B級?否!A級!名演奏家列伝 -12- ゲルハルト・ヘッツェル
ゲルハルト・ヘッツェルというヴァイオリニストを憶えているという人は少ないかも知れない。私もそうCDを持っているわけでなく、ブラームスのソナタと、バルトークの2曲の協奏曲、バッハのフルートとバイオリンのための協奏曲を持っているに過ぎない。オーケストラ作品でのソロを担当したものならもう少しあるが・・・。しかし、全くのソリストとしての録音はそう多くないのではないだろうか。なぜなら、彼はウィーン・フィルのコンサート・マスターだったからだ。
1940年4月24日、ゲルハルト・ヘッツェルは旧ユーゴスラヴィアのノヴィ・ヴルパスというところにハンガリー人の父とルーマニア人の母から生まれた。五歳でヴァイオリンをはじめたヘッツェルは1952年からスイスのルツェルンでシュナイダーハンに師事した。ウィーンでも学んでいるのだが、初期のルツェルン音楽祭合奏団のメンバーにも入っていたことは、案外知られていない。1956年から1960年の間のルツェルン音楽祭合奏団の録音には、彼が参加している。
この間、1958年にベルリン・フィルでヴァイオリニストとしてデビューしていると何かで読んだはずだが、ちと記憶が薄れていて、どうだったか詳しくはわからない。
1963年、ヘッツェルはミュンヘン国際コンクールで入賞し、その名前は一気にヨーロッパ中に知られていく。1964年にフェレンツ・フリッチャイがヘッツェルをベルリン放送交響楽団のコンマスへと招いて、フリッチャイの最後のいくつかの録音にヘッツェルは参加している、フリッチャイは間もなく他界するが、彼は1968年までその地位にあった。
1968年からミュンヘン音楽大学の教授となっているが、それ以前より、シュナイダーハンの助手としてマスター・クラスなどで後進の指導を行っていた。だから、彼の弟子というのは、随分多くいる。
1969年に今度はウィーン・フィルがコンマスとしてヘッツェルを招いた。もちろん試験を受けてではあったが、ダントツの成績でこれをパスし、ウィーン国立歌劇場とウィーン・フィルのコンサート・マスターに就任したのだった。彼の師がかつてのウィーン・フィルの名コンマスであったシュナイダーハンであったことを思えば、当然と言えば当然なのだが。
1970年代から1980年代にかけてのウィーン・フィルの録音で、彼のソロを聴くことができる。
カール・ベームとウィーン・フィルとの日本公演にも参加していたし、ベーム指揮のリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」やアバドの指揮したマーラーの第3番、第4番の交響曲でソロを聞くことができる。
また、ミュンヘンで教えていたというつながりもあったのか、カール・リヒターのバッハのBWV.1044のソリストも勤めている。
だが、そうしたことの他に、ウィーンで彼が行ったもう一つの大きな仕事がウィーン合奏団の設立であろう。デンオンに録音したモーツァルトのディヴェルティメントなどの録音で、その素晴らしい演奏を振り返ることができるし、ほかにも数多くの録音を残した。
また、1982年にナタン・ミルシテインが演奏会の数時間前にキャンセルしてきた演奏会のソリストとしてベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲をリハーサルなしで代演。指揮はこのシリーズで以前にとりあげたエーリヒ・ラインスドルフだった。彼は戦後のヨーロッパで活躍したコンサート・マスターの中でもペーター・リバール、ヘルマン・クレバースなどと並ぶ大バイオリニストだったのだ。
1986年からシュナイダーハンのあとを受けてウィーン音楽大学の教授に就任するが、ウィーン・フィルのコンサート・マスターとして、ウィーン合奏団として、多忙を極めていた。
1991年。バルトークの2曲のヴァイオリン協奏曲は、ヘッツェルを代表する名演として長く残すべき名演であると私は考えている。素晴らしい演奏であるという理由の他に、ヘッツェルの録音としては他に1980年のカール・リヒターによるバッハ以外に協奏曲録音がないという希少価値があるからだ。
第2番だけならば、1984年にロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルによるザルツブルク音楽祭でのライブ録音もオルフェオから出ているが、この三枚が彼の協奏曲録音の全てとなっている。
1992年の年明けのニューイヤー・コンサートでカルロス・クライバーの指揮で素晴らしいワルツを演奏していたヘッツェルであったが、この年にはブラームスのヴァイオリン・ソナタを日本のレーベルが録音した。ドイチュの共演によるその録音は、シュナイダーハンなどの録音につながるドイツ楽派のヴァイオリンによる最高の名演の一つであり、これが彼の最後の正式な録音となったのは無念だ。
1992年の7月29日。ザルツブルク音楽祭でのアバドのリハーサルが早く終わったことで、夫人とともに近郊のザンクト・ギルゲンに出かけたヘッツェルはオーベナウアーシュタインに登った。ザンクト・ギルゲンはモーツァルトの姉ナンネルが嫁いだ所で、市役所の前の広場にはモーツァルトの像がある。ザンクト・ウォルフガング湖をわたるとあのミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」でドレミの歌のロケが行われたシャフベルク鉄道があるし、そこの「白馬亭」はオペレッタの舞台となった所。
景勝地ザルツカンマーグートの山は、それほど高くも、険しくもない。しかし、彼はおよそ海抜900メートルほどの地点、ギルゲンからだとロープウェイで上がってそのままハイキング・コースを行ったところで、そう高いところでもなかった。しかしちょっとしたことで事故は起こったのだろう。彼は10メートルほど滑落し、不運にも頭を打った。ヘリコプターですぐさま搬送されたが、そのまま息を引き取ったのだ。
残された録音が多くないとは言え、ウィーン・フィルのアーカイブには残っているのではないだろうか。できればそれらが出てくることを望んで止まない。
by Schweizer_Musik | 2005-09-01 11:22 | 過去の演奏家
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