多調性について (1)
多調性はダリユス・ミヨーがはじめたというのは、無理がある。古くは1901年頃の論文にまでさかのぼることができるからだが、1923年にミヨーが発表した「多調性と無調性」という一文によって、多調性は一つの思想(イデオロギー)となった。
多調性(bitonalite)は複調性(polytonalite)の発展型なのだそうだが、頭の悪い私にはこの二つの違いがよくわからない。二つの調性を同時にというのが複調性で、それ以上だと多調性という説明を聞いたことがあるが、どうもあやしげである。おそらく「嘘」だと思うが、ともかくややこしいのでここでは「多調性」で話を進めていくことにしよう。
多くの無調の音楽がワーグナーの「トリスタン」和音から発展した極端な半音階主義によって生み出されていったが、それは属七の和音の働きを極端に拡大していったものとも言える。
これに対して、少し遅れて全音階主義、三和音の意味を拡大していったのが多調性であるというのがミヨーの考え方であった。
彼のこの考え方で作られた有名な作品から、小交響曲第1番「春」の第1楽章の冒頭をあげてみよう。わかりやすいようにイ長調で書いておいたが、実際には臨時記号で書かれている。
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この作品はイ長調のこのテーマが提示され、続いてフルートとクラリネットが入れ替わって確保されるところからヴィオラにニ長調のフレーズが現れる。この対旋律は後半重要な役割を果たすこととなるのだが、それはともかく、その部分を次にあげておこう。
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そしてヴィオラに続いてヴァイオリンにヘ長調(と考えられる)和音が現れ、それがニ長調の主和音に終始して主題の提示と確保が終わるのだ。楽譜はharpのパートは省略した。
この後、第2主題がクラリネットに変ニ長調(というか嬰ハ長調というかわからないが)で現れ、ハープはロ長調のスケールをかき鳴らし、対旋律をフルートがホ長調で吹き、これを楽器を入れ替えて確保すると、展開部を省略した形でフルートに主題が戻ってくる。変ホ長調がイ長調とともに鳴り響いたりと、不思議なサウンドがさらに進んでいくのだ。

ストラヴィンスキーの「兵士の物語」は、少ない出演者(7人の演奏者とナレーターが一人)で公演できるようにと、スイスの詩人ラミュとともに制作した舞台作品である。第一次世界大戦によって演奏者がなかなか調達できないという事情や、ロシア革命によってロシアの財産が差し押さえられ、スイスに滞在していた彼は、厳しい状況に追い込まれていたという事情もあったようだ。
この作品は、火の鳥やペトルーシュカ、春の祭典といった初期の有名作の後の、新古典主義に向かう時代のストラヴィンスキーの作品である。

ストラヴィンスキーは無調で音楽を書いたと、途方もない誤解をしている人が私の周りにもかつていた。ストラヴィンスキーは一度たりとも無調で音楽を書いていない。もちろん春の祭典も無調ではない。多調性(あるいは複調性)で書かれていたりするので、「現代音楽」風に聞こえる部分もあるが…。次の楽譜は「兵士の物語」の冒頭である。
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コルネットのパートがヘ長調ではじまり、ホ長調に終止する対旋律のトロンボーンはヘ長調に始まっている。コントラバスのト長調のオルタネーティング・ベースにのってコルネットとトロンボーンに鳴り響くのはイ長調のメロディーである。ミヨーの小交響曲第1番が発表された翌年の1918年に書かれた。
ストラヴィンスキーは時代の最先端の音楽に対して、常に敏感であった。彼は最先端のそれらの音楽を取り入れながら、どんどんスタイルを変えていった。だからと言って無個性な作曲家であったのでもなく、初期の春の祭典などの他は価値がないなどと断じるのは、ただの無知でしかない。

(この項続く)
by Schweizer_Musik | 2006-05-22 09:00 | 授業のための覚え書き
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