シューマンのマンフレッド聞き比べ ー序曲編ー
作曲者 : SCHUMANN, Robert Alexander 1810-1856 独
曲名  : シューマン/劇付随音楽「マンフレッド」Op.115 (1848-49) (バイロン詩) 〜 序曲



全曲盤編に続いて、序曲編である。この曲は序曲のみが演奏される場合がほとんどというのも事実である。確かにこの序曲はワーグナーなどとは全く異なるロマン派のもう一つの典型を成している。
大体、シューマンという人の音楽というのは、酷く個人的な告白のようなところがあり、大がかりな管弦楽には向いていないように感じられる。だからこそピアノ曲や、室内楽、歌曲にその優れた資質が生きているのだと思う。交響曲が苦手だったのはそのせいなのではないか?などと考えるのは、何とかの勘ぐりではなく、意外と当たっているような気がしてならない。
だからオペラのような、劇場向きの音楽は更に不向きだったのだろう。これはブラームスにも言えることだが、ブラームスはもっと複雑な人間で、聡明すぎるほどの頭脳と強い意志でそれを克服していった。シューマンはそれにはあまりに繊細過ぎた…。
そんなシューマンの管弦楽での最高の傑作がこの序曲と交響曲第4番だったと思う。ありきたりかも知れないが、後一曲あげるならピアノ協奏曲かチェロ協奏曲だろう。

演奏者 : ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
CD番号 : Grammophon/427 404-2

冒頭から心停止してしまったのかと心配させるほどのテンポで、絶望と諦念の縁をフラフラと歩き始め、やがて感情がグングンと昂ぶり、爆発する。これをシューマンの思い描いた創造の過程を追体験するかのようにフルトヴェングラーはなぞっていく。これが大袈裟に感じる人には許せないテンポ設定となろうし、これに填る人は、これ以外の演奏が生ぬるくてとても上っ面を撫でて終わるだけに聞こえてしまうようになる。
正しいのはどっちというようなものではない。この演奏をシューマンが聞いたとしたら、激怒したか、それてもフルトヴェングラーを喜んで抱きしめたか、想像するしかないが、私は後者の方だと思う。シューマンのように個人的でファンタジーが一人歩きしているような音楽を冷静にできるわけがないと思うので…。でも彼のように演奏した人は誰もいない。これで親しんでから他の演奏にうつると果たして幸せかどうか…心配する。
しかし、特別の演奏であることは間違いない。唯一無二の演奏である。


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演奏者 : カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 ロスアンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団
CD番号 : Grammophon/F35G 50105

フルトヴェングラー盤とともに最もテンポの遅い演奏だが、表現そのものはフルトヴェングラーほど極端ではない。ただ緩やかなテンポ設定でとてつもないスケールの演奏になっている。ただオケの音色が少し明るすぎるようで、響きまでマンフレッドに成りきれていないもどかしさはある。但しこれはフルトヴェングラーと同傾向のテンポ設定で、比べてみればということでしかない。
ジュリーニの晩年の様式であるレガートでゆったりとしたテンポは、この序曲の世界観ととてもよく合っている。独特の演奏で、第一に推すのは如何なものかと思うが、名演であることは間違いないだろう。

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演奏者 : アンドレ・クリュイタンス指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
CD番号 : EMI/TOCE-59602

20世紀の偉大な指揮者シリーズの中の一枚で、こんな演奏があったとは知らなかった。1957年の録音で、もう少し状態が良ければと思わなくもないが、これはこれで大変立派な演奏で、上記の二つの演奏のような極端なテンポではなく、常識的な運びの中でとてもよく曲の世界を表現している。
フルトヴェングラーの伝統がまだ消え去っていない時代に、聡明で音楽的な指揮者クリュイタンスでこの曲を録音するというプロデューサーの判断は正しかった。響きはまだフルトヴェングラーの何かが残っている。無論テンポはほぼ常識的な範囲に収まっている。私が作曲者なら、きっとクリュイタンスこそ最高のシューマン指揮者(そんな言葉、あるの?…笑)だと言って抱きしめるだろう。
ぜひ一度お聞き頂ければと思う。

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演奏者 : オットー・クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
CD番号 : EMI/CDM 7 63917 2

この曲を語る上で絶対に忘れられない名演の一つ。何もしていないようで、何故こんなに自然に音楽が呼吸し、ファンタジーが膨らんでゆくのか…。一つの奇跡のような演奏だ。ゆったりとしたテンポで慌てず騒がず…。オケは上のベルリン・フィルに対してやや劣るが、見事にシューマンのこの曲の世界の音になっている。説明の難しいところではあるが、ロス・フィルとはちょっと違いを感じるところではある。指揮者の手腕ゆえなのだろうか?
人に薦めるならこの演奏あたりが無難だろうなと思う今日この頃であるが、バランスの良さでは他にもまだ良い演奏がたくさんあるので、慌ててこれと決めなくても良いだろう。

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演奏者 : ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団
CD番号 : SONY Classical SBK 48 269〜270

クーベリックにはグラモフォン盤もあるが、とりあえずこちらの演奏が出てきたので、この新しい録音の方で代表してもらうことにする。バランスはとてもよく、キビキビしたクレンペラーと私は思っている。ロマンチックな情感も豊かで良いのだが、アンビエンスを深くとりすぎた録音が、雰囲気をよく伝えているものの、音楽の立体感を平板なものにしてしまっている点が私には不満である。
演奏そのものは申し分なく、オケの響きも素晴らしいのであるが…。
ヘラクレス・ザールってこんな音だったかと不思議に思うのだが、録音スタッフがいつもと違うせいなのか?

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演奏者 : ジュゼッペ・シノーポリ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
CD番号 : Grammophon/410 863-2

ジュゼッペ・シノーポリのごく初期の録音だが、これは素晴らしい出来映えだった。ただウィーン・フィルである。しなやかで音楽的なのだけれど、独特のこの曲の暗さがこの演奏からはごっそりとなくなっている。多分ウィーン・フィルのせいだけではなく、 シノーポリの解釈のせいでもあるのだろう。
大変シンフォニックで、よく鳴る演奏である。だが、こうして聞いているとそれが逆にかすかな違和感となって残る。バイロンのあのなんとも救いようのない詩はどこへ行ったのだろう?ただ、はじめてこの曲に親しむのならこれも「あり」だろう。

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演奏者 : アルトゥーロ・トスカニーニ指揮 NBC交響楽団
CD番号 : BMG/BVCC-5212

フルトヴェングラーと対極にある演奏として、やはりあげておく必要があるだろう。確かに、全く別の曲を聞くが如き趣きがある。響きもまさにトスカニーニのものである。私が感じているこの曲の響き、世界観なるものも、バイロンの詩の世界も含めて、フルトヴェングラーのドロドロと暗いあの響きに原点があるので、このトスカニーニによる演奏は、やはり遠くはるかな世界に感じるのだが、不思議と違和感を感じないことを告白しておきたい。これよりずっとゆったりとした良い録音のシノーポリの方がそれは大きい。
キビキビとした音楽の運びは当然のこととしても、この歌心あふれる演奏はやはり彼がいかに偉大な音楽家であったかを物語っている。

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演奏者 : シャルル・ミュンシュ指揮 ボストン交響楽団
CD番号 : BMG/BVCC-7908

はじめは明らかにシャルル・ミュンシュとしてはやや小振りな表現で、今ひとつなのだけれど、次第に焦点が合い始め、後半は圧倒的な演奏となっていく。いかにもミュンシュらしい演奏だが、ボストン交響楽団の響きがとてもよくまとまっていて、聞きやすい。響きは少し明るめ。ただ私には違和感を感じさせるほどではない。
ミュンシュとシューマン。もっと録音が残っていたならよかったのに…と、ついつい恨み節の一つでも言いたくなるほどである。録音もよく、時代を考えれば大したものである。

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演奏者 : ジョージ・セル指揮 クリーヴランド管弦楽団
CD番号 : SONY-Classical/5160272

トスカニーニの演奏で対極と書いてしまったけれど、多分このジョージ・セルの演奏がフルトヴェングラーと最も違う、そして最も素晴らしい名演であろう。速めのテンポと言っても、セカセカしているわけではなく、シンフォニックにスケール感の大きな演奏で、響きの重心の低い、全くこの作品の世界観そのものだと私は思うし、ここにあげた4つのアメリカのオケで最も深みの感じる響きで聞かせている。
交響曲でも実に優れた演奏を披露していたジョージ・セルであるが、この序曲でもフルトヴェングラーとは全く異なる表現で大きな成果をあげたのだ。見事!!

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演奏者 : フランツ・コンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
CD番号 : ETERNA/0320 016

ずいぶん厳選して紹介しているつもりだが、もう10種類目になってしまった。まだまだあるのだけれど、以下割愛させて頂くこととし、これを最後にしよう。何と言ってもフランツ・コンヴィチュニーをあげないで終わるわけにはいかないからだ。
キビキビとした表現ながら、よく歌い、ファンタジーを感じさせるこの演奏もまた希代の名演であると言えよう。
テンポの運びはスキがなく、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団はこの曲によほど自信を持っているようで、確信に満ちた演奏を聞かせている。多分ジョージ・セルと並んで最もシンフォニックな演奏ではないだろうか?フルトヴェングラーの演奏は幻想曲であり、一種の即興曲のようであった。クレンペラーは即興性は影を潜め、幻想曲としての性格が全面に出てきていた。
シノーポリやトスカニーニの演奏は、オペラの序曲としてとらえているような印象である。別にオペラの国、イタリア出身だからではないだろうが、曲に対するスタンスがそうなのだ。
ジョージ・セルやフランツ・コンヴィチュニーもそれに近いものの、交響的な性格が強調されているように感じる。
どれが一番良いとかいうのは、実に難しい。好みで言わせていただければ、コンヴィチュニーとクレンペラー。で、時々フルトヴェングラーを聞きたい。フルトヴェングラーだけだったら、そうは聞けないだろう。あまりに重すぎる。

写真は青年シューマンが見たであろう、マッジョーレ湖とマドンナ・デル・サッソ。前に朝の風景の写真をあげたので、今回は夕景のマドンナ・デル・サッソをどうぞ。
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by Schweizer_Musik | 2010-09-24 17:45 | CD試聴記
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