プルチネルラ・・・
ドクター円海山さんへのコメントを書いていたら、あまりに長すぎたので、そのままエントリします。

私は1916年の「きつね」が彼の大きな転換点だったと思います。歌と踊りのブルレスケとある「きつね」の描き出したそれは、新古典主義的、均衡と平易さが聞こえてきますが、あれを徹底させていくときっとペルゴレージにたどり着いてしまったのではないでしょうか。「妖精の口づけ」では自国の先輩であるチャイコフスキーを素材に選び、それを彼流に使いこなしていますが、それは彼の創造の枯渇であるというより、彼流の「新しさ」への追求だったと思います。
私は一流の職人だったと思っています。また時代の一歩先を行く彼の流行への敏感なアンテナが「プルチネルラ」のような「バロック音楽」を作らせたのではないかと思うのです。あの時代ランドフスカがcembaloを復興して、その火がつくかもしれないという程度の時代でした。まだ、ペルゴレージやヴィヴァルディなどは完全に忘れ去られ、バロックの巨匠はバッハとヘンデル、それに時代が少し下ったグルックあたりだけだと思われていた時代の話です。
だから、今日なら知られたバロックの音楽も当時は未知の語法に近かったと言っても過言ではなく、それ故の「プルチネルラ」の「新しさ」だったと思われます。ペルゴレージを素材に使った彼は、チャイコフスキーも素材に使い「妖精の口づけ」を書くのも当然だったと思います。
しかし、ストラヴィンスキーの他の音楽に続けて「プルチネルラ」を聞くと、そのバロック的な響きのおおらかさに驚かされます。とは言え、よく聞くと彼一流のアイデアがあちらこちらに散りばめられていて、なんとも面白い作品になっていると思います。例えば「タランテラ」の冒頭などを聞くと彼はただのアレンジをやったわけでないのは間違いない事実であり、ポリリズム的な処理も聞かれ、やはり最先端だったと思います。
こうした作品があったからこそ、ブロッホの「合奏協奏曲」などが生まれたのだと私は考えます。時代がストラヴィンスキーを生んだのだと。逆に時代の寵児でありつづけたのだとも言えるでしょうね。
ともかくも新古典主義の時代の先駆けとして、「きつね」は注目に値するものだと思います。
by Schweizer_Musik | 2006-05-25 02:50 | 授業のための覚え書き
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