続々、コンドラシン指揮ショスタコーヴィチの交響曲全集
第4番は1935年に作曲されたが、スターリンの批判を避け、26年にわたって発表されることはなかった作品だ。長い間封印されていたのを、演奏したのがこのコンドラシンであった。1961年のことで、交響曲第12番の発表の年である。この翌年には第13番「バビ・ヤール」が初演される。
1936年のプラウダ誌上での批判による身の危険を感じての第5番「革命」の作曲の途上で生み出されたと見るべきか、それとも第5の変節の前の作品と見るべきか、この第4番は色々な問題をはらんでいると思う。
私はロジェストヴェンスキーの切れ味鋭い演奏とハイティンクの見事な演奏で満足していた。このコンドラシンの録音は目も覚めるような緊迫感に満ちた演奏で、打ちのめす。はじめて聞いた者に対する説得力は抜群だ。これではハイティンクの見事な演奏も多少ぬるま湯的に思えてくる。
ロジェストヴェンスキーの演奏は、冒頭から多少離れたところから俯瞰するような余裕と、ツボを心得た名人芸のようなところがあり、この曲のモダニズムを表すにはとても良い演奏だと思っていた。一方、ハイティンク盤はマーラーの第5番あたりのエコーを聞く分にはとてもよく、ロンドン・フィルも実に良い演奏で、全体にモダニズムというよりロマン的というか、メロディーに重きを置いた演奏だった。
コンドラシンはそのどちらとも違う。冒頭のシロフォンやピッコロなどによる警句のような出だしに続いて、春祭の生け贄の踊りのような弦のダウン・ボウの刻みに乗って出てくる軍楽隊のような音楽の実在感がもの凄いのだ。しかし、この曲の難解さはそんな表面的なことにあるのではない。構造がとてつもなくわかりにくいのだ。常に展開し、発展していて、そこにどんどん新しい素材が挟み込まれるから、ブルックナーのように同じ音楽が延々とやられるあの正反対のような音楽であることだろう。
コンドラシンはこの間断なく発展していく音楽を、強い緊張感と集中力で描き尽くす。絶妙なテンポの変化を伴うその作業は、全体に速めのテンポを選び引き締まった印象を与える点でも特筆されるだろう。
たった8分しかない短い!第2楽章も、コンドラシンの演奏は少しだけ速めのテンポを選び、実によく引き締まっている。これにより、皮肉なスケルツァンドな性格を強調してみせる。ハイティンクは少し重く、テンポも遅い(というよりこれが普通なのだろう)。ロジェストヴェンスキーはハイティンクよりも更に遅く、入念さを感じさせるのも面白い。しかし、コンドラシンは違う。
第3楽章(終楽章)のLentoの部分を重々しくやるのはハイティンク。ここだけははじめて聞いたときも私は違和感を感じていたのだが、ロジェストヴェンスキー盤もそうだったので、こんなものなのかなぁと思っていた。バルシャイの録音でこの曲だけちょっと気に入って聞いていた頃もあったのだが、それはこの終楽章のLentoのテンポがちょっとピッタリきたためだが、ファゴットのメロディーが軽く、確かにこういうアーティキュレーションであるにしてもちょっとスタッカートが短く弾みすぎているように思ったものだ。これがコンドラシンだと全てがピッタリくる。やっとこの曲の楽譜から受けた私のイメージに最も合った演奏に出会えたというのが私の正直な感想である。
アレグロに移っての部分もまさにこれでなくてはという、説得力に満ちた演奏が続く。良い!とても良い演奏だ。初演者だからと持ち上げるのは簡単だが、この説得力はそれだけでは説明不足だと思う。作曲者の意図を理解した指揮者コンドラシンの渾身の演奏であると思うからだ。
by Schweizer_Musik | 2006-07-18 08:30 | CD試聴記
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