アントン・ウェーベルン (2)
ウェーベルンにとっての長年のアイドルは実はマーラーであった。ワグネリアンからマーラー信者へというのは自然な成り行きだったのかも知れない。
一九〇五年にはシェーンベルクを通じてマーラーに会い、ウェーベルンは興奮した調子で日記にその時に話したフランス・バロックのラモーなどからバッハ、ブラームス、ワーグナーについて話したことをを書いている。
この年、ウェーベルンは弦楽四重奏曲を書いているが、未出版のままで1962年になってようやく初演され出版もされる。
この作品は当然作品番号もなく、たりあげられることも少ない作品であるが、イタリア出身でスイスのサンモリッツ近郊に住み、アルプスの風光を描いた画家セガンティーニの最後の大作「生成・存在・消滅」にインスピレーションを得て書かれた作品であり、隠れた名曲となっている。一九〇五年と言えば、あのパッサカリアが書かれる三年前。比較的よく演奏される弦楽四重奏のための緩徐楽章の後すぐに書かれたものである。
この年、ウェーベルンはウィーン大学を卒業し、哲学博士号を取得している。
翌年、一九〇六年九月七日母アマーリエが亡くなるという不幸に見舞われるが、シェーンベルクから新作である室内交響曲第一番を見せられ、「自分もこのような曲を書かねばならない」と決意を新たにした年でもある。
そして様々なスケッチ、習作が行われた後、一九〇七年、ピアノ五重奏曲が書かれる。そして十一月にはシェーンベルクの弟子達の作品発表会にて初演された。そしてこれが彼のデビュー作品となったのだった。
演奏会の批評はあまり芳しくなかった。グルーベはライプツィヒの新音楽時報に書いた批評の中で、彼らを不協和音楽派と呼んでいる。

一九〇八年、ウェーベルンは最初の作品番号を与えた「パッサカリア」を作曲する。二十三の変奏からなるこの管弦楽作品は、最初から独特である。主題が常に変化し続けていくというのは、終生ウェーベルンの変わらぬ作曲態度であり、問題意識の基本であった。
極めて興味深いこの作品は、ニ短調で出来ているのだが、この主題そのものが音列的に最初のレの音以外は1音も繰り返しておらず、更に後のウェーベルンの作品の特徴とも言える基本形と反行形の音列の構造をも持っているのだ。
それは三個の音をグループとして最初の3つの音のグループに対して次の3つの音のグループが反行形で出来ていて、そしてカデンツの3つの音のグループが続くという構造なのだ。
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このパッサカリア主題が弦のピツィカートで演奏された後、このパッサカリア主題がビオラのピツィカートを従えてミュートをつけた(なんと!)トランペットによって奏されると、フルートが美しい低音で(まるでドビュッシーみたいだ!!)オブリガートが歌い出す。ここで普通の作曲家ならば、最初のレの音にニ短調のトニカ(主和音)の和音をあてるだろうに、ウェーベルンはサブ・ドミナントの和音を当てはめている。そしてそれがあまりにさりげなくやられているのだが、和声的に増三和音が多用され、調性を持っているものの、かなり希薄な調性感しかないことがわかるだろう。
この調性感の不在が当時の評論家たちには理解できなかったのだろうか?
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「全くの駄作」と決めつける「勇気ある批評家」もいれば、「とりわけ才能があると考えられるのはアントン・ウェーベルンのパッサカリアである。」と言って詳細にその作品についてレポートしているものもある。その中では、ウェーベルンの独特の音色に対する感覚、オーケストレーションの妙味について書かれ、「スケッチから描かれたものではなく、当初からオーケストラ作品として構想された作品だ」と見事に言い切っている。
しかし、ウェーベルンが生きた時代の遡ること二百年近く前の古いバロックの形式であるパッサカリアが、作品一として書かれたことはいかにも象徴的であると言えよう。ブラームスの交響曲第4番の終楽章でもこのパッサカリアが用いられているが、ウェーベルンは二十世紀の入り口で、その復活を宣言したようにも思える。
二十世紀に書かれたパッサカリアをあげてみよう。
ヴォーン=ウィリアムスの交響曲 第5番 ニ長調 (1938-43) 第4楽章、ウォルトンのチェロ独奏のためのパッサカリア、同じ作曲家の組曲「ヘンリー五世」(1944)の第2曲 ファルスタッフの死、イギリス系の作曲家が続くようだが、グレインジャーのイギリス民謡集の第12曲にイギリス民謡によるパッサカリア、またブリテンの4つの海の間奏曲とパッサカリアや、無伴奏チェロ組曲 第3番 Op.87 (1971) 、二十世紀アメリカの作曲家、ウィリアム・シューマンによる交響曲 第3番 (1941) 第1部、ふるいは、デュティユーの交響曲 第1番 (1949-51) 第1楽章、ヒンデミットの組曲「いとも気高き幻想」(1938) 第3楽章がある。
まだまだある。ブロッホの交響組曲 (1944) 第2楽章やオルガンのためのパッサカリア (1944)、これは後に弦楽合奏のために編曲されているし、更にメジャーにところでは、ラヴェルのピアノ三重奏曲 イ短調 (1914) 第3楽章や、リゲティのヴァイオリン協奏曲 (1992) 第4楽章 パッサカリア 、ハンガリー風パッサカリア (1978) "Passacaglia ungherese"などがあげられる。我が国の作品でも、吹奏楽で兼田 敏の作曲した吹奏楽のためのパッサカリア (1971)も有名だ。
結構たくさんあることに気が付くだろう。これらの先駆けとなったのがブラームスであり、ウェーベルンだったのだ。
by Schweizer_Musik | 2005-06-20 15:55 | 授業のための覚え書き
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