作曲家の故三村恵章と、新卒の私が1981年にはじめて会った時に、この吉松隆の「ピアノと弦楽のための「朱鷺によせる哀歌」について話したことを思い出す。この作品は1980年に書かれ別宮貞雄氏の推薦でこの年の「現代の音楽展'81」に出品されて、大きな反響を呼んだばかりで、新卒の生意気盛りの私は、もうすでにいくつもの仕事で注目を浴びていた三村氏とこの吉松氏の作品について話したのだった。私は、三村氏が「吉松にやられた」と言っていたのをよく憶えているが、それはこの作品に対する羨ましさもあったのだろう。
この作品の抒情性は、1970年代以前の前衛からネオ・ロマンティシズムに向かう時代に生まれ、吉松の名前を世界的にした傑作である。吉松氏が慶応出身でいわゆる音楽大学出身でない点で、三村氏(彼は芝浦工大電子工学科卒であった)とどこか共通していたようだ。 三村氏は、私が九州のヤマハで仕事をしていた時の同僚となった。時には反目し、時には力を合わせてという間柄であり、親友というほどでもなかったが、その彼が自殺したと聞いた時はショックだった。彼がヤマハの中でどう追いつめられていったのかが、手に取るようにわかったからだ。私は変化していくヤマハから去って、現在の仕事を得、また音楽に関わることができるようになれたが、彼のようにヤマハの仕事に誇りと愛情を注いだ者は、そこから出ていくことはそれまでの自分を否定することに思えたのだろう。 この曲について書き始めて、随分横道に逸れてしまった。しかし、この作品を聞く度に、三村氏との最初の会話が思い出され、その後の彼との色んなことが浮かんでくるのだ。お許しあれ。 さて吉松氏のこの傑作を、私は手放しで絶賛したい。全くコロンブスの卵!よくこんなやり方を思いついたものだ。1980年代はじめ。私は不協和音に埋もれていた。いや、不協和音にモードを使った書法を自分のものにしたいと思っていた頃だった。十二音の洗礼はすでに受けていたが、それは一年も経たないうちに卒業してトータル・セリエルやチャンス・オペレーションなどに関心を持っていた頃から、ドビュッシーの自分なりの再発見を経て、武満などに傾倒していた頃だった。 そんな私に、この吉松氏の作品は、驚くほどシンプルで、リリカルで、そして強いものだった。所謂前衛がメロディーを失い、技法だけが一人歩きしていた時代に、この作品は乾きを癒すかのように私に入って来た。そう入って来たというのが一番正しい。 三村氏が、「やられた」というのは、このシンプルで新しい手法で(自分もやりたかったのに)先を越され、これを吉松氏がやったからには、自分はもう出来ないという悔しさを滲ませた言葉であった。 確かに、これはミニマル・ミュージックのように単調な繰り返しを単純な響きでやったのと近い、響きの単純さがある。スコアが音楽之友社から出版されている(たった1200円です!買おう!)。買って見てみればわかる。長木誠司氏の極めて優れた解説と分析が載っているし、この拙文も長木氏の分析を大いに参考にさせて頂いた。 この作品は、「現代音楽」でよく見かける特殊奏法のオン・パレードや、無調の#がない。変異音は♭だけ。響きは深く沈潜していく。これに朱鷺の声、あるいは美しい翼を広げて飛翔するかのようないくつもの音価が交錯する柔らかなフラジオレットが対置する。 曲は三部からなり、第2部以降に、デリケートな響きのピアノが加わる。あまり忙しくないパートなので、指揮者がピアノも担当することは多いようだ。 吉松氏は書いている。少々長い引用となるが、この作品の理解の上で重要なものとなるので、お許し頂きたい。 「1971年春、能登で捕獲された本土最後の朱鷺が死んだ。その時、青空を飛翔する朱鷺の姿を初めて写真で見た。泣きたい程美しかった。それ以来、淡い白色の鳥たちの嘆きの歌が空のどこかで鳴り続けているような気がする」 この一文からも、この作品が確かにElegyとして書かれたことは間違いなさそうだ。しかし悲歌ではなく、Threnodyという言葉を彼は作品につけている。挽歌、あるいは哀悼の辞とかいう意味がより強い言葉を選んでいるというのは、より踏み込んだ表現を考えていたはずである。 彼はこう続けている。 「この曲は最後の朱鷺たちに捧げられる。ただし、滅びゆくものたちへの哀悼の歌としてではなく、美しい鳥たちの翼とトナリティ(調性)との復活によせる頌歌として。」 なるほどである。滅びゆく朱鷺の美しさに、調性の死を重ね合わせているのだ。弦楽はコンバスを除いて総て二部に分かれ、中央後方のコンバスを中心に両翼配置とされる。これが朱鷺が翼を広げたようなイメージを作っているのだ。 持続音(おそらくは美しい翼が羽ばたく青空)のサウンドは次のような和音で出来ている。なんと単純で美しい!! 七度の響きから始まり、次第に半音階でのぶつかり高次倍音が加わり、響きに緊張を加えていくのは、伝統的でパウル・ヒンデミットなどの作曲法に通じるものがあると思う。 これに対して連符を組み合わせて、微妙な響きをハーモニクスで嘆きの歌を歌い上げるのである。これは弦の跳躍は四度上を抑えて作る人工ハーモニクスであるため、演奏すると自然とポルタメントがかかるようになっている。このポルタメントのかかる動機(鳴き声、あるいは鳥の歌)がこの曲の中心的な主題となるのだ。 両翼に配置された弦楽は前半はなかなか対照型にはならず、ゆったりと交互に動いている。これが次第に焦点が合っていって、28小節のフォルテで大きく両翼で羽ばたく。そして次第にこの高まりがおさまり、第1部の前半が終わる。 第1部の後半は、両翼に配置された弦楽がわずかな時差でエコーを響かせるデリケートな書法が印象的である。まるで朱鷺が羽ばたくようにも聞こえるが、col legnoやpizzicatoなどの立ち上がりの速い減衰音がたくさん出て来るのだが、ちょっと1960年代のペンデレツキやルトスワフスキの作品を思い出される。 両翼の弦楽がこうしたリズミックな要素が複雑に交錯していき、53小節目のフォルテッシモでクライマックスを築くと弦に不安で焦燥を表すような右のパッセージが弦楽に現れる。こうした連符を組み合わせてクラスター的な響きを作るというのは、ベートーヴェンの「田園」の第四楽章の有名なコンバスとチェロの五連符と四連符の組み合わせが想起されるが、吉松氏のはそれを大きく推し進めたもので、武満などによく出て来るものでもある。 ベートーヴェンの田園の有名な例をあげておこう。 続いて第2部である。三部形式の中間部であるから、展開部のような役割も持っているが、第1部の響きへの興味から、リズミックなものへの興味、動的なものへ焦点が移っている。 背景を彩る弦楽は、右の和音を演奏しているが、ピアノの即興的なフレーズに弦楽の背景がデリケートに絡みながら次第に緊張を高めていく。曲のちょうど真ん中となる70小節目(この曲は全体で139小節ある)で右のような和音を使い、無調に一瞥していると長木氏は書いているが、私はそうは思わなかった。Am6にしか聞こえないのだ。但しこう感じるというのは#で考えているからであるが・・・。ここからやがて91小節目のフォルテシモでクライマックスに達すると、ふっとピアノ(小さく)になって第2部の冒頭のピアノのソロが戻ってくる。ここに高弦のポルタメントでの下降が、何かの悲痛な鳴き声のように響きわたる。これが第1部の冒頭で聞かれた「鳥の歌」の主題の発展であることはおそらく間違いあるまい。七度下降のポルタメントの悲痛な声が終わり、ピアノの歌が途切れると、第3部へと移る。 第3部は、こうした三部形式なら再現部のような役割を果たすのだが、この作品ではそうした古典的な形式感は通用しないのは当然であろう。 第3部の冒頭では、第1部の「鳥の歌」の動機が発展した形で両翼の弦のアンサンブルが対話するかのように始まる。不安なコンバスの半音のostinatoがこれに加わる。 偶然性による反復が一通りおさまってAgitatoでffに至る。高弦はエコーを、低弦は同じ動きでここは描かれるクライマックスは、最初と同じ、C-D-E-F-G-A-Bというスケールで書かれ、下降ポルタメントが始まるとDesやEsが加わり、響きに更に緊張が加わり、ピアノのクラスター的に響きが出て来ると最高潮へと達する。 そして、さぁーと静まって、下降のポルタメントに続いて、冒頭の「鳥の歌」の動機が出現して曲を閉じる。 いくつもの録音が出ている。どれも素晴らしい演奏だが、私は沼尻竜典が指揮したナクソス盤を好んで聞いている。この曲は20世紀の古典としての地位を確固たるものとしている。聞いたことの無い方はぜひ!特に「現代音楽」は苦手という方はぜひ一度お聞きになられてはいかがだろうか。
by Schweizer_Musik
| 2006-04-12 17:39
| 授業のための覚え書き
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