オピッツのベートーヴェンのピアノ協奏曲全集 ***
ゲルハルト・オピッツというピアニストによるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を我が家のCD棚から発掘してしまった。スイス・ロマンド管弦楽団のシェフに今年の九月から就任するというマレク・ヤノフスキが共演の指揮をしており、オケがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団である。
ピアノはまずまずの出来ながら、オーケストラが素晴らしいのだ。これは驚きだ。
実は仕事をしながら、第1番を聞いていて、途中から仕事が手に付かなくなってしまった。ピアノもいいのだが、それ以上にオケがものすごく良いのだ。親爺指揮者のベームがウィーン・フィルを指揮して若きマウリツィオ・ポリーニと録音したもの以来の名演ではないだろうか。
第2番の第2楽章など、普通に退屈しそうな音楽を、これほどまでに緊張感に満ちた演奏を聞かせるとは・・・。ため息しかない。終楽章は私の一番好きなベートーヴェンである。こんなに生き生きとして、踊りだしかねない弾むような楽想は、この曲の一番魅力的なところだ。バックハウスやケンプ、あるいは小澤征爾と入れたゼルキンなど、良い演奏はある。ピアノだけなら、アラウが若い時に録音したアルチェオ・ガリエラとのEMI盤など素晴らしい出来だったが、あれはオケが今ひとつしまりがなかった。オーケストラとして私が今まで一番良い出来だと思ったのはジョージ・セル指揮のクリーヴランド管弦楽団のもので、あれはレオン・フライシャーがピアノを弾いていた。フライシャーのピアノの絶好調だったが、ややタッチが硬質で私はあと一歩手放しで賞賛するところまではいかなかった。
そうした意味で、このオピッツ盤は見事だ。ケンプ盤のライトナーよりもずっと生き生きとしていて、アーティキュレーションなどよくリハーサルしている。ピアノのオピッツも大変な検討ぶりだ。

続いて第3番である。私はこの名曲について数々の名演を知っている。古いバックハウスとベームのモノラルの録音から、エマニュエル・アックスとアンドレ・プレヴィンによる超名演(あれをちゃんと聞いた人が日本人でどれほどいただろう、残念なことだ!)。スヴャトスラフ・リヒテルとクルト・ザンデルリンクの古いステレオ録音。オーケストラの厳しい響きは特に印象に残る。ウィーン交響楽団からあんな響きを引き出せるなんて思いもよらなかった。アニー・フィッシャーとフリッチャイのハンガリーコンビの録音。ソロモンのピアノ、ヘルベルト・メンゲス指揮フィルハーモニア管弦楽団による力強い演奏。ハスキルがヴィンタートゥーアのオーケストラと共演したものなど、考えているとかけがえのない演奏が次から次へと思い出されてくる。
このオピッツの演奏はどうか?
第1楽章が昔は四拍子となっていたが、最近になって二拍子だということが判明したこともあり、古い演奏では第1楽章の拍子の取り方によって重めの演奏になる傾向がある。ルービンシュタインとトスカニーニの録音などはその典型であろう。
もちろんこのオピッツは新しい版を使っているのだろう。テンポとリズムがとても良い。それに速すぎない。
ハイリゲンシュタットの遺書を書いた頃の曲である。耳の病の進行が重くのしかかっていたベートーヴェンが書いた曲だ。それをどう解釈するかが、この作品の急所だと思う。
オピッツは重厚な悲壮感を全面に出すことよりも、若いベートーヴェンがのびのびと作ったアレグロのソナタ形式の作品として解釈している。
これはこれで一つの見識だと思う。しかし、ピアノの仕上がりはこの作品ではちょっと問題に感じる部分がある。ミスだと思われるところもあるが、それ以上に明らかに仕上がっていないと思われる響きの混濁が聞かれるのは残念なことだ。オーケストラは最高のプロボーションを示しているだけに、この出来はもったいないことをした。
第4番もまた、名曲中の名曲だけにオピッツと競合する演奏は数限りなくある。冒頭のピアノのソロは何しろものすごいプレッシャーをピアニストに与えるものらしい。期待したアックスは完全にここで降参してしまい、しまりのない演奏になってしまったし、エドウィン・フィッシャーは気持ちが先走って音が混濁してしまう。コンラート・ハンセンはフルトヴェングラーの共演で気負い過ぎ。アラウの古いEMI盤は結構好きな演奏だが、少しはっきりと動機を提示しようと思いすぎていて、流れが悪い。
上手いのはバックハウスとハスキル、ソロモンで、やや劣るがレオン・フライシャーも大変優秀だ。ハスキルはゼッキ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏の方が良いが、録音が今ひとつ。ディーン・ディクソン指揮ベルリンRIAS交響楽団との共演のライブは、オケが彼女の高みに全く付いて行けてない。まるで美女を前におたおたしている駄目な男だ。ソロモン盤はその中でも一頭抜けている。アンドレ・クリュイタンス指揮フィルハーモニア管弦楽団の出来は全く問題はない。クリュイタンスはフランス音楽ばかりだと思っている人は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのベートーヴェンの交響曲全集をぜひ聞いてほしい。おそらくフルトヴェングラー以来、この演奏以上のベートーヴェンが記録されたことは、私はまだないと確信している。
そのクリュイタンスが共演してのベートーヴェンの第4番。ソロは稀代のベートーヴェン弾きであるソロモンであれば、その演奏の素晴らしさは容易に想像がつく。そして、その想像の通りの名演が繰り広げられるのだから、なかなかこれ以上の演奏が生まれないのも仕方ない。特に微妙なテンポの変化と幽玄で幻想的な表現と、筋肉質の力強い表現の対比は、見事である。
さて、オピッツはどうだろう。冒頭は表情がやや硬く、ソロモンのような深い印象を与えるところまではいっていない。続くオケは生き生きとして力強く主題を演奏し、大変立派なのだがオピッツはされに明らかに負けている。
ピアノのソロが終わって、長いオケだけによる提示部はだからものすごく聞き応えがあった。しかし、再びピアノが出てきての提示部のオピッツは良く仕上がっており、第3番のような問題はない。第2楽章はオケが歯切れ良く語りかけ、ピアノが抒情的にそれを受ける形で進むが、多くの名演がここでファンタジックな表現を試みているのに対して、オピッツとヤノフスキは大分、散文的である。新しい解釈だがあまり共感を抱くことは出来なかった。ピアノにアルペジオが現れて一節、嘆きを歌い上げる最後のところが、一向に悲しくなく、第3楽章への移行もサラサラしすぎに聞こえる。
終楽章は軽快だが、あまり弾まないピアノにちょっと足を引っ張られてしまったというところか。硬質なタッチがこうしたところで裏目にでる。このあたりはハスキルもよく似たことになるのだが、彼女は持ち前のリズム感で素晴らしい成果を出しているが、オピッツはそうはいかない。
この曲の理想的な(私にとっては)名演はソロモンだが、オケだけなら、十分クリュイタンス盤に迫っている。ピアノが今ひとつ。
第五番「皇帝」はもう細かく触れるまでもないかもしれない。この曲の第1の演奏は私は古いホロヴィッツとフリッツ・ライナーの演奏である。あれほど華麗で力強い演奏は今後も含めて出てこないだろう。オピッツ盤を歩ヴィッツと比べると、やはり問題にならない。正規盤ではないが、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリがチェリビダッケ指揮するパリ管弦楽団と録音したものも、海賊盤であるが比較的数多く出回ったので、聞いておられる方も多いのではないだろうか。この演奏も素晴らしいものだった。華麗に仕上がっていたのはミケランジェリだけでなくチェリの指揮するオケもだった。パリ管弦楽団がインターナショナルな響き、奏法を身につけたオケであることを強く印象づけるものだった。今聞き直して見て、意外なほど音もステレオで良いため、後にカルロ・マリア・ジュリーニの指揮でグラモフォンに入れたものよりも良いと思った。ただ分離やバランスはやはり正規盤の方が一枚も二枚も上手である。オケによる主題の提示が終わってからのピアノの入りでの音の素晴らしさ!あんな風に弾かれたら、普通のピアニストは束になってもかなわない。
ソロモン盤はヘルベルト・メンゲス指揮フィルハーモニア管弦楽団との共演。このメンゲスの指揮が今ひとつで、オケのバランスも金管に偏ってしまい、響きがうまくブレンドされない。録音上の問題なのかもしれないが。ヴィルヘルム・バックハウスとカール・シューリヒト指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団による演奏はAURAから出ているが、これは超名演。ピアノがものすごく雄弁で、説得力に富む。シューリヒト指揮のスイス・イタリア語放送管弦楽団もなかなかのパフォーマンスだ。アンサンブルもよくまとまっている。実演ならではのミスも聞かれるが、そんなことなどどうでも良くなるほどのスケールの大きさである。
こうして来ると、オピッツはどうも分が悪い。細かなところでのミスも多く、仕上がっていないという印象を強く受ける。しかし、オケは大変立派。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団もよくなった。一頃の演奏は「いぶし銀」の味わいなどと言われていたが、はっきり言って「派手ではない」という言い方でオケとしての魅力の欠如を言っているに等しかった。確かによく聞くと弦のボウイングが粗っぽいようにも聞こえるが、怠そうに演奏しているものも、このオケの録音には多かっただけに、この演奏は嬉しい。
昔のフランツ・コンヴィチュニー時代を彷彿とさせる出来である。また細かなフレージング、アーティキュレーションもよく考えられている。ピアノだけが後一歩だった。
他にヴァイオリン協奏曲のピアノ編曲版が録音されている。ウェーバージンケなど、ちょっと下手物じみた作品に思われることも多いこの作品だが、こうしてメジャー・レーベルからでるようになったのだ。時代の変化を感じるひとときだった。
ただ、原曲のヴァイオリンでの音が頭にこびりついているので、このピアノ版は私にはやはり少々聞くための努力を強いるものだった。

オピッツ/ベートーヴェン/ピアノ協奏曲全集/BMG/74321 53072 2
by Schweizer_Musik | 2005-02-05 23:32 | CD試聴記
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