旋法の使用について
フォーレがニーデルメイエールの下で学んでいったグレゴリオ聖歌からルネッサンスの音楽の音組織を近代的な作曲技法に応用した。これをドビュッシーが独自のスタイルに昇華させ、旋法的な用法を更に発展させた。初期の小組曲はその最初の結晶だろう。あのメヌエットでのモードの応用は、新しい時代の甘い囁きだ。それは全音音階という調性を無くしての新しいモードへと進化していくが、ドイツ・オーストリアのシェーンベルクたちのような極端な半音階主義に走ることは無かった。彼は不完全な音階である全音音階の方が良かった。それは、旋法から古い伝統により直接的に結びついていたからだ。
そして画期的な「ペレアスとメリザンド」が生まれる。あの作品は、ドビュッシーによる旋法の応用の典型を作り出した。ドリア旋法にしてもフリギアにしても、古典的な旋法がなんと甘美に響きわたることか。
もう従来の機能和声に遠慮して、書くことはない。スペイン風の曲であっても、リムスキー=コルサコフなどはかなり遠慮しながらスペインの音階を扱っている。シャブリエだってかなり気を遣っている。でもドビュッシーはもうそんなことは気にならずにすんでいる。「イベリア」の傑作にはスペインのモードがふんだんに織り込まれた。
この後、彼は更に進化を続け、聖セヴァスティアンの殉教という、傑作を生み出す。そして晩年のソナタへと昇華していくのだ。
前奏曲集や「ピアノのために」あるいは「映像」や「子どもの領分」…。ドビュッシーには、なんてたくさんの傑作があるのだろう。弦楽四重奏曲も忘れてはならないし、数多く残された歌曲も、我々の研究の対象として重要である。ドビュッシーはこれらの多くに旋法というシステムを応用していったのだが(もちろんドビュッシーの作曲法をこの面からだけで理解しようとすれば、大きな間違いである。彼はもっと奥が深い!!)従来の調性に代わる表現方法を模索していた二十世紀の作曲家たちがこれを見過ごすわけがなかった。
サティが「ソクラテス」の中で旋法を使い、古代風の雰囲気を上手く醸し出していたが、6人組と称されるオネゲル、ルーセル、ミヨー、オーリックなどの作曲家たちもこのモードを採用している。しかし、彼らはもうドビュッシーのように古典的なモードであるドリアやフリギアでは満足できなくなっていた。というよりもそれではドビュッシーの亜流になってしまうことを怖れたのかも知れない。(いや、注意深くそれを避けたと言うのがもっと正しいのかも知れない)
彼らは新しいモードを生み出しつつ、調性を大きく逸脱して行く。
1920年代。すでに調性は守るべき規範ではなくなってしまっていた。シェーンベルクの十二音技法はまだ一部の人達のものであったに過ぎないが、少なくとも、調性という基盤は失っていた。新たな法則、ルールが求められていたのだ。
だから、十二音だって、そうした一つのモードであると言ってよいかも知れない。ここらで私の十二音システムによる木管五重奏をお聞き下さい。

様々な国の様々な民族に伝わる民謡などの音楽は、モードというよりも5音音階(4つの音のつながりで考えるテトラコルドの方がよく詳しく分析できるのだが)で出来ている。十九世紀中頃、ロシアで出現した五人組の音楽が二十世紀につながり、シベリウスやバルトーク、コダーイなどの音楽を生み出した。
ドイツやフランス、イタリア、オーストリアといったクラシック音楽がもともと発展した国々ではこうした民族主義は先鋭化しなかった。これらの国々以外のヨーロッパでも大国の周辺の国々にこの傾向は顕著であった。
シベリウスは、民族的な要素を表現するために旋法に向かっていった。彼の第4番の交響曲以降は全てモードの応用が聞かれ、同時期のモードの流行をいち早く採り入れていったことがうかがわれる。第4番の第3楽章ではロクリア旋法という、なかなか使いづらい旋法による終止が聞ける。理論上のものであったロクリアが、シベリウスによって生を得た瞬間である。
この後、作曲家たちはスーパー・ロクリアなどの新しい、そしてもっと歌劇に使いにくい旋法を編み出していくのだが・・・。

この傾向を最も徹底させた作曲家がコダーイとバルトークである。コダーイの音楽、バルトークの音楽はすでにいくつかとりあげたが、これ以降、ミクロコスモスという子どものためのピアノ曲集をテキストに、この旋法を分析していこうと思う。
by Schweizer_Musik | 2005-06-10 23:38 | 授業のための覚え書き
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