アイヴス作曲「宵闇のセントラルパーク」の分析
アイヴスは1874年に生まれたアメリカの作曲家。「ドレミのために飢えるのは嫌だ」と言って、銀行家という「本業」を持ちながら、それ故に先鋭で実験的な作品を数多く残した。
彼の音楽はどれも興味深いもので、アマチュア作曲家だなどと言っていたら、大変なことになる。彼は全くのプロフェッショナルな作曲家であり、二十世紀の音楽に大きな影響を与えた偉大な音楽家であったのだ。

その彼が作曲した「宵闇のセントラルパーク」は1906年、作曲家32才の時に書かれた作品である。ガーシュウィンはまだ八歳だったはずだ。アメリカらしい音楽はガーシュウィンにはじまるなどというのは、この曲を聞けば嘘だとすぐにわかる。

前置きはさておき、曲を見ていこう。曲は弦楽による10小節のフレーズを10回、何の変化も与えないままにひたすらpppで演奏する上に、色々な音響が割って入って来て、やがて消えていくという形をとっている。したがって、古典的な三部形式とかいうのではなく、敢えて言えば変奏曲形式に近いと言える。その弦楽のフレーズをつぎにあげておこう。
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まず最初にこの弦楽による音楽を詳しく見てみよう。
リズムからこの音楽を見ると、二分音符などの長い音符が中心の音楽からやがて四分音符、そしてその五連符で最も動き、やがて二分音符中心のフレーズへと静まっていく。
音高で言えば、五連符の前に高いD音が出てきて、音高での頂点を築く。その部分で4度跳躍が出てきて、五連符で増4度跳躍が行われ、音楽的にもこのあたりが10小節のフレーズの中でのクライマックスを作っていると言えよう。
ハーモニーは長三度と増4度を組み合わせた、不協和な冒頭部分から、やがて4度構成のハーモニー、あるいは五度構成のハーモニーで彩られている。これにより、調性感は全くとは言えないまでも極限まで排除されているのだが、この音楽をアイヴスが1906年に書いているということは、驚異でしかない。このハーモニーは遠く、武満徹の弦楽のレクイエムにそのかすかなエコーが聞こえるというのは言い過ぎだろうか?
また武満が「弦楽のレクイエム」の中で、連符を多用し、拍節感を敢えてぼかしているところにも、この曲のエコーを私は聞くのだが、これもこじつけなのだろうか。音楽の元となっている文化的背景は全く異なるものでありながら、私は偶然とは思えない遠いエコーを感じている。
ところで、この武満徹の「弦楽のためのレクイエム」は音楽評論家の故山根銀二氏が「音楽以前である」と酷評を下したことでも知られる。その直後、ストラヴィンスキーが来て、絶賛をして武満徹が世界に羽ばたいたことは、誰もが知っていることだ。
こうした過ちを、私もしたくないものだと、つくづく思う・・・。

さて、この音楽は最初は弦楽だけで演奏される。(第1回)
2回目は、この弦楽に乗って、クラリネットの低音(シャルモー音域)を使って、重いフレーズが聞こえる。
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3回目はクラリネットのメロディーに最後でフルートが少しだけかぶる。
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4回目はこれにオーボエが加わり、更に十六分音符など細かなリズムになり、ぼんやりしていたフレーズの輪郭がすこしずつはっきりしてきたところだ。
宵闇の中で少しずつ目が慣れてきたのだろうか。あるいはセントラル・バークから響き渡る音が近づいて来たのだろうか?
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そして、5回目は弱音器をつけたヴァイオリンに続いてピアノが加わり、響きが夢見心地から次第に現実的になっていく。
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さて、続く部分は、再びクラリネット一本となり、宵闇は更に深まる。次第にではなく「グン」と深まる感じがここにはある。しかし、宵闇が深まれば歓楽街の楽しげな音が次第ににぎやかになっていく。
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続く第7回目はアイヴスの斬新さが最もよく出ている部分である。弦楽を除いて他のバートは拍子もテンポも代わってしまうのだ。小節線は、縦がどんどんずれていくし、その上途中でテンポが変わる。しかし、弦楽の部分だけは素知らぬ様なのだ。
第二次世界大戦後の作曲家たちなら、この位のことはやっただろう。だが、アイヴスはこれを第一次世界大戦前に行っているのだ。この斬新さ!!
管楽器とピアノで行われる音楽は、当時流行っていた酒場の音楽であり、ニューオリンズ・ジャズの音調をベースにしており、ピアノはラグタイムを奏でている。そしてそれぞれの調性がぶつかり、ミヨーなどの多調性の先駆けとなっているのだ。
ラグタイムなどが、ストラヴィンスキーやミヨーなどの作品に影響を与え、そうした作品が作られたのは1920年代である。
更にガーシュウィンらが行ったジャズとクラシックの融合が行われたのは1920年代後半から1930年代にかけての話だ。
その20年ほども前に、アイヴスはアメリカの独自の音楽の方向性を指し示していたのだ。恐るべし!アイヴス」である。第7回目と第8回目がそれに当たる。全部は大変なので一部を次にあげておく。
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ちなみに、こういう賑やかな描写が64小節目から118小節目まで続く。拍子も2/4拍子になりテンポもPiu mosso から Allegro con spirito、そしてpoco accel.がかかり、Allegro moderato に移り、再びaccelして、上の楽譜のAllegro spiritoに再びなって Stringendo、Allegro vivace、そしてAllegro molto、Con fuocoと盛り上がりトランペットやパーカッションも加わりトゥッティとなり最高潮に達するのだ。
この間、聞こえようと聞こえまいと、弦楽器は最初にあげた譜面をただひたすらpppで演奏し続けているのだ。全く別の音楽が同時に進行する面白さ。こんなアイデアをどうやってアイヴスは思いついたのだろう。そして当時の人々はこれをどういう風に理解し、受け入れていったのだろう。

音楽は、そのまま一気に静けさの中に舞い戻る。
9回目はクラリネットのソロで、最後の10回目はフルートにヴァイオリン・ソロが静かに加わる。この時のヴァイオリン・ソロはハーモニクスを使った高音域で歌い上げるが、闇の中に吸い込まれるようにこの響きが消えていき、音楽はppppの中に終えるのだ。

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この曲をはじめて聞いたのは、大阪フェスティバル・ホールで、小澤征爾指揮サンフランシスコ交響楽団の演奏会だった。他にも色々演奏したはずだが、この曲しか憶えていない。それほど強烈な印象を受けた一曲だ。だから小澤征爾がボストン交響楽団を指揮した一枚が私にとってのデフォルトとなっている。
都会のざわめきが、これほどまで洗練されたユニーク極まるスコアに結実するとは!
この一作だけでもアイヴスの名前は永遠のものであろう。またこの曲を代表作などというのは、あまりに無理があるが、あくまで私のアイヴス入門の曲として紹介したものである。ご容赦!
by Schweizer_Musik | 2005-10-17 01:10 | 授業のための覚え書き
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