アルバン・ベルク
ベルクはウェーベルンとともにシェーンベルクの弟子の中でも特別の存在であった。寡作であったがその一つ一つの完成度の高さは、全く驚くべきものだ。
ブリテンなどとともに彼は二十世紀を代表する歌劇の作曲家であった。しかし、振り返って考えてみると、彼の完成した歌劇はたった一曲。それに未完のまま残されたものがあと一曲しかないのに歌劇作家とは恐れ入る。しかし、彼はたった2曲で二十世紀の歌劇に大きな影響を与えた、特別の存在であった。いや、彼の影響を受けた者は多くいた。しかし、彼は唯一、孤高の存在であった。
最下層の人々の暮らしに題材を求めたベルクの二つの歌劇は重いテーマによる心理劇となっている。ヴォツェックでは実在の男を主人公に殺人を犯し、ついに死に至る過程を深い共感と共に描いたものである。同じドイツ系の作曲家シュトラウスなどと同世代であるというのに、その音楽と内容の違うこと違うこと・・・。もちろん、どちらが優れているというようなレベルの話ではない。志向するものが違うのだ。
ベルクは歌劇「ヴォツェック」で器楽の形式である交響曲やインヴェンションといった形式を持ち込む。これはプッチーニが歌劇「ラ・ボエーム」で試みたものだ。あの歌劇の4幕は全4楽章の交響曲のような形態を持っている。第1幕がソナタ・アレグロで、第2幕がスケルツォ、そして第3幕が緩徐楽章で終楽章にロンドというわけだ。そう思って聞くとなかなか面白い。
ベルクの歌劇「ヴォツェック」の場合は、第1幕に5つの性格的な小品。第2幕は5楽章からなる交響曲。そして第3幕は6つのインヴェンションとして書かれている。歌劇に器楽の形式を持ち込んで成功させるなどというのは、アイデアとしては面白いが、それを現実のものとするのはもう天文学的な難しさだと思う。そしてそれをベルクはやりきってしまった。
器楽形式を舞台作品に応用するというのは、とてつもない難問である。舞台の展開が音楽の形式と一致させなくてはならないし、それが新たな効果を生まなくては苦労の意味がないわけだから。
例えば第1幕第4場は十二音による主題による変奏曲の一種であるパッサカリアとして書かれているが、21もある変奏の間に医師が歌いながら次第に熱を帯びてくる様が見事に描かれている。そしてマリーが誘惑される所に移っていく。それは殺人の動機をとなった第3幕で効果的に使われるという具合だ。
こんな困難を自らに課さなくても刹那的に、舞台の情景を追う方がずっと楽なのにである。この作品は、調性を離れて書かれた初めての大規模形式の作品として、最初に成功を収めたものとして永遠に名を残すこととなろう。「ピエロ・リュネール」などの作品はあったが、いかにも限定的な世界であったのを、ベルクは一気に乗り越えてしまったのだ。
ちなみに、ウェーベルンも歌劇の作曲の計画を持っていたが、残念ながら断念している。1930年にスイスのルガーノに居を移したシェーンベルクが「モーゼとアロン」を書き始めた。この作品はしかし、第3幕を未完にしてシェーンベルクが世を去ってしまったので、永遠のトルソとなってしまった。したがってさっきょくまずダルムシュタットで新ウィーン楽派の擁護者として知られるシェルヘンが演奏会形式で初演した後、チューリッヒでシェーンベルク自身が自らの分身とまで信頼していたハンス・ロスバウトによって初演されている。

ベルクはこの曲の中で十二音の萌芽を挿入しているが、本格的に十二音を使用して書かれた歌劇「ルル」は絶筆となってしまった。しかし、この「ルル」で使われた音列は極めて調性に近いものであるのは面白い。そもそもこの調性を拡大していく中で、それが自然と崩壊してしまったのがベルクであった。だから、旧来の調性を持ち込んで十二音を作るというのは全くベルクにとって違和感のある仕事ではなかったのだ。
「ルル」の作曲中に、ベルクはかわいがっていたマーラー未亡人が再婚して生まれたマノンが19才にして亡くなるという悲劇を体験する。彼女の死を深く悲しんだ彼はその思い出に捧げるつもりで、「ルル」の作曲を中断してヴァイオリン協奏曲にかかる。遅筆の(彼のような作曲をしていたら時間がかかるのは当然だ!)ベルクにしてはかなり早く書き上げられた。しかし、彼はこの曲を完成して間もなく癌のために亡くなってしまう。そしてマノンのために書かれたレクイエムは、彼自身のための作品となったのだった。
この作品でも彼は調性に近い音列を採用している。音列が十二音音楽におけるテーマなのだ。短三和音と長三和音が交互に出てきて最後の4つは全音音階という代物。従って音楽が調性的な響きを持つものになる。またよく見ればこれは増三和音と減三和音を含んでいるわけで、かなり調性的。そしてこれがベルクの大きな特徴となっている。

もともとシェーンベルクが書いた最初の本格的な十二音音楽である木管五重奏曲の音列が、ベルクとウェーベルンの特長となったそれぞれの個性を含んでいたのは面白い。
あの曲では音列の前半と後半が5度で反復する音列となっている。第一主題の提示を基本音列だけで書くという、調性でのソナタの方法論をシェーンベルクはこの作品に持ち込んでいたが、これがベルクの音楽の基盤となっている。一方ウェーベルンはこのシェーンベルクのシンメトリカルな構造を基盤としていった。偶然そうだっただけなのかも知れないが、面白いことだと私は考えている。
ベルクはウェーベルンのミクロな世界と対照的にマクロな作曲を行った。それには調性を一部に残した彼独特の柔な音による所が大きい。
(この稿、更に続く予定)
by Schweizer_Musik | 2005-05-15 01:20 | 授業のための覚え書き
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