ショーソンの詩曲を聞き比べ
この詩曲は、私の好きな曲の一つで、CD初期に、鹿児島の天文館にあった名曲喫茶で何度と無く前橋汀子さんの演奏で聞いた思い出がある。学生時代に大枚はたいてコンダクター・スコアを手にしたことも懐かしい。当時はレコードを持っていなかったのにもかかわらずである。
この幻想的なハーモニーに魅せられ、ピアノに移してボソボソ弾いてはため息をついていたことも懐かしい。
この曲もそう大して色々な演奏を持っているわけではない。実はキョン=ファ・チョンの素晴らしい演奏があれば良いと思って積極的に集めていなかったのだ。他には、オケの独走が目立つとは言え、ダヴィド・オイストラフとシャルル・ミュンシュの演奏や古いユーディ・メニューインとエネスコの共演やジャック・ティボーとアンセルメの録音、更に美しいジノ・フランチェスカッティの録音も・・・。ああバーンスタインがもっとデリカシーに富む指揮者であったなら、せめてこれがジョージ・セルかオーマンディだったらと嘆くことしか今は出来ないが・・・。
で、これらの録音を聞き返してみた結果を報告したい。この一ヶ月、現代音楽ばっかりだった耳にビタミンを与えるつもりで、今日の午後はこの曲を聞き、レッスンをし、またこの曲を聞いていた。

まず最初に取り出したのはダヴィド・オイストラフとミュンシュの1955年12月14日ボストン・シンフォニー・ホールでの録音である。鉄のカーテンの向こうからやってきたこのヴァイオリンの巨人によるフランス物は線の太い楷書のショーソンだ。スケールの大きな表現は見事で、ミュンシュは合わせ物は明らかに上手くない。交響曲のように独走してしまうのだ。しかしオイストラフはその上を行く。暴れ馬を乗りこなしてとてつもないスケールで描いたショーソンだ。しかし、私のこの曲に持っているイメージとは明らかに大きく異なるので、どうしてもファースト・チョイスの演奏にはならない。
エネスコがピアノ伴奏で弾いた1928年頃の録音もあるが、これはBiddulph/LAB 066ではノイズが多すぎて困ったものだが、EMIのヴァイオリンの巨匠達(男声篇)(EMI/CE25-5886〜95)は大変良い復刻で十分に鑑賞できる。戦前の決定盤であったそうだが、確かにこの幽玄な世界は独特である。ピアノに少々不満もあるが、エネスコの変幻自在の表現によくつけていると思う。オーケストラではこうはいかなかったことだろう。音楽がピアノにシフトするとエネスコの幅広い表現を聞いてくると、ちょっと一本調子に聞こえてしまうのは、ピアニストが悪いわけではなく、ヴァイオリニストが良すぎるために起こる現象だ。

この録音のほぼ五年後、パリでエネスコはオーケストラを指揮してこの曲を録音しているが、その時のヴァイオリン独奏は若いユーディ・メニューインである。
サーフェイス・ノイズはあるが、EMI/5 65960 2の復刻は見事だ。とても聞きやすい復刻で、これはモノラルでの決定盤と思えてくる。オーケストラのパリ交響楽団がどういう団体かは知らないが、大変良い演奏で、エネスコの本職でない指揮でここまでついてくるのは大したものだ。ところどころ指揮者のミスによると思われるアンサンブルのほころびはあるし、弦の盛大なポルタメントに時代を感じるものの、そんなことはすぐにどうでも良くなる。どこもかしこも霊感に満ちあふれた演奏だ。これぞ歴史的名盤!!

次ぎに取り上げたのは、トーシャ・ザイデル(vn),レオポルド・ストコフスキー指揮ハリウッド・ボウル交響楽団の1945年7月22日録音である。ザイデルは知る人ぞ知る名手だが、ストーキーはこうした合わせ物が実はとっても上手いのだが、この演奏もうまくつけている。しかし、どうも居心地の悪い演奏だ。ストコフスキーとショーソンの相性はあまりよくないのではないか?ザイデルも演奏もエネスコや若きメニューインの名演を聞いた後で聞くと、どうも今ひとつというところ。ザイデルのピッチもあまり良くない。私は少々気持ちが悪かった。

ジャック・ティボー(vn),エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団の1946年の演奏はこのザイデルの後ではものすごく感動的だった。アンセルメのこうした作品でも冴え渡った指揮は定評のあるところだ。
ヴァイオリンは多少のジャック・ティボーの年齢を感じさせるとは言え、なんて素晴らしいのだろう。音楽に集中しフレーズを歌いきっていく。緊張感は大変なものだが、それを受け止めるアンセルメの指揮の落ち着いたテンポにより、一本調子の高揚した演奏と一線を画すものとしている。
エネスコの指揮でのメニューインの演奏は、感性の瑞々しさにその高い価値があると思うが、総合点では明らかにこのジャック・ティボーによる演奏が全てにおいて勝っている。アンセルメの指揮もエネスコの指揮とは比べ物にならない。

ジノ・フランチェスカッティとバーンスタインの録音は、素晴らしいヴァイオリンに対して、バーンスタインの演奏がチャイコフスキーの「悲愴」になってしまっている点が残念だ。響きに対するデリカシーが無いというべきか。ネチッとしたサウンドに冒頭から最後まで違和感を感じたが、この演奏が評論家は一番にあげていることが多いのは何故だろう。
バーンスタイン流にショーソンを解釈しているわけで、それを非難する気は毛頭無い。これも一つの解釈である。

今のところ、最もよく聞く演奏はキョン=ファ・チョンとデュトワが組んだ1975年の録音である。キョン=ファ・チョンはこの頃が最も勢いがあったし、演奏にひらめきがあった。曲によっては鬼気迫るものもあるが、このショーソンでは実にバランスがよろしい。ちょうどユーディ・メニューインの若いときの演奏のように。しかしそれだけではない。デュトワ指揮のロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団がなかなかに良いのだ。
かつてLPでよく聞いた演奏はアルチュール・グリュミオーであった。マニュエル・ロザンタ−ルが指揮したあの演奏は私のこの曲の原点になっているようだ。あの演奏は今は行方不明で、また聞いてみたいという気がしないでもないのだが、今、キョン=ファ・チョンの演奏があるので、十分に楽しめている。

で、結局のところザイデルとジノ・フランチェスカッティの演奏には多少不満を持ったものの、その他は結構楽しんで聞けたのが実情で、どれもがお薦めというわけのわからない結論としておこう。
by Schweizer_Musik | 2005-05-28 21:35 | CD試聴記
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