授業のための覚え書き -1- キュビズムと無調
シラバス作りの過程で、色々とメモをとったりしているので、それをまとめたものを書いておこうと思う。ここに書いておけば、無くさないので…(笑)。

第1回は「キュビズムと無調」

キュビスム(仏: Cubisme; 英: Cubism「キュビズム、キュービズム」)は、ルネサンス以来の「単一焦点による遠近法」(具象絵画における一点透視図法)に対して、いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収める技法で、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックが創始者である。
1907年、ピカソの「アビニョンの娘たち」という絵が、この技法の最初であると言われている。

一方、音楽におけるルネッサンス以来の調性の存在は、19世紀に幾度となく小さな実験のような作品で否定されてはきたが、完全にその存在を否定した音楽は弦楽四重奏曲第2番の終楽章とアルノルト・シェーンベルクの「架空の庭園の書」という歌曲集によって否定され、以降、この技法の実験的な作品が次々と作られていく。

興味深いのは、この遠近法の否定と調性のムスティスラフ・ロストロポーヴィッチ創造とその否定が、ほぼ同時期に偶然にせよ始まった点である。

調性は、絵画における一種の遠近法のようなものである。中心点(単一焦点)=主調を設定し、そこから出発し、そしてそこに戻るという基本的な約束事でバロックからロマン派に至る400年の音楽の発達の歴史があったのである。

絵画でもそうした試みはそれ以前にもあったに違いないが、音楽では19世紀にリヒャルト・ワーグナー、フランツ・リストなどのよって様々な試みが行われている。

最も古い例は、バロックの有名なジャン=フェリ・ルベル (REBEL, Jean-Fery 1666-1747 仏)の「四大元素」(1723刊)であろう。
もう少し、緩やかな例としてはアントニオ・ヴィヴァルディの有名な協奏曲集「和声と創意への試み」Op.8 (1724出版) の中の第3番の第2楽章もその例にあてはまる。(「四季」として親しまれている「秋」の第2楽章)
しかし、これらの例は、ただ混沌を表現したかったり、憂愁を表現するのに思い切った和声を選んだに過ぎず、ルベルもヴィヴァルディも調性をどうこうしようという意図は毛頭なかった。
ロマン派の時代へと進むと、個性的な表現を求めて、調性を拡大し、極端な半音階主義へと進む人たちが現れる。
ショパンにもそうした例がいくつかあるが、最も有名名のはピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 Op.35「葬送行進曲付き」(1837-39)の第1楽章冒頭とスケルツォ 第3番 嬰ハ短調 Op.39 (1839)などがそうした試みの初期の好例であろう。

フランツ・リストもピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調 S.124 (1849/1853,56改訂)やピアノ協奏曲 第2番 イ長調 S.125 (1839/1846-61改訂)の冒頭で調性を限りなく拡大し、新たな地平を切り開こうとした。
そして、調性のないバガテル "Bagatelle ohne Tonart (Bagatelle sans tonalite)" S.216a (1885)が書かれる。ただ、リストはこれを発表せず、亡くなった後、遺品の中から発見されたという経緯を見れば、調性を拡大させる中から調性が崩壊していったに過ぎず、彼がこの方向へと進むべきと考えていたかは甚だ疑問であるし、影響は限定的だったと考えるのが妥当だと思う。

しかし、リヒャルト・ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」(1857-59) の前奏曲のインパクトは計り知れないものをもたらした。
調性が曖昧なまま、全曲にわたって主調の主和音に1度も終止しない音楽が生まれたのである。トリスタンとイゾルテの決してこの世では成就しない愛をワーグナーは半音階を屈指し、主和音に結局1度も解決することのない音楽を書くことで、それを完璧に表現したのであった。
この音楽のその後の音楽界に与えたインパクトは計り知れないものがあり、音楽史は「トリスタン」以前と以後に分けられるほどであるのだ。
実際、トリスタン以前をロマン派前期、そしてトリスタン以後をロマン派後期と考えるのが妥当だと私は考えている。

この半音階主義が拡大し用いられる中で、アルノルト・シェーンベルクのシュテファン・ゲオルゲの「架空庭園の書」よりの15の詩 Op.15 (1908-09)が生まれたのである。
これ以前のシェーンベルクは、「淨められた夜」や弦楽四重奏曲第2番などで、この半音階主義を極限まで広げてみせたのであったが、まだ調性を捨て去るまでいは至らなかった。
だが、この歌曲集で、彼は最終的に調性と決別し、新しい音楽の創造へと出発したのであった。

この事実でもわかるように、無調は後期ロマン派の音楽の正当な後継者として生まれ出たということである。そしてシェーンベルクの弟子たちの中でも、アルバン・ベルクとアントン・ウェーベルンがこれを引き継いだのである。
しかし、二人は全く異なる個性を持っていた。ベルクはあくまで伝統的な世界にあったのに対して、ウェーベルンの耳には未来の音が聞こえていたようである。
この点については、12音技法についての回に譲ることとしたい。

以上

これはもう少し連載する予定。
写真はブルックの町で見かけた風景から…。
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by Schweizer_Musik | 2012-01-29 08:49 | 授業のための覚え書き
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