管弦楽法・木管編 (Flute)
一般的なフルートは次の音域を持っている。
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但し、最低音はもう一つ低い音まで出るものもある。例えばマーラーの第4番の交響曲などはそれを前提として書かれてあるので、最低音がH音になっている。
また音域によっては演奏が不可能なもの、あるいは極めて困難なものがある。次のトリルは原則として書いてはならない。
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オーケストラの中で使われるフルートの役割は様々であるが、やはり華麗なソロをまず紹介しなくてはならない。
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これはベートーヴェンの「レオノーレ」序曲第3番の中の有名なフルートのソロである。低音から高音にかけて、幅広い音域を駆けめぐるこの部分は、フルート奏者にとって過酷な要求をつきつけているが、ただ難しいだけでない品格の高さが存在する。オケの入団オーディションの定番でもあるそうだ。
次の用例はカデンツァであるが、フルート協奏曲などではなく、交響曲の中に出てきたカデンツァである。シューマンの交響曲第1番「春」の終楽章の再現部の直前にこのカデンツァは置かれているが、これはやや例外的であろう。
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低音域は太く、豊かな響きを持っているが、音量は得られない。従ってフルートの低音域にメロディーを与える場合は、伴奏を薄く書くか、全く動かさないか、あるいは無伴奏にするかしないと全く聞こえないということが起こりうる。
次のドビュッシーの小舟にての中間部から再現部へ戻るところで出て来るフルートの最低音域でのパッセージはクラリネットとハープのフラジオレットだけで背景が作られている。ビュッセルの冴え渡ったオーケストレーションが味わえる部分だ。
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近代フランスの作曲家たちは、このフルートの低音を偏愛した。ドビュッシーの名作をあげておこう。
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これに似た始まりを持つ作品がイベールの「寄港地」の第一曲「ローマ〜パレルモ」である。
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フルートの中音域は美しく整った響きで、メロディーを演奏させるのに適している。それと低音を組み合わせたラヴェルの「マ・メール・ロワ」のパヴァーヌの冒頭部は、中音域から低音域にかけての冒頭の4小節につづいて、この低音域にオブリガートが与えられて、もう一本のフルートに高音域のメロディーを与え、見事な対照(光と影)が描かれる。
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こうした対照をさらに推し進め、ストラヴィンスキーの詩篇交響曲(1930/1948改訂)の第2楽章の冒頭、フガートでオーボエとフルートが主題を歌い始めるところでこのフルートの高音と低音の対比が使われている。
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こうしたフルートの低音への偏愛はフランス近代特有のものというのは明らかに誤りで、ウェーベルンのオーケストラ作品にも顕著な傾向である。しかし、19世紀にはやはり中音域から高音域での使用が一般的であり、それは晴れやかで美しい効果をもたらしている。
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このドヴォルザークの第8交響曲の第1楽章の前奏でのフルートは、主題の予告として特に重要な部分で使われている。私には、ベートーヴェンのレオノーレの遠いエコーに聞こえるのだが、如何だろう。
フルートの高音域はどうなのだろう。最高音は一応4点Cであるが、このあたりの音域となるとコントロールが大変難しくなる。特にppでの演奏は困難を極めるのだが、マーラーは第九交響曲の第1楽章の終わり近くで次のフレーズをフルートに与えている。
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フルートの最高音域に偏重が聞かれるのはプロコフィエフの古典交響曲。その第1楽章の展開部でマーラーと同じ4点Cがpで出て来る。
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しかし、あまり高音になるのであれば、ピッコロでやった方がずっと効果的であるし、何と言っても安全である。オーケストラでは二管の場合は第2奏者、三管の場合は第3奏者が持ち替えで担当することが多い。従ってスコアではフルートの下に書かれることも多い。持ち替えの場合は数秒の間を与えないと不可能となるので、必ず休符を持ち替えに要する時間だけ与えること。
ピッコロの音域を次のあげておく。
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これは移調楽器で、記譜された音よりもオクターブ上の音がなる。極めて軽快で細かな動きにも適している。
ピッコロがソロで用いられることはあまりないが、チャイコフスキーの交響曲第4番の第3楽章で華やかなピッコロのソロが出て来る。
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フルートとオクターブなどユニゾンでピッコロを使うのが最もよく行われている。次はリムスキー=コルサコフのシェエラザードの第2楽章での用例である。尚弦楽部は省略してある。
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メロディーにピッコロを重ね、その効果を更に強調するためにXylophoneを重ねた用例がハチャトゥリアンの「剣の舞」である。
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こうした例は数多くある。チャイコフスキーの交響曲第1番の終楽章にも同じような用例が出て来る。もちろんXylophoneは出てこないが。転調して明るくなって盛り上がるところでstringendoと指定されたあたりである。
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ピッコロはこうした使い方が一般的で、あまりソロとして使われることはない。音がたちすぎるというか、目立ちすぎるため、バランスがとりにくいということもあるし、そんな高音でメロディーを歌わせる必要があるのかという問題もある。
確かミヨーの「ルネ王の暖炉」の中で使われていたはずだが、スコアを紛失してしまい、確認できなかった。
チャイコフスキーのオーレストレーションに対する抜群のセンスがこの初期の作品のあちらこちらにもちりばめられている。交響曲第1番は知られた作品ではないものの、決して駄作ではない。
この終楽章の冒頭でのフルートの低音の使い方は独特の味わいを持っていて、聞く度に感銘をうける。
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少し、特殊なやり方に偏ってしまったので、古典派のオーケストラ作品でのソロなどを除く一般的なフルートの使い方としてのユニゾンについて紹介しておこう。
ハイドンの交響曲などでよく使われる方法としてヴァイオリンとフルートの同度でのユニゾンがある。次の有名すぎる交響曲第101番「時計」の第2楽章での変奏にフルートとバイオリンの美しいユニゾンがある。
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オクターブにこれが広がるとどうなるか?その疑問に対して、同じハイドンの交響曲第102番の終楽章から例をあげておこう。
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オクターブ・ユニゾンから同度のユニゾンへと移っている。
実際にはトゥッティにおけるヴァイオリンとフルートのユニゾンは古典派の時代のオーケストラ作品ではどこでも聴かれるやりかたであった。しかし、時代が進むにつれて対比的に扱われることが増えてきた。というより、木管の役割が増えてきたのだ。
次のベートーヴェンの例はオクターブ・ユニゾンでもただ音色を変えるという以上の何かが込められているように思われる。
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ベートーヴェンのこの交響曲第1番(第2楽章からの引用)は、ハイドン的と言われることがあるが、このようなちょっとした推移部でもハイドンのオーケストレーションからもっと大きな、そして強い表現を行っていることは間違いない。
もちろん、ハイドンもこうしたオクターブ・ユニゾンも多用している。オクターブ・ユニゾンになると、2声の響きの違いが強調され、より広がりが出て来ると思う。
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これをプロコフィエフが「古典交響曲」でやっている。彼はこの作品で構成の上でも古典派の巨匠たちに挨拶を送ったのだが、オーケストレーションの上でも敬意を払っている。
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音域的にオーボエやクラリネットと絡むことが多いフルートであるが、意外とファゴットと絡むというのをモーツァルトは好んでいたようで、これがとても効果的だったりもする。
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この曲は「ジュピター」の名で知られる最後の交響曲の第2楽章の第1ページからの引用であるが、こうしたフレーズはモーツァルトのスコアをひらくと、すぐに見つけることができるだろう。しかし、このパターンをチャイコフスキーが交響曲第1番の第1楽章冒頭で使っているのを発見して、この作曲家がモーツァルトを深く愛していたことを思い出して、ちょっとほほえましい思いにかられたものだ。
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ピッコロとファゴットが3オクターブのユニゾンで実に面白い、滑稽な響きを作り出した人がいる。イッポリトフ・イワーノフである。彼の組曲「コーカサスの風景」の第4曲「酋長の行進」で次のようなところが冒頭に出て来る。
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簡単な音楽に聞こえるだろうが、この時の伴奏をしているホルンのボイシングに注目されたい。ファゴットとぶつからないように、細心の注意をもってこの滑稽そうな、それでいて堂々とした音楽を伴奏している。
ところで、このモードによるフレーズに、先頃惜しくも亡くなられた伊福部昭の音楽に近い何かを感じるのは、私の空耳だろうか?

フルートは管楽器であるからスラーを書くと、タンギングをしないでつなげて演奏する。逆にスラーを書かなければ、タンギングをするのでマルカート気味になる。もちろんマルカートを書いておけば更に明確に音を切って演奏してくれるだろう。
鍵盤楽器出身の者にとってこのスラーがかなりやっかいなものとなる。大体フレーズを表すものとしてスラーが体験的にしみついているからであるが、スラーを書きすぎた管楽器のスコアからは、ダラダラとした音楽ばかりが聞こえてくることも少なくないので、特に気をつけること!
タンギングと言えば、19世紀末から使われるようになったフラッター・タンギングもフルートの得意技の一つで、知っておくと良いだろう。所謂巻き舌による演奏。リードを口の中に突っ込まないフルートと金管楽器が得意で、クラリネットやオーボエなども出来ないとまでは言わないが、やはり不得意な分野で、敢えてこれらの楽器でフラッター・タンギングをしなくてはならない余程の理由がないとやる意味はない。
ラヴェルのラ・ヴァルスの始まってしばらくしてフルートのフラッター・タンギングが出て来る。
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次はウェーベルンのオーケストラのための六つの小品Op.6の第4曲である。これは1909年に書かれたオリジナル版。1928年に改訂されて、フルートにクラリネットが重ねるという変更がされていることも付記しておきたい。
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同じ頃、管弦楽法の天才、ストラヴィンスキーもこの技法を取り入れている。その中からバレエ音楽「火の鳥」(1910年版) の第1場イワン王子に捕らわれた火の鳥から。
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時代が下って、バルトークの傑作「管弦楽のための協奏曲」の冒頭にもこのフルートのフラッター・タンギングが使われている。詩的で幻想的なその響きに、この技法が20世紀はじめ頃から使われだして、わずか30年か40年ほどで市民権を確立したことを教えてくれる。
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次の例はシュトラウスの家庭交響曲の第1部からのものであるが、フルートのフラッタータンギングに続いてクラリネットのフラッタータンギングが続き、大変美しい半音階のスケールの連続となっている。ほんの一瞬の出来事なのだが、大変な効果である。
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こうした新しい奏法、響きを探求する中から、吹きながら声を出す武満徹の「ヴォイス」や、尺八のような表現を求めた福島和夫の「冥」などの名作が生まれた。これらはフルート独奏のための作品で、ドビュッシーの「パンの笛」などからヴァレーズのデンシティ21.5(密度21.5)(1936) などを研究するべきだろう。
by Schweizer_Musik | 2006-02-27 17:20 | 授業のための覚え書き
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