昔の大音楽家の演奏が好きな私は、演奏のピッチの違いに悩まされること数知れず・・・だった。ブルーノ・ワルター指揮ウィーン・フィルの「田園」(1936年録音)はかなり高めのピッチであったし(オーパス蔵/OPK 2021)、レナー四重奏団の演奏したアイネ・クライネ(1930年録音)はかなりピッチが低い(EMI/TOCE-6718〜20)。
悩ましいのは、シェルヘンが指揮したベートーヴェンの二つの「田園」である。1951年の録音(Westminster/MVCW-18038)ではかなり低めのピッチで演奏されているのに、1958年のステレオ録音(Westminster/UCCW-1049)ではテンポが大幅に速くなり、ピッチはほぼ現在のものになっているのだ。オケは同じウィーン国立歌劇場で、ホールも同じ、レーベルも同じ・・・でもピッチは違う。 古楽器による演奏は半音位低いのが普通であるので、このヘ長調の交響曲はほぼホ長調になっている。当然だ。これではなく、普通のオーケストラ演奏でこんなにピッチが違うのはどうしてだろう。 古い演奏、特に戦前の演奏のピッチがバラバラなのは致し方ないことではある。なぜなら現在のようにA=440Hzと決められたのは1939年5月ロンドンで開催された標準高度の国際会議においてであったからだ。したがってそれ以前の演奏は国によってバラバラだった。 イタリアなどでは、この標準音を守らない場合はオーケストラ・マネージャーや指揮者、コンサート・マスターに禁固や罰金という罰が科せられたと言うから、厳格に運用しようとしていたようだ。 戦争中はともかくとしても、戦後五年以上経ってもまだ、シェルヘンのようにピッチがバラバラというような録音が行われていたのは何だか不思議な感じがする。確かにピッチを多少高くとって方が張りのある音が得られやすい。特に弦楽器にそれは言えそうだ。 ボストン響などは446Hzであるそうだし、私がかつて在籍したY社は全国的に442Hzで教室のピアノが調律されている(ことになっている)。NHK交響楽団も442Hzだそうで、NHKホールの音響を考慮して決定されたと言うけれど、日本のオーケストラのほとんどがこの442Hzに合わせているということは、日本中のホールがNHKホールのような響きだということなのだろうか? ピアノという平均率で調律されたものがオケと合わせるものになると、ピアノの平均率であっても、オケはかまわずならすので、同じ高さに調律されているとしても、オクターブを少し広めにとってオケの鳴りに負けないように調律するそうだ。もちろん調律はピアノにオーケストラが合わせる形ではあるが、オクターブの音程をオケよりも少し広くとるのが常識だそうである。 ノヴァエスのヴォックスに録音した演奏もずいぶんピッチがバラバラで、ピアノという平均率で調律された楽器なのにという不思議な思いがした。大分安く売っていたもので、リマスタリングもかなりいい加減だったから、こうした問題が起こったのかも知れない。しかし、戦前の古い録音などで正確なピッチで出ていたりすると、本当にこのテンポなのと心配になってくる。まっ、これは前にあげたピッチの問題とは関係ないが・・・。 更に、フルトヴェングラーのウラニアのエロイカを聞くとまた悩ましい問題が頭をもたげてくる。 あの演奏、レコードでも何種類も出ているし、CDでも何種類か出ている。原盤はロシアにあるらしいのだが、その原盤をテープに起こしたものが西側に流れて、それがレコードやCDになっていたらしい。で、この演奏、ピッチがバラバラなのだ。修正を加えている物が混ざっている証拠で、演奏時間も違う・・・。悩ましい問題だ。ことはテンポに関わるところで、ゆったりとしたテンポにとっていたのかどうかすら信頼できる情報はない。私はとりあえずロシアの新世界から出ているCDを所持してそれでいいことにしている。実は八種類ほどあるのだが、もうこんなことで迷ったりするのは止めようと思っている。 しかし、自分の人生観を変えたほどの名演奏だけに、今も新しい盤がどこかのレーベルから発売される度に心が揺れてしまう。 更に時代を遡れば、19世紀以前では422Hzあたりから445Hzまで幅があったと言う。この意見については更に低いピッチの存在も指摘されているので、下が422Hzよりも低い所もあったようで、そういう演奏のCDも実際にある。(392Hz・・・ヘンデルあたりがこのピッチだったらしい。 ただし、この辺りの時代で、Aを基準音にするのはいかがなものかとも思う。当時はC音を基準としていたそうだからである。C音から調律していくと、チェンバロなどは良いそうだ。 オルガンは、今日はこのピッチでいこうなんてことが出来ないのは当たり前。建造当時の姿に丁寧に修復された古いオルガンの演奏を聞くと、この古い時代のピッチがどんなものだったかがわかる。 私が好きなバーゼル近郊のアーレスハイムの大聖堂のオルガンは半音ほどピッチが低い。作られたのが18世紀だから当然のことだろう。ジルバーマンのオルガンの特徴であるミーン・トーンという調律方法で建造されたこのオルガンの華麗な響きはライオネル・ロッグのバッハオルガン全集(HM/HMX 290772〜83)で聞くことができる。 とは言え、ジルバーマンのオルガンでもストラスブルクのサン・ピエール・ル・ジュヌ教会のジルバーマン・オルガンは、あのヴァルヒャのアルヒーフの全集の中で使われたオルガンなのだが、現代のピッチにかなり近いものがある。もちろん正確に私にはわからないが、平均率ではなさそうである。 ジルバーマンでもゴットフリート・ジルバーマンが1710年から1714年にかけて建造したドイツのフライブルク大聖堂のオルガンは現代のピッチからしてもかなり高めで、半音の半分くらい高い。ドイツの古いオルガンはこのコアトーンと言われる高いピッチが結構多い。CD初期にデンオンから出たハンス・オットーの演奏で、このオルガンをはじめて聞いた時には大変驚かされたものだ。(DENON/C37-7004) だから、クリストファー・ホグウッドやトレヴァー・ピノック、ジョン・エリオット・ガーディナーが指揮する古楽器によるオーケストラ演奏のピッチが半音ぐらい低いカマートーンで演奏されているものが多いのは当然だろう。アーノンクールのバッハのカンタータの録音はほぼ全音低いティーフカマートーンを採用しているので、ちょっと驚くかもしれない。 古楽器のオーケストラでも、インマゼールの指揮するアニマ・エテルナ・オーケストラは、現代楽器と同じピッチで演奏している。 こういう音楽を楽しむ時、自分は絶対音感でなく相対音感だけで本当に良かったと思う今日この頃である。ちなみに私は固定ドではなく移動ドである。小学校から中学校にかけての音楽の授業を極めてまじめに受けた結果だ。 移動ドが良いとか、固定ドが良いとかいう論争は長く行われているが、またいつかこの事について書かせていただこう。中には全く的はずれを思いっきり断言している「勘違い」さんもいるので・・・。
by Schweizer_Musik
| 2005-10-06 10:58
| 音楽時事
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