伊福部昭のリトミカ・オスティナータ考 -01. はじめに
この素晴らしい作品は、1941年に書かれたピアノと管弦楽のための協奏風交響曲のスケッチを元に書かれた。協奏風交響曲は戦災に遭って焼失したと考えられていたこともあり、伊福部氏はその楽想を元に新たな作品を作ろうと考えたのだった。(後に偶然、この協奏風交響曲のパート譜が発見され、スコアが復元されたことは、周知のことであろう。
1961年に書かれたこの作品は、更に1971年に改訂を加えられており、今回この作品について考える際に利用した全音から出版されている二台のピアノのための楽譜は改訂版となっている。例えばナクソスのシリーズにある演奏はどうも改訂前にスコアが用いられたようで、細部においてことなる部分があり、楽譜を手元に置いて聞かれる際は注意が必要だ。

「リトミカ・オスティナータ」について伊福部昭は「執拗に反復する律動的な音楽と云う意」と記している。なるほどここにはストラヴィンスキーの「春の祭典」などのようなリズムの饗宴が聞かれるわけで、全くよく曲の内容を表した表題であると考える。
彼は曲について次のように続けている。即ち「我々の伝統音楽は、総て、偶数律動から成り立っていますが、一方、韻文は五・七・五の奇数が基礎となっています。この作品では、音楽ではなく韻文の持つ奇数律動をモチーフとしました」と。だから、頻繁に拍子が変わる(これは古い「交響譚詩」でも言えるのだが)のはその奇数律動を基本としてその中で増殖し発展した結果と見るべきだろう。
また彼は「旋律は伝統音楽に近い6ヶの音しかない六音音階(ヘクサトニック)に依っています。」と続けているが、これは楽曲を聞くとすぐに分かる特徴である。しかし、このスタイルで書くことはある意味で大変な困難が降りかかる。
およそ、作曲などしたことのない人にとって、調性のない無調の音楽は「訳のわからない変な音楽」かも知れない。しかし実際には簡単なのだ。ちょっとしたやり方さえわかれば誰でも書ける。但しそれが面白い音楽になっているかどうかは保証の限りではないが(笑)。
伊福部昭氏はこの二つの方法論の上に作品を組み立てていく。奇数律動によるリズムで書かれた六音音階によるメロディーを執拗に繰り返すことで「吾々の内にある集合無意識の顕現を意図」したのだった。
彼はこの曲についての一文の最後に次のダ・ヴィンチの言葉を引用している。「力は制限によって生まれ、自由によって滅ぶ」この言葉への憧れがこの作品の底流を形成しているのだ。
by Schweizer_Musik | 2006-04-08 11:56 | 授業のための覚え書き
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