B級?否!A級!名演奏家列伝 -8- エリカ・モリーニ
モリーニはヴァイオリン好きでファンがとても多いヴァイオリニストである。ヌヴーやマルツィ、あるいはオークレールなどといったヴァイオリニストとともに今もCDが出ているので、忘れられた演奏家というのはあたらないかも知れないが、この1950年代までに頂点を迎えた演奏家たちは、ちょっとした盲点になっていることが多いので、しばらく集中してとりあげてみようと思う。
エリカ・モリーニは、1904年1月5日、当時のオーストリア・ハンガリー帝国の都市であったのトリエステ(現在はイタリア領)に生まれたヴァイオリニストだ。彼女は、ヴァイオリニストにして音楽学校を経営していた父(ヨアヒムの系列に属していたという)に手ほどきを受け、後にウィーンでオトカール・シュフチクとローザ=ホッホマン・ローゼンフェルトに学び、このウィーンで育った。だからモリーニはドイツ・オーストリア系のヴァイオリニストで、よく言われるようにウィーンの生んだヴァイオリニストである。
同世代のウィーンのヴァイオリニストとしてヴォルフガング・シュナイダーハンがあげられるが、シュナイダーハンが現代ものから幅広いレパートリーを誇ったのに対して、彼女はウィーン古典派からブラームスなどのロマン派の作品に限定した極めて狭いレパートリーを中心に据えていた。もちろん、小品ではクライスラーなども演奏しているが・・・。
1918年、14才の時にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と共演してヨーロッパ楽壇にセンセーショナルなデビューを飾った後、1921年にはアメリカで、メトロポリタン歌劇場で名指揮者ポダンツキーの指揮でニューヨークにデビューした。ロンドンではトマス・ビーチャムと共演したりと、一流のヴァイオリニストとして若くして認められるのだった。
1938年、ナチスによるオーストリア併合によるナチスによる迫害から逃れてアメリカに渡った。彼女はアメリカに渡っても、ヨーロッパと全く同じように、古典の作品を中心としたレパートリーを磨き上げていく。そんな彼女に強く共感を持った名手がアメリカにいた。それはナタン・ミルシテインだった。
自分のヴァイオリン演奏をアメリカで客受けするように変えていくだけならば、この二人には簡単だったに違いない。しかし、そうした安易な道を歩むにはこの二人の芸術家は聡明でありすぎた。新天地で彼らはただひたすら自己のレパートリーを深めることに全てをつぎ込んでいったのだ。
新天地でよく共演した音楽家としてはミルシテインの他に、ブルーノ・ワルター、ジョージ・セル、ルドルフ・フィルクスニーという、時同じくしてヨーロッパから移ってきた音楽家が中心だった。それは同じ辛い体験をした者同士といった安直なことで一緒にやっていたのではなく、もっと深いところで共感し、同じ音楽をやれるという思いからであろう。
1962年に大音楽家のクライスラーが亡くなり、その追悼演奏会がカーネギー・ホールで開かれた時に、ミルシテイン、ジノ・フランチェスカッティ、アイザック・スターンとともに選ばれて出演している。
1976年、ニューヨーク・デビュー55周年を記念したリサイタルを室内楽の名手レオン・ポマーズと開催し、現役を引退した。
1995年11月1日ニューヨークのアパートで亡くなった。彼女の愛器であったストラディヴァリウスによる「ダヴィドフ」は没後、行方不明となっており、現在一万ドルの賞金がかけられている。
彼女は、その実力に比して録音が大変少なく、アメリカ時代のデッカやMCA、ウェストミンスターに録音したものがまとまって出ているだけで、ミルシテインのCDで共演者として名前を連ねていたりするに過ぎない。あと、ブルーノ・ワルターとの放送録音などが、ワルターの遺産として出ていたりするが、彼女の演奏をまとめて聞くのは上にあげたセット(11枚組)が唯一ではないだろうか。
このヴァイオリニストが「最愛の作曲家」と呼んだブラームスの協奏曲の録音は、アルトゥール・ロジンスキーの落ち着いた指揮に、曲に相応しい抒情とスタイリッシュなプロポーションで、彼女の代表的な録音としてあげられよう。彼女のヴァイオリンにはオーケストラの中にとけ込んでいくような、ロマン派のパガニーニなどの技巧的なものとは一線を画するような折り目正しさがある。最新の復刻でCDとなったその録音からは、かつてぼやけたレコードの録音(我が家のプレーヤーが悪かっただけだろうか?)からはわからなかった、彼女の細やかな表情、テクニックが聞こえてくる。
あと、同じブラームスの第2番と第3番のソナタがある。特に後者のフィルクスニーと共演した録音は、この曲の最も優れた演奏としてあげるべきだろう。いくつもの名盤があるが、デ・ヴィートとフィッシャーの名盤、あるいはオイストラフの名演などともにこの演奏の清潔で折り目正しい佇まいは、この曲の最も古典的な名演としての地位を揺るぎないものにしていると言えよう。
同時代の作曲家ブルッフの第1番のト短調の協奏曲はグラモフォンでフェレンツ・フリッチャイの指揮するベルリン放送交響楽団と共演して1958年10月に録音されたものだが、スケールの大きいフリッチャイの指揮に対して細やかな表情と完璧なテクニックで望んだもので、そのバランスは素晴らしいものだ。録音も優れていて今も現役盤として十分に通用するものである。
しかし、こうした協奏曲録音よりも彼女の演奏の性格からして、室内楽がさぞ良かろうと思うのは当然で、フェリックス・ガーリミァ、トランプラーやラースロー・ヴァルガといった名手たちと組んだ弦楽四重奏の録音が残されていることは、ありがたいことだ。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第4番ハ短調、モーツァルトの弦楽四重奏曲第23番ヘ長調 K.590の2曲がある。
2曲の演奏は、どうしてもっと残してくれなかったのかと思うほど、素晴らしいもので、室内楽を知り尽くしたアンサンブルの生き生きとした対話を聞くことができる。聞きながら、我が国の厳本真理を思い出してしまった。
ミルシテインとの共演としてはヴィヴァルディの調和の幻想の中から第11番ニ短調をあげておこう。実は他に録音があるのかしらないので・・・。でも1965年に録音されたこの演奏は、古いスタイルであるとは言え、ややくすんだミルシテインと輝きのあるモリーニの対照が美しく、また、実に折り目正しい格式の高さを感じさせるヴィヴァルディとなっている。これがバッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲だったらなんて思う必要はないほど、このヴィヴァルディは充実している。こんなに良い曲だったかと思うほどで、ぜひ一度お試しあれ。(EMI/ZDMF 0777 7 64830 2 3)
バッハの協奏曲やモーツァルトの協奏曲の録音などもあるし、前述のフィルクスニーと共演したフランクのヴァイオリン・ソナタなどは絶品である。これほどの人だから、やはり今も人気があるのだろう。過去の人として終わらせるには、実に惜しい人である。
by Schweizer_Musik | 2005-08-24 12:36 | 過去の演奏家
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