無調への道、1910年代から1930年代の前衛 -2-
二十世紀初頭に調性が最後の断末魔の呻きをあげていた時、新大陸では新しい音楽が力強い産声をあげていた。それはジャズであり、タンゴであった。
この時代、ジャズもタンゴもあまり大して違いはなかった。ヨーロッパ人からすれば、どちらもダンス・ホールの音楽であったが、ラヴェルやストラヴィンスキーといった新しいものに目がない人達がこの新大陸の音楽に飛びついたのは当然のことだった。
シェーンベルクたちの過激な方向には抵抗を禁じ得なかった作曲家たちも、この新大陸の音楽には大いに魅力を感じたようだ。
ストラヴィンスキーの「兵士の物語」はそんな中で生まれた音楽である。
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この音楽は「兵士の物語」の中で演奏されるタンゴである。ヴァイオリンのソロで演奏される、重要な音楽である。誤解してはいけないのは、ストラヴィンスキーはジャズやタンゴを聴いたわけではなかったこと。ジャズ的でないとか、タンゴさてこんなのじゃないと言っても、全く責任は持てなかった。ではどうやって彼らはこの音楽に出会ったのか?

実は1916年にディアギレフのロシア・バレエ団がアメリカへ興業の旅に出かけた。この時のオーケストラの指揮者に選ばれたのが若き日のアンセルメで、彼はアメリカでいくつかの録音をこのロシア・バレエ団のオーケストラとともに残しているが、そのアメリカでジャズを始めとして数々の新しい音楽の楽譜を買い込んでヨーロッパに帰っていったのだ。
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同じ作品の中のマーチのスコアの一部であるが、これなどはジャズからの影響を強く感じられる。もちろんジャズだという意識は、ストラヴィンスキーにはなかったはずだ。それにしても1918年のことなのだ。モダン・ジャズとは全く異なるし、この時代にはタンゴとジャズの違いもはっきりしていなかったのだから、それを前提に理解しなければならないだろう。
このジャズの影響は、ラヴェルにおいて、もっと色濃く出ている。少し前のエントリーで「ボレロ」の分析を行ったが、その中のBテーマはブルー・ノートをとり入れているのだが、この他にもこうした作品は数多く存在している。
2曲あるピアノ協奏曲もそうだが、最も典型的にジャズをとりいれたのはヴァイオリン・ソナタであろう。

ジャズは1920年以降、本格化する新古典主義の音楽家たちも先を争って取り入れていった要素であった。ガーシュウィンの大成功をみた作曲家たちは、ジャズはトレンドと化していたようだ。
ルーセル、ミヨーなどから、後に本格的になったクルト・ワイルなどもこうした中で出てきた音楽家たちであった。

まだまだ続く・・・。
by Schweizer_Musik | 2005-10-13 20:23 | 授業のための覚え書き
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