授業のための覚え書き -4- 新古典主義 (1)
新古典主義とは、美術の世界では18世紀後半に起こった古代ギリシャ、古代ローマの様式への回帰運動のことを指すが、音楽では20世紀初頭、ストラヴィンスキー等による古典音楽への回帰運動を指す。それは単なる懐古趣味などではなく、古典的な形式美へ帰依しようとする思想運動なのである。
ただ、これはロマン派の時代からずっとヨーロッパの音楽の底流に流れ続けていた古典への帰依の心が戦間期に表面に出て来たと考えるべきかも知れない。そしてその多くの部分はロマン派の作曲家、特にメンデルスゾーンとブラームスに負うところが大きい。

そもそも、ロマン派の音楽は、それまでの自作自演が原則であった音楽界から、それぞれ演奏だけする人たちと作曲だけする人という分業化が進んだ時代でもあった。その過程で、古い時代の偉大な音楽の再発見がブームとなり、あまり顧みられることの無かったバッハなどが神格化されていった時代でもあった。
ネーゲリらの楽譜出版が1つのブームにさえなろうとしていた時代。それは、王侯貴族に替わって台頭しはじめた、新しい階級である資本家たちの好みにも合致し、バッハから古典派の作曲家、特にベートーヴェンなどの数多くの作品の出版がこの頃に行われた時代でもある。
その時代に生を受けたメンデルスゾーンやブラームスが、前世紀の音楽に対して強いあこがれを持っていたとしても、違和感はない。
メンデルスゾーンは、バッハの音楽の復活、なかでもマタイ受難曲の復活演奏が有名であるし、古典派に近い、簡潔な形式美が彼の芸術の特徴でもあった。更にブラームスはヘンデルやバッハ、ベートーヴェン、シューベルトと前世代の音楽に帰依し、そうした整った形式美を理想として作曲をしていて、フーガやパッサカリアといった古い形式で書くこともしばしばであった。

ハイペリオンというCDレーベルが系統的にロマン派の協奏曲シリーズを出している。それらは19世紀から20世紀初頭にかけて累々と書かれ続けたロマン派の協奏曲の膨大な作品群を俯瞰する、大変意義深い企画であるが、聞き続けるとやや胃もたれを起こしそうな音楽ばかりであることに、ちょっと辟易としてくる。
それは、多くが短調で書かれ、苦悩と絶望の深淵をこれでもかと描いている。モーツァルトやハイドンの音楽が持っていた愉悦やユーモアはすっかり失われ、重厚長大な音楽が立派なものと言わんばかりの状況であった。
試しにヘンゼルト(HENSELT, Adolf von 1814-1889 独)のピアノ協奏曲 ヘ短調 Op.16 (1844)や、リトルフ(LITOLFF, Henrry Charles 1818-1891 仏)の交響的協奏曲 第4番 ニ短調 Op.102 (1851-52)などを聞くと良い。そこにある誇大妄想的な深刻ぶった音楽に、当時の閉塞感が合わさってくることであろう。
実際に、20世紀初頭にもまだこうした音楽が作られていて、シャルヴェンカ(SCHARWENKA, Franz Xaver 1850-1924 独)のピアノ協奏曲 第4番 ヘ短調 Op.82 (1908)や、ストヨフスキ(STOJOWSKI, Sigismond Denis Antoni Jordan de 1870-1946 ポーランド→米)のピアノ協奏曲 第1番 嬰ヘ短調 Op.3 (1893)などを聞くと、当時の聴衆の音楽的な嗜好が分かる。
ラフマニノフの協奏曲などが好まれるのは当然だったのだ。

しかし、一方でレーガーは、ブラームスの伝統の上に、パッサカリアやフーガ、バロックの影響下にある様々な作品を大量に書き連ねていた。彼も見た目(聞いた感じ)は明らかな後期ロマン派であるのだが、新古典主義を準備した一人としてあげるのにやぶさかではない。ただ彼の末端肥大症の、複雑化の極致に至った対位法が繰り出すオルガン作品は、薬にもしたくないけれど、クラリネット五重奏曲など、簡潔にして優美な音楽も晩年には書いているし、モーツァルトやベートーヴェンの主題による変奏曲なども有名で、その世代の音楽への親近感はあったのではないだろうか。

こんな中で、ブゾーニはモーツァルトへの回帰やバッハへの回帰を呼びかけ、その校訂と演奏で名をあげた。彼は番号制のオペラを復活させ、音楽に愉悦と軽快さを取り戻そうとした。彼は揺るぎない信念でこれを推し進め、フルートのためのディヴェルティメントやクラリネットのためのコンチェルティーノなどの作品を書いている。
後期ロマン派からの決別を意図していることは、これを聞くとはっきりとわかる。そして新しい時代がやって来ていることも…。

この動きに敏感だったのが、ドビュッシー(DEBUSSY, Claude 1862-1918 仏)だった。彼は晩年になって、6曲からなる連作のソナタを書く計画をたてた。6曲というセットも古典の時代のそれに倣ったもので、印象主義から新古典主義への移行を彼自身が率先して推進しようとしていたのである。

これは、言うなればロマン派音楽の残りかすである印象主義とドイツ表現主義に対する、決別の宣言のようなものだったのだ。新古典主義音楽というのが、思想運動であるというのはこの点にある。

1914年から1918年にかけてヨーロッパ全土を巻き込んだ第一次世界大戦は、特にドイツ、フランスの国土を極端に疲弊させ、多くの音楽家、演奏家も命を失い、戦争が終わっても、以前のような大管弦楽の作品を書いても、演奏の機会は滅多に訪れることはないという時代へと移った。
そこにスペイン風邪の猛威が追い打ちをかけ、大管弦楽作品が書かれなくなったというより、書けなくなった。
一方で、新大陸からジャズが入って来て、ヨーロッパはその影響を受けることとなる。こうして、新しい音楽運動である新古典主義は次の段階へと移る。

この稿は更に続く…

写真は早朝のブルンネンの波止場。
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by Schweizer_Musik | 2012-01-29 21:18 | 授業のための覚え書き
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