十二音音楽は無味乾燥か?
12音音楽が非情緒的で、無味乾燥な音楽だという意見がある。私がかつて仕事をしていた某財団の本部のエライさんがそうだった。娘が通っている某芸大の作曲の卒業生でもあるその人たち(何人もいたので)の話が、私には理解できないことだった。もう二十五年以上昔の話だ。
常に、こうした無理解があったようだ。ウェーベルンの音楽をカラヤンが指揮をして録音するなど、今ではそんなことを考える人はいないと信じたいが、意外なほど作曲をやっているという人達にこれが多いのもまだ事実だ。
今時、十二音で作曲するというのも、ちょっと時代錯誤のような気がしないでもない。確かにメシアンなどが切り開いた地平があり、ブーレーズなどのセリエルな音楽は戦後の前衛を支えた理論的基盤でもあった。
六十年代になり、ケージやクセナキスなど新しい流れが出てきて12音音楽は時代の先端からは更に遠くなっていった。とは言え、アカデミックな、前衛とある程度距離を置く作曲家たちは、十二音と自己の語法との折り合いをつけて新しい自分の言葉(音楽のスタイル)を確立していったのも六十年代から七十年代であった。
上記の無理解というか無知な作曲家崩れの人達は、無調も旋法も理解していなかったという衝撃的な事実がある。これではとても十二音を理解できないだろう。

十二音が無味乾燥という人達は、音楽をかなり情緒的に聞くようで、そうしたものが十二音にないというのだそうだ。ベルクのヴァイオリン協奏曲は十二音音楽ではないようだ。あの曲を聞いて、胸を締め付けられないとしたら、感性が機能していないと思う。
十二音の技法を使いながら、調性的な情緒を感じさせる音楽はあり得ないという人のために、次の音楽を作ってみた。
Finaleというソフトで作ったデータをそのままmp3にしただけなので、音楽の大体の様子がわかる程度のものだが、情緒がないとは絶対に言わせないつもりで作った。曲名は悲歌である。良かったらTOKUBI_Elegy2006.mp3というファイルをダウンロードして聞いてみてほしい。三分半程度の簡単なもので、調性と十二音の関係を説明するために昨日一日で作ったものだ。

今回は大奮発!スコアを公開してしまいます。但し作曲者たる私に無断で公開演奏、出版、転載など一切を難くお断りしますので、悪しからずご了承下さいますようお願い致します。
まず基本となった十二音の音列表から・・・。
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まず上から四段が基本音列を12、そして続く四段が反行音列である。
あくまで、説明用の作品ながら、一日かけてしまった木管五重奏のための「悲歌」(2006)のスコアがこれ。
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以上のスコアから分かるように、厳格な十二音ではないが、基本的に十二音の枠組みを守った形で作った。また分かりやすいように、対位法的にならないよう、一般的な和声的な伴奏型を保って作った。これは説明のためにしたことである。
その為に、グラスなどの単調な反復音楽にちょっと近くなってしまったが、私としてはシャコンヌの木管バージョンのような気持ちであった。
どこも伴奏とメロディーの形が守られている。第1部は基本形の音列から作った。中間部の3拍子の部分は反行形から作った。戻ったところは逆行形の音列から作り、途中で最初の部分を一瞬再現してすぐに終わる形にした。
by Schweizer_Musik | 2006-03-08 12:17 | 授業のための覚え書き
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