レコード芸術について
レコード芸術誌は買い始めてもう30年あまりが経つ。欠かさず買っているので、積み上げたら大変なものだろう。ほとんどを捨てたが、やはり良い連載があったりして捨てられずにいるものもある。
この本の情報が最も豊富だったこともあり、毎月、出たらすぐに買ってきたが、このところ買ってもロクに読まない。それに出てから10日あまり経ってから買うこともある。何故か、雑誌に魅力がなくなったから?いや、それなりに面白い記事もあるし、中身も第一人者が書いているだけあって良い物が多い。では何故か?
新譜が無いのだ・・・。
悲しいほど、国内盤が売れていないからだろう。そりゃそうだ。一枚3000円で誰が買うのだ。考えてみてほしい。アウトレットのCDなら300円から600円程度で売られている。それに海外盤の中にはボックスにして安く売っているものもある。それを買えば、ベートーヴェンの交響曲の全集が2000円ほどで手に入る。一枚400円ほどである。
録音はおよそ1970年代から80年代が中心だが、テープ録音でももうかなりノイズ・リダクションが出来ていた時代のものであるし、デジタルの初期もある。録音で不満を感じるものは少ない。こうした時代であるのに、一枚3000円という値段をつけるというのは、本当にそれだけの経費がかかるのかということになる。そしてかかるのだ。
悲しいことに、一枚を国内で制作するとかかる。間違いなく一枚3000円でも厳しいことだろう。演奏家へのギャランティから会場(ほとんどがホール録音だ)、スタッフの人件費、機材、輸送費など考えれば、1000枚位売れればヒットというような市場はやっていけないのだ。
こうした時代が来てしまったのに、CDに固執するとすれば、時代に取り残されることは間違いない。そして必ずつぶれてしまうだろう。
大きな方向転換の時代に来ているのだ。ネット配信に向かうのか、新しいメディアに向かうのか。これにCDの批評を中心としている雑誌がうまくついて行かないと、レコード芸術誌の明日はないと思う。
すでに月評を読むことは無くなった。海外盤の紹介と連載記事と私の関心のあるスイス関連のCDは出ていないかと、輸入盤を扱っているレコード店の広告をみて、アルヴィー(ナクソス、マルコ・ポーロ、cpoなどを扱っている代理店)の広告を見たら、あとは終わりだ。
名盤主義の時代は終わった。なのに国内メーカーは制作費が安くつくからといって、日本の放送局に残っているアーカイブを漁って、ライブ録音を制作している。海外でも同様の現象が起こっている。AURAなど優秀な録音が多い。(スイス関連が多いので)それもバジェット・プライスで、安い。またTAHRAやOrfeoなどもこうした録音を積極的に出している。
しかし、新録音を出すことはほとんどなくなっている。新しい録音が出ないと、音楽業界は潤わない。ベートーヴェンやシューベルト、モーツァルトも録音すれば良い。しかし、まだ紹介されていない作品、作曲家もたくさんある。文化的価値のあるそうしたものを、廉価で出すナクソスやマルコポーロ、cpoは賞賛されるべきだ。
また、スイスのMGBやGALLO、TUDERといったレーベルも自国の作曲家たち、演奏家たちを大量に出している。
素晴らしいことだと思う。日本の作曲家シリーズをナクソスが出しているのだ。日本のレーベルはこうしたことが出来ない。一体何なのだ?レコード会社のの猛省を!

さて、方向性をもっと自国の文化に向けてみたりと、レーベルの特色を出すべきだ。売ろうと思いすぎて、中身のないものを出し過ぎることもあろう。短期でしか売れないものを作ると、もうつぶしがきかない。良いものであれば、何十年も売れるのだ。
フルトヴェングラーのバイロイト祝祭歌劇場での第九は、発売されてもう五十年。未だに現役盤なのだ。すでに五十年が経過したことで、この録音は人類の共有財産となったが、録音して50年、少なくともずっと売れ続けることで、一体何枚売れたことだろう。
こうした録音をし、それをどう顧客に届けるか、その過程で情報はどうあるべきかを、しっかりと方向性を定める時期に来ている。雑誌の遅配をしている程度では困ったものだ。ぜひがんばって欲しい。30年あまりも買ってきた者にとっては、思い入れも深いのだ。また、信頼できる唯一の雑誌なのだ。誰が「音楽現代」なんて買うだろうか。執筆者が良くても、編集の方針があれでは駄目だ。また、未だにホームページすら持たない出版社が、未来を語ることなんて出来るわけがない。
本当に難しい時代になったものだ。
by Schweizer_Musik | 2005-02-06 08:12 | 原稿書きの合間に
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