ヤン・パネンカによるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を昨日買ってくる。共演はヴァーツラフ・スメターチェク指揮プラハ交響楽団。
パネンカさんは私にとっては実に思い出深いピアニストの一人である。霧島国際音楽祭の何回目だったか、私は彼の演奏を何度か聞いた。スメタナ四重奏団と共演したドヴォルザークのピアノ五重奏曲が今も心に残っている。また、スークと共演したベートーヴェンも。 私は彼のピアノが好きだった。音に気高さを感じる人であった。室内楽。それもホテルのちょっと広い目の部屋でやる演奏会なのに、グランド・ピアノの蓋を全開にして演奏していた。ハーフ(半分だけ開けること)にして演奏することが多いのにと思ってレセプションの時に質問した答えが明快だった。 「ピアノの音のバランスは蓋の開け閉めでするものではない。タッチでコントロールすべきだ。蓋をハーフにするとピアノの音はこもってしまう。良い響きが出せなくなるので私は全開にする。」 確かこのようなことを陳べられたのだが、彼のピアノに対する思想が集約された言葉のように私は思った。 スメタナ四重奏団の人達の演奏も見事だったし、シュカンパさんと少しであるが話せたことも、私にとって大切な想い出となっている。(都城のヤマハの講師のみなさんと行ったことも、その想い出の楽しさを倍加している。感謝感謝である) パネンカは決して室内楽専門のピアニストなどではない!この誤解があまりにも大きく、合わせ物の「伴奏者」として評価されているきらいがある。私は「伴奏者」という言葉が嫌いで嫌いで・・・。ソリストの付属物のように思うのはあまりにひどい間違いだ。酷い時は演奏者のクレジットすらないこともある。 ソロがメロディーをいつもとっている歌曲の場合ですら、その背景を名手が描いた場合と凡庸なピアニストが描いた場合では自ずと違う。オペラの指揮なども格下に見られていることも多い。こうした程度の低い間違いを私たちはしたくないものだ。ドニゼッティの書いた歌劇を指揮するのは凡庸でも良い。歌手さえよければというのは余りに酷い話だ。あんなに難しい特殊技量が要求される仕事はないのに、そのことを知らないで格下に蔑むような言い方は絶対にしたくない。協奏曲の伴奏指揮などとほざく三流評論家は論外にしてもだ・・・。 さて、前置きはその位にして、第1番から聞き始めたのだが、パネンカとスメターチェクはもう見事としか言いようがない演奏なのだ。楽譜を深く読み、無理のない正確な表現を心がけている、全く誠実を絵に描いたような演奏なのだ。それでいて彼のタッチが美しく、リズムが生き生きとしている。何ともチャーミングなのだ。第1番や第2番でそれが特に言えるだろう。 私が特に好きな第2番の終楽章。ああ、なんて気持ちいいのだろう。 テンポは速すぎず(最近はこれが多い!!)、遅すぎず(巨匠風でないということではない)、適度なテンポとはなんぞやと教えてくれているようでもある。ピアノが弾み、オーケストラが歌い、そして若いベートーヴェンの覇気あふれる思いが表現されるのだ。 第3番の第1楽章は二拍子にとっているのではないだろうか。重々しくなりすぎない。軽快さとは違うが拍子感が少し軽いのだ。彼らの演奏はちょうど耳の病気にうちひしがれていたとは言え、ベートーヴェンの意志の力と若い力はそれに負けるようなものではなかったと言わんばかりだ。 スメターチェクの指揮は冴えている。プラハ交響楽団は田舎の二流オケと思っていたら快い裏切りにあうだろう。かなり人数を刈り込んだ編成で演奏しているようだが、音が痩せて聞きにくいなどということはない。 この終楽章のピアノとオケのフレージングが少し違うのではないかと思って気に掛けていたら、どうもパネンカのタッチでピアノが響きが深くてそのように聞こえるだけらしい。しかし、この楽章を聞いてみてほしい。彼のピアノのタッチの輝かしいこと!!なんという素晴らしい音色なのだ。あの霧島での彼のピアノの音を彷彿としていた。 第4番の冒頭。集中して見事なフレージング、アーティキュレーションである。あの冒頭のピアノのソロほど恐ろしいものはないのだ。「皇帝」の冒頭のアルペジオの方が数段「楽」な仕事だと、あるピアニストが話していたが、なるほど最もなことだ。こうした曲を主導する形でソロがオケを導入するというのは、そのソロをする者にとっては大変な精神的重圧を与えるものらしい。マーラーの第5番のトランペットのソロでノイローゼになったトランペッターを私は知っている。 終楽章の珠を転がすような魅力に溢れた表現は特筆すべきだ。こんな演奏が可能だったとは・・・。ピアノの音がこんなにきれいなものだったのだろうか。ため息とともに聞き始めてとうとうもう一度聞いてしまった。(ああ原稿を書かないといけないのに・・・) パネンカはその明晰なタッチと、よくコントロールされた表現によって、バックハウスなどの名演に並んだと評してよい。流麗であり、情感にも欠けていない、本当に良い演奏とはこんな演奏を言うのだろうなと、心から満足しながら私は三枚目を取り出した。 「皇帝」は何度も廉価盤のシリーズで発売されてきたし、それは私もすでに持っていて、よく聞く一枚となっている。だから今更と思いながら、ちょっと聞き返してみようと思って聞き始めてまたしても嵌ってしまった。 冒頭のカデンツァをこれほどまでに音楽的に弾いた人が、どれほどいるだろうか。エドウィン・フィッシャーやケンプ、バックハウス、アラウ、ギレリス・・・。力むことなく自然体で、サァーッと鳴り響いたアルペジオは終止の和音形をとった後テーマを導き出す。このテーマからして颯爽としているが、殊更力こぶが入っていない、実に自然体で気持ちの良いものなのだ。ああ、こうでなくては・・・。力んだあげく、音楽がまるでボディービル大会のような筋肉質のものになっている例がどれほどあることか。 音楽に合わせて微妙にテンポを動かしていきながら、作品を見事にコントロールしていくその演奏は、一時代前のスタイルではあるが、私にはこの方法でベートーヴェンを演奏してもらった方がずっと自然に受け取れる。そんなファンも多いのではないだろうか。 第2楽章の幻想的な表現も素晴らしいし、第3楽章の颯爽と弾き進むパネンカとそれを支え、スケールの大きな響きで包むスメターチェクの見事な共演ぶりもまた見事だ。 バックハウスやケンプの演奏とは全く異なる個性の上に、パネンカとスメターチェクは魅力に溢れる演奏を刻んだ。これから私のファースト・チョイスはこの演奏になる。ああ楽しい2時間あまりであった。 最後に日本初発売となる合唱幻想曲が入っている。ベートーヴェンの即興演奏のような(私は聞いたことないが・・・笑)ソロはパネンカの魅力全開。苦手な曲なのだが、この演奏なら聞ける。合唱も女声に多少ピッチの怪しいところがあるとは言え、オケとピアノのあまりの魅力故に私は十分に満足してしまった。 これは買い逃してはならない。ベートーヴェン演奏の金字塔だと私は思う。 パネンカさんが逝ってもう何年になるだろう。彼の死はあまりに残念なことだった。だが、その全盛期に彼の演奏に接し、わずかではあってもその神髄に触れることができた私は幸せだったと思っている。 SUPRAPHON/COCQ 83950〜52
by Schweizer_Musik
| 2005-06-18 12:18
| CD試聴記
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