チャイコフスキーの音階について
チャイコフスキーに音階に対するこだわりについてちょっと書いてみたい。
まず彼の有名な歌曲「ただ憧れを知る人のみ」の楽譜をみてほしい。歌が始まってすぐ、バス・ラインがずっと順次進行で下がっていくが、これなどは典型の一つだ。全ての部分がこうした和声を使っているということではないが、かなり強引な解釈でもってバス・ラインを選んでいることもまた事実である。
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もう一つ。誰もが知っている名作「白鳥の湖」の「情景」の一部をあげておこう。美しいメロディー・ラインもまた音階(スケール)で出来ているが、こうしたスケールにチャイコフスキーは生涯を通じてこだわっている。
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次ぎの譜例はチャイコフスキーの弦楽セレナーデの第3楽章のテーマ。ちなみにこの曲は全体がスケールを基本的な動機としているので、作例には事欠かない一曲である。
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では何故これほどまでに滑らかなバス・ラインにこだわったのか?未だ結論はないが、ロシアの五人組などのより民族的な素材に依拠して作曲する派に対するアンチ・テーゼとして、流麗な和声進行を見いだすことに心を砕いた結果ではないかと私は想像しているが、こうした和声にこだわった作曲家としてボロディンもいたので、そう話は単純ではなさそうだ。
ただ、ボロディンの多くの場合は、バスは保続していて、内声で半音階で動いていくが。(次の例は「中央アジアの広原にて」のテーマである)
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チャイコフスキーに話を戻そう。
和声的にこだわりを持つチャイコフスキーは、新しい響きを心のどこかに感じていたに違いない。有名なヴァイオリン協奏曲の第2楽章の冒頭。その序奏の和声は、古典的な和声進行からかけ離れたものとして、異彩を放つ存在である。シューマンの「飛翔」の例が無いわけではないが、この楽章の主調はト短調であり、主和音はG-B-Dであるのだが、この和音が基本形で鳴り響く(第2転回形ではなく)のは、ヴァイオリンが入ってきてからなのだ。12小節ある序奏に主和音が一度も出てこないというのは、意図せずに書ける代物ではない。
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彼はワーグナーに心酔していた。半音階的な進行に向かう傾向はその現れと考えてもいいのではないだろうか。
その影響は様々なところに表れているのではないだろうか。次の例は交響曲第4番の緩徐楽章で主題が再現するところでの木管による装飾であるが、表現は全く違うとは言え、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」のエコーを聞くのは私だけだろうか?
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また、あまり知られた作品でないが、弦楽四重奏曲第2番ヘ長調の第1楽章の序奏での響きは明らかにトリスタンとイゾルデに繋がるものだとは思えないだろうか?
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チャイコフスキーは昔から構成力は無いと言われ続けた。何もベートーヴェンのやり方だけが全てではないはずなのだが、バレエ音楽の作曲家であり、交響曲などはベートーヴェンのような「深み」に欠けると・・・。
果たしてそうなのか?いつかそのことについての反論をしたい。彼は自身ではそうした主題の関連とか考えないで、なるべく心の赴くままに書くとどこかで言っていたと思うが、全くそんなことはなく、全体が緊密に統一されるように書かれている。その中心に音階が主要な要素としてあった。
この続きはまたいつか。
by Schweizer_Musik | 2005-06-19 15:57 | 授業のための覚え書き
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