石丸寛指揮のドイツ・レクイエムを聞く
石丸寛氏が亡くなられたのは何年前だろう。
私は石丸氏の演奏はクラシックでなくポピュラー音楽で出会った。
千趣会のレコード頒布で映画音楽などをポップス・オーケストラのアレンジして演奏しておられたのだが、そのことを知っている人はどれほどいるだろうか?今聞いてもとても上手いアレンジで、さすがオケの指揮を長年続けておられるだけのことはあると思ったものだ。ゴールドブレンドコンサートを長くやっておられたので、その守備範囲の広さとクラシック音楽を広く大衆のものにする活動を地道にやって来られた、大変立派な方だったと思う。
1997年に指揮生活45周年を記念して、東京交響楽団と晋友会合唱団などによってブラームスのドイツ・レクイエムを演奏し、それがCDになったことは、音楽ファンなら憶えておいでであろう。
久しぶりにそのCDを取り出して聞いていて、この石丸寛という指揮者の遺言のような演奏に引き込まれてしまい、途中で止められなくなってしまった。オケはやや問題がある。やはりテンシュテットやハイティンク、プレヴィンなどの名盤に比べるとやはり響きの点であと一歩とも思う。しかし、音楽を包むオーラのようなものが私にストップ・ボタンを押させないのだ。
この曲の核心は第2曲にある。ここをどう乗り切るのかが関心をひくのだが、あまり葬送の音楽のように陰鬱にやりすぎてもこの作品全体を覆う優しい響きが損なわれることになる。
敢えて言えば、第2曲にその葬送の足音が響いているのだが、その足音はすぐに終わり、「ペテロの手紙」から「人みな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る」という歌へと繋がるのだ。「人みな草のごとく」と歌い始めこそ、葬送の響きを保っているが、やがて音楽は栄華の香りを歌い始める。低音では葬送の響きは持続していているが、「だから兄弟たちよ、堪え忍べ」と「ヤコブの手紙」を歌い始めると葬送から呼びかけへと音楽は悲しみを押しのけようとするが、再び最初の葬送の響きが戻ってくる。
「あなたの住まいの何と美しいことか」と歌う第4楽章の心からの憧憬を湛えた晋友会合唱団の歌の何と自然なことか!
この作品、ブラームスが母の死を悼んで書き始めた曲であった。死を悲嘆と慟哭で描くのではなく、母への憧憬が穏やかで優しい響きを生み、声を張り上げて嘆いてみせるようなところは全くない曲である。
あまり語られないことではあるが、ブラームスはこの曲の大半をスイスで書いている。あの穏やかで広々としたチューリッヒのチューリッヒャーベルクの森を散策しながら、この作品を書き上げたのだった。
あの牧歌的で静かな環境からこの美しい音楽が生まれたのだ。力業で音楽を制しようとするとすぐに失敗してしまうような、演奏する物の心を試すような恐ろしい音楽だと思う。
そして石丸寛氏はそのブラームスの試験に見事な答えを出したと言えよう。この後、まもなくして彼は癌のために亡くなった。惜しみてあまりある音楽家であった。

この偉大な音楽家のテスタメントに推薦だとかつけるのはあまりに不謹慎であると思う。無印は最高の音楽の証であると考えてもらいたい。

BMG/BVCC-1514

晋友会合唱団と書いたが、栗友会合唱団の誤りでした。motteninさんのご指摘、感謝です。
by Schweizer_Musik | 2005-10-30 21:31 | CD試聴記
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