リヒャルト・シュトラウスのオーボエ協奏曲
Yurikamomeさんがシュトラウスのオーボエ協奏曲について書かれていた。コメントをしようと思ったのだけれど、あまりに好きなこの曲について書き始めたら、止まらなくなってしまったので、こちらに書いて、リンクを張ることにした。
c0042908_21482295.jpgシュトラウスのオーボエ協奏曲は作曲者が八十歳を越えて書いた作品群の中でも最後の4つの歌曲や二重協奏曲とともに、この作曲家が老齢に達してようやく澄み切った美の世界に到達したことを示す傑作であると思う。
ナチスと一定の距離を持っていたとは言え、ドイツ人シュトラウスもそれが問われることには変わりがない。カラヤンのようにナチの党員であったのでもなく、1935年にナチと対立して帝国音楽局総裁を辞任したり、自作品の公演を妨害されたりと、色々とあったことは事実であるが、シュトラウスにとって戦争によって美しい祖国が瓦礫の山と化して行き、多くの人々の死に出会うことは大きな悲しみでもあった。
メタモルフォーゼンはそうしたシュトラウスの悲しみと絶望の中から生まれた音楽であった。ベートーヴェンの「英雄」の第2楽章の動機を使ってのそれは、ドイツの誇りへの葬送でもあった。
これを、戦後、フルトヴェングラーが復帰してまもなく、ベルリンで取り上げていて、その録音がグラモフォンから出ている。その絶唱とも言うべき絶演は、時を経て今も我々の心をかきむしる。

ヘッセはシュトラウスが嫌いだった。ヘッセはナチスと強く対立した文豪で、ナチス・ドイツではヘッセの書いたものは発禁であったという。戦争中の苦しい時代もヘッセは変わらずナチス・ドイツを攻撃し続けた。そうしたヘッセにとってシュトラウスはおそらく「どうしても許せない存在」だったのだろう。
音楽の好みもまた、シュトラウスのような大がかりな見得を切るような音楽はシュトラウスの好みではなかった。ちなみにヘッセはバッハとモーツァルトを特に好み、ベートーヴェンはあまり好きでなかったと言う。
シュトラウスが最後の4つの歌を書くにあたって、ヘッセの詩を選んだのだが、ヘッセは音楽をつけることは快く許可している。
ちなみに、ヘッセは相手がどんな作曲家であっても許可している。人から自作の詩に音楽をつけることをどう思うかという質問に対してヘッセは「下手な音楽をつけられたからと言って、詩人は何の迷惑も被らない」と答えている。
だから、シュトラウスのあの美しい最後の4つの歌に対しても、ヘッセは全く興味を示さなかったそうだ。ただシェックだけが、その詩の意味を深く理解し、相応しい音楽をつけたとして、大変高く評価していた。

話が横道にそれてしまった。
シュトラウスは1945年にドイツ、バイエルン地方のガルミッシュ=パルテンキルヒェンの村の自宅にジョン・ド・ランシーという若いアメリカ兵の訪問を受ける。彼はオーボエ奏者であった。ランシーは老作曲家を深く尊敬しており、彼は「ぜひオーボエのための曲を」と老作曲家に駄目もとで頼んだら、なんと彼は快諾する。
1945年にガルミッシュで終戦を迎え、十月八日にスイスに居を移し、チューリッヒ近郊のバーデンに居を構えた。名前からわかるようにここはリマト川に臨む温泉地で、静かな環境をシュトラウスに与えたのだった。
昨年、私もこのバーデンを訪れたが、春まだ浅い三月半ばの暖かいある日、駅から旧市街の方に歩いていくと、何やらお祭りがあったのか、大変な人出で驚いたものだ。リマト川まで歩いて、川沿いの町並みを撮影したのが上の写真である。

さて、ここでランシーの求めたオーボエの作品にとりかかったシュトラウスは、1946年に完成した。しかし、ランシーは初演を行うことはできず、結局1946年4月16日にチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団で、フォルクマール・アンドレーエの指揮、マルセル・サイエを独奏者として初演が行われる。
ランシーはこの曲については不運で、アメリカ初演もできなかった。ランシーは当時フィラデルフィア管弦楽団の首席オーボエ奏者であったが、確かニューヨーク・フィルハーモニックの首席奏者が初演を行ったはずだ。
しかし、録音は残されている。共演はウィルコックス指揮のおそらくはロンドンのフリー・ランスの奏者を集めて録音されたと思われるそれは、この曲の最良の演奏の一つでもある。
世評の高いハインツ・ホリガーの演奏は私は買わない。いや、私は彼の作曲家としての才能と業績、またオーボエの演奏領域を極限まで広げて、その可能性を示した点で高く評価するが、彼のオーボエはあまりにチャルメラみたいな薄っぺらな音で、好きではない。こればかりは好みなので許されたい。2種類ある彼の録音(VOX/CDX 5136)でのギーレンとの録音はかなり非道い状態だが、もう一つのフィリップス盤でのデ・ワールトとの共演した演奏はなんとか我慢できる範囲にとどまっている。
また、ケンペの全集でのマンフレート・クレメントは美しい音を持っていて、決して嫌いではないが、若干テンポが不安定で、技術的な不安を感じずにはいられない。
というとどの演奏がいいのかと言われれば、今もってローター・コッホのオーボエ、カラヤン指揮ベルリン・フィルの1969年9月の録音を越えるものを私は聞いたことがない。コッホのこれは代表的な名演であるだけではない。これ以上は無理と思わせるほどの美しさ、フレーズの自然さ。そして伸びやかな歌。オケのオーボエの室内楽的な絡み。正に神業である。
これと、この曲に関わった名演奏家ド・ランシーの演奏を持っていれば、クレメント盤にケンペの指揮という魅力でちょっと後ろ髪を引かれながらも、後は私には必要なしである。

yurikamomeさんの記事 : R・シュトラウス作曲、オーボエ協奏曲

追記・・・これを書いてから、すっかりディヴィッド・ジンマンのアルテ・ノヴァのシリーズで、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の名手フックスの録音があったことを思い出した。あれはコッホ以来の名演だった。私はコッホであまりに満足しているので、つい他の演奏を忘れてしまっているようだ・・・。批評の資格なしだな。
by Schweizer_Musik | 2006-02-19 21:36 | 原稿書きの合間に
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