プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の終楽章について
プロコフィエフの第3番のピアノ協奏曲について、yurikamomeさんが書かれておられ、それについての意見をとご指名頂いたので、少しだけ書かせて頂く。

プロコフィエフが最初の成熟した作品として自ら語っている作品は師のニコライ・ニコラエヴィチ・チェレプニンに捧げられたピアノ協奏曲第1番である。ペテルブルク音楽院在学中の1911年から翌12年にかけて書かれ、冬に完成した。1912年に初演されたこの作品は賛否両論にさらされるが、1914年に音楽院の卒業試験でこの曲を演奏したプロコフィエフに対して、当時の音楽院院長のグラズノフら教授陣はプロコフィエフに対してルービンシュタイン賞を与え、この作品がプロコフィエフの傑作の一つと評価したのは忘れてはならない。とは言え「モチーフを寄せ集めてならべただけの散文的な作品」とか「ただのアクロバットだ(アクロバットをやっている人に対して失礼だ!)」などという否定的な評価と、友人のミャスコフスキーなどの「オリジナルな傑作である」という評価の2つに分かれた。これは第2番の協奏曲でも繰り返される。
1917年にはヴァイオリン協奏曲第1番が完成し、古典交響曲が発表される。

1918年5月のはじめにロシア革命に揺れるモスクワからアメリカ亡命を決意し、シベリア鉄道に乗ったプロコフィエフは5月31日に敦賀港に上陸した。翌6月1日には東京に到着し、そのままアメリカ行きの船便を探すが折悪しくアメリカ行きはなく、そのまま約二ヶ月にわたり日本に滞在することとなった。
ちなみに、世界的作曲家が日本に滞在したのはこれがはじめてであった。とは言え、まだ27才の青年作曲家にそれほど日本中が沸き立ったとは言い切れないものがある。日本中にインパクトがあったのは後のフェリックス・ワインガルトナーの来日の方が大きかったのではないか。確かに当時の新進気鋭の音楽評論家大田黒元雄氏などとも交流している記録が残っているそうで、それなりに日本の楽壇に対して影響を与えたと考えられるが、果たして実際の影響はどの程度だったかは不明だ。
二ヶ月の滞在期間中にプロコフィエフは大阪、京都をはじめ箱根などあちらこちらを見て歩いており、7月のはじめに東京と横浜でコンサートをしている。
この間に長唄「越後獅子」を聞いたと言われ、それがピアノ協奏曲第3番の終楽章に使われているというのが音楽之友社の「名曲解説全集」などで語られているし、いくつかのライナー・ノートでも語られている。
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確かに日本の俗謡の音階に近いものがある。
面白いのは、二拍子を感じさせるモチーフを無理矢理三拍子で書いている点で、何も知らないで聞いているとここは二拍子に聞こえる点で、その辺りの曖昧さが二拍子系の日本の古謡に似ているということにもなるのかも知れない。
越後獅子のメロディーは、九世杵屋六左衛門の作とされているが、寛政の頃に大阪の峰崎勾当が、当時流行していた越後の角兵衛獅子を歌った地唄を九世杵屋六左衛門が焼き直したものだそうである。
今日のように盗作だとか難しいことを言わなかった時代の作品で、九世杵屋六左衛門はサッサとかなりテキトーに(手抜きで)作ったようである。それが長い間歌い継がれる名曲になったのだから、皮肉なものだ。
そのメロディーの楽譜を次にあげておこう。音程は多少上下しているのを無理矢理五線に入れたのでちょっとおかしいとは思うが…。
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ちなみに美空ひばりが歌った西條八十作詞、万城目正作曲の「越後獅子の唄」「角兵衛獅子の唄」という曲とは全く関係はない(当たり前だ!)。
プロコフィエフの冒頭の部分と7小節目のA-F-Eの音の繋がりが似ていると言えば似ている。しかしこれが引用というほどのものとは言えそうもない。そういえば、この越後獅子はプッチーニが「蝶々夫人」の中でそっくりそのまま引用しているが、日本情緒、江戸情緒を出すのに、江戸時代に大ヒットしたこのメロディーを使ったのはプッチーニのアイデアであるが、プロコフィエフにはそんな気は全くなかったに違いない。それはすぐにピアノが変ロ音を主音とするミクソリディアに移調して異なるフレーズが力強く歌い上げられ、さらに転調をあっという間に繰り返し、次のようにハ調のメロディーに変形して確保されることでもわかる。
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ドクター円海山さんが白鍵でテーマを書いていたに過ぎないという意見にこの点で私も賛同したい。作っていたメロディーが偶然越後獅子に似ていたのか、越後獅子のメロディーを聞いて、それとよく似たメロディーが紛れ込んだのかは不明だが、プロコフィエフの第3楽章のテーマがプッチーニのように「越後獅子」であるというのは無理がありすぎると私は思う。
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yurikamomeさん、こんなところです。

もととなったyurikamomeさんの音楽的なエントリーへのリンクです。
プロコフィエフ作曲、ピアノ協奏曲第3番
by Schweizer_Musik | 2006-12-09 10:20 | 原稿書きの合間に
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