルセリーナにてその栄光に満ちた生涯を終えたのであります。

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いかがだろうか?このCDも今は手に入りにくいものとなってしまった。
不思議な編成の曲で、オケではなくピアノとオルガンが合唱の伴奏を行う形であるが、音楽界から引退したロッシーニが料理人となって、そちらで成功をおさめながら、余技として「作曲」したこの作品の魅力は、歌劇に決してひけをとるものではないし、それをレーラーの名演で聞く楽しみは、ぜひいつまでもとっておいてほしいものだ。
見つからない時は、コルボの演奏(ERATO盤)あたりが良いと思う。この傑作を夕食後、ずっと聞いていた…。ライブ盤ながら、まずまずの解像度のステレオ録音で、私には充分だ。ソリストも知った名前がないけれど、尊敬を集めるレーラーのもとにカリーノなどの優秀な演奏家たちが馳せ参じての力演は、決して侮ることの出来ない完成度を有している。
見かけたなら、ぜひ購入をお薦めしたい。

写真は坂の町ルガーノ。レーラーが活躍した町であり、ワルターやヘッセの墓所が近くにある。
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教会音楽ということで、聖ロレンツォ大聖堂の写真もつけておこう…。
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by Schweizer_Musik | 2010-04-17 22:01 | CD試聴記
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