バルビローリのチャイコフスキーの交響曲、ディスキーの三枚組から悲愴 *****(特薦)
バルビローリのディスキーの三枚組。何しろ安い。二千円で結構おつりが・・・。大丈夫?と思ってしまう。悲愴や弦セレなど持っていたが、つい買ってしまった。これが狙いなのだろうが、この値段で売られるともうCDもおしまいだなぁとつくづく思う。(それはもう以前に書いたが)
価値が無いのではない。価格を安くして買い換えさせるのだ。買い換える時の付加価値がこの場合価格の安さである。復刻盤では、今新たに板おこし(SPの原盤から起こすもの)がブーム(といってもクラシック…たかが知れているが)だが、これも付加価値であろう。著作権の切れた原盤を使っての行為だから、誰もとがめる者はいない。おかげでワルターの戦前の録音やメンゲルベルクなどが、SPのノイズと共に蘇ってきて、意外なほど迫力のある音で楽しめるようになった。これまた付加価値だ。
しかし、市場で圧倒的なのは、こうしたボックス物のバジェット(超廉価盤)シリーズであろう。グラモフォンやEMIといったメジャー・レーベルもずいぶん前から参戦し、マイナー・メーカーはブリリアントなどの原盤を買って廉価で出す新しいメーカーにそれを売り渡している。おかげで人類の宝のような名演奏も、大安売りが始まったのだ。
バルビローリもこの値段で一度出てしまうと、もうよほどのことが無い限り悲愴一曲を2000円、2500円では買わないだろう。文化の格下げである。

さて前置きが長くなってしまった。この名演の数々はもう今更何を言う必要があろうか。朝っぱらから私は男泣きに暮れるバルビローリの「悲愴」を聞いた。品位を落とすことなく、深く深く音楽に踏み込んでいくバルビローリに、心からしびれてしまった。終楽章の嘆き節を聞いて、その切々たる叫びのようなサウンドは、バルビローリしか出せないものだ。ハレ管弦楽団は、バルビローリの時がやはり最高だった。その後は・・・触れるのはやめよう。
第1楽章は、ロシアの例えばエフゲニ・ムラヴィンスキーなどとはあまりに遠い音楽だろう。あの透徹した厳しさ(大阪でいつか聞いたムラヴィンスキーの凄かったこと!!)とまるで違う。フレージングがふっくらとしていると言えばいいのか、若干切れ味は悪いが味わいがあるというか(決してアンサンブルが雑という意味ではない)…。第二主題の憧れに満ちたフレーズを、彼ほど切なげに演奏する人はいない。それがわざとらしくないのだ。私はどちらかというと、身振りの大きい演奏が苦手である。しかしバルビローリだとそれが気にならないのだ。
第2楽章も弾むような出だしは、あまり強調されないが、品位ある歌い回しが実にチャーミングだし、中間のグッと悲劇的な響きになると、空気まで変わってしまうような引き込まれ方をしてしまう。
第3楽章は最近流行のゲルギエフのような凄まじいテンポをとらず、かなり遅めのテンポをバルビローリは選ぶ。おかげで全ての動機が明確に印象付けられ、慌ただしさの中でザァーッとやってしまいましたというような演奏の対極に位置するのだ。
終楽章は・・・もう書いてしまった。良い演奏だ。
実は、中学生一年の時に初めて聞いた「悲愴」がこれだった。当時パイ・レーベルはコロンビアが契約していたのか、コロンビア・ダイヤモンド・シリーズにこの演奏があったのだ。1000円だった。お小遣いをためて買った一枚。何ヶ月かこればかり聞いていたことがあった。少年だった私にこの演奏は完全に刷り込まれているためか、未だに他のどんな見事な演奏も受け付けない。だから、まあ戯言と思ってもらえれば…

DISKY/HR 704032
by Schweizer_Musik | 2005-02-07 06:49 | CD試聴記
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