B級?否!A級!名演奏家列伝 -17- シュヒター
ヴィルヘルム・シュヒターを憶えておられる方は、もうかなりのベテランと思われる。彼がNHK交響楽団の常任指揮者であったのは1959年から1962年であった。たった三年ではあったが、この間に黛敏郎の涅槃交響曲がシュヒターの手によって初演されたし、卓抜したオーケストラ・トレーナーとして知られる彼は、N響のアンサンブルを鍛え直したのだった。
シュヒターは1911年にボンに生まれ、ケルン音楽院に学んだ指揮者で、ヘルマン・アーベントロートなどに師事しているから、晩年、日本でも圧倒的な人気を得ていたヴァントなどと同世代のドイツの指揮者であった。ただ彼の名前も何とONTOMO MOOKの指揮者とオーケストラ2002には載っていない。彼も長生きしていれば、ヴァントのように巨匠として人気が出たかもしれない。しかし、1974年に63才にして亡くなったこともあり、彼が円熟の芸術で世界中を魅了することはなかったのは、返す返すも残念なことである。
私も物心ついた頃にはもうN響の指揮者ではなかった。しかし、コロンビアのダイヤモンド・シリーズという廉価盤のシリーズでシュヒターが指揮したベートーヴェンの第九で私はこの指揮者を知った。CDに切り替えた時に、失ったその録音は、今にすれば持っておけば良かったと思うばかりであるが、はるかな記憶の向こうには、造形を大切にした、かなりしっかりとした録音であったように思う。
で、これまたレコードであったが、私の手元に残っているのは、吉田雅夫氏のソロでモーツァルトのフルート協奏曲の共演でシュヒターが振ったものだ。これはCD化されているので、CDを買っておけば良かったのだが、つい買いそびれたままになっている。
しかし、なんてロマンチックな演奏なのだろう。吉田雅夫CDのフルートが優美の極みであり、シュヒターの指揮するN響がこれ以上なとほどのピッタリとした共演ぶりで、見事だ。
他に中山悌一と共演したハイドンの「四季」の中のアリアやマーラーの「亡き子をしのぶ歌」などが、中山悌一の録音をまとめたものの中に入っていた。歌劇場で鍛えた彼の指揮でこうした声楽作品を聞くのはとても良い経験だった。どれも自然で、十分なブレスで歌を支えるシュヒターの指揮は、声楽の勉強にはうってつけと言って良い。
彼はドイツの地方都市のオーケストラを転任、ヴュルツブルク、アーヘン、ベルリン、ハンブルクといった町の歌劇場などの指揮者を経て、戦後、北西ドイツ放送交響楽団の常任指揮者となった。私が聞いた第九もこのオケを指揮したものであった。1953年にはケルンの北西ドイツ・フィルハーモニーの常任となり、ベルリン・フィルをはじめとするドイツを中心としたオーケストラに客演を活発に行っていた。1957年にはベルリン・フィルの日本公演の指揮者として来日し、それが初来日となった。
そして前述のとおりNHK交響楽団の常任指揮者として三年にわたって日本に滞在することとなったのだ。彼は1962年にドイツに帰るのだが、彼の後任のようにNHK交響楽団の指揮者として迎えられたのが、小澤征爾だった。ただ彼はメシアンの「トゥーランガリア交響曲」の日本初演(1962年7月)などの成果をあげながらも、日本の古いつながりを大切にした組織になじめず、NHK交響楽団からボイコットされる形で日本から出て行くこととなるのだった。
この時、N響の小澤征爾つぶしは徹底していて、1962年末には小澤征爾はカナダのトロント交響楽団からの招きに応じて日本から出ていってしまうのだ。
N響を小澤征爾が振ることは1990年代に至るまでなかった。それは、このボイコット事件が当時のN響に関わっていた多くの人々の起こした事件であり、まだ現役でおられる方もいるのかも知れないが、長い間のトラウマとなってしまったこともある。
今も、日本を代表するこのオーケストラを小澤征爾が積極的に指揮することはない。しかし、環境は大きく変わってきていることもあり、今ではあの歴史的な和解のコンサートを経て、大きく状況は異なって来ているが、小澤征爾も日本だけに関わっているような人物ではなくなっていることもあり、N響はこのボイコット事件によって、世界に羽ばたく千載一遇の機会を失ってしまったことは間違いないだろう。
シュヒターから話しが逸れてしまった。
ドイツの帰ったシュヒターはドルトムント歌劇場の音楽監督に就任した。ドルトムント時代の録音は私は残念ながら知らない。
彼の1950年代はじめの頃の「ローエングリン」は本当に良い演奏だった。フリックのハインリッヒをはじめ当時のドイツの人気テノール、ショックのローエングリン、メッテルニヒのテルラムントなど素晴らしい声を見事にまとめ上げていた。
同じ頃、ゴットロープ・フリックのグリョーミン公爵、セーナ・ユリナッチのタチアーナという魅力的なチャイコフスキーの歌劇「エウゲニ・オネーギン」の録音も所持しているが、これは海賊版なのだろうか?あまり他では見かけない。しかし、素晴らしい名演で、ステレオ盤でショルティの録音を持っているが、この古い録音を私は未だに捨てられずにいる。
もちろんというのもおかしいのだが、地方歌劇場ではオペレッタの指揮は欠かせない。シュヒターもそうした録音を数多く残しているが、私はオスカー・シュトラウスの「ワルツの夢」を推薦しておきたい。(EMI/7243 5 75817 2 1)
1958年1月の録音で、ルドルフ・ショックのテノールをはじめ、心から楽しめる一枚だ。
最近になって、ラインの黄金のライブ録音などがリリースされたりと、決して忘れられた存在とは言えないが、それらは歌手本位でリリースされており、指揮者ヴィルヘルム・シュヒターにスポット・ライトがあてられるものではない。しかし、おかげで彼が得意とした歌劇の録音が聞けるのだから、決して悪いことではないと思う。
ドルトムントで活躍し、その音楽監督として生涯を終えた彼は、これから本当の円熟を迎えるところだった。(放送局のオケの指揮者を長く勤めたから)数多くの録音が残っているはずで、それらがリリースされる日が来るのを、私は待っている。しかし、ONTOMO MOOKですら無視されるようでは、駄目か?
彼の生没年は私の資料でもあるのだが、何日なのかなど、詳しいバイオグラフィーはわからなかった。詳しい方もおられることだろう。ご教示願えれば幸甚です。
by Schweizer_Musik | 2005-09-06 00:20 | 過去の演奏家
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