福島和夫の「冥」について (1)
1961年頃、福島和夫はドイツで国際音楽祭の講師を務めていたのだが、その音楽祭の中心で活躍していたウォルフガング・シュタイネッケ博士の突然の交通事故によるという訃報に接した福島和夫が、シュタイネッケに捧げるこの作品を書き上げたのだった。
作品についての作曲者の言葉は次のようなものである。
弔笛(しのびぶえ)。笛の音は比世と彼世
         ふたつ世ながらに響くという。
「冥」   くらい。ふかい。遠い。
      とおざかる。黙して思う。
      宇宙的意識。
今や、無伴奏フルートのための古典的名作として、多くのフルーティストによって演奏されるこの作品は、典型的な三部形式で出来ており、遠く武満徹の弦楽のためのレクイエムを想起させるものである。
前作で12音による作曲を試みた福島和夫であるが、この曲ではそれは放棄され、東洋的な音楽とシェーンベルクばりの極端な半音階主義を融合させている。
E音、ただ1音だけの前奏につづいて、第1部のテーマが提示される。
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半音階を行ったり来たりしながら、D音から少しずつ上がっていき、最後に短三度跳んでH音にたどり着くというテーマである。
この後、B音から下降するフレーズが対置されるのだが、言うなれば上がって下がってというだけなのに、絶妙な「間」が織りなす瞑想する空間は、フルートの音色があってのことだろう。篠笛の響きが福島和夫の脳裏にはあったのだろうか?
これが、福島和夫の言う「笛の音は比世と彼世/ふたつ世ながらに響く…」という音楽なのだろうか?
注意してほしいのは、ディナーミクの振幅の大きさである。PPからfffまでの大きな振幅と、フルートで使い古されたとは思うが、半音の半分の微分音的な音を挟む(ちょっとポルタメント、あるいはグリッサンドを思わせる技術が使われていることだ。
とは言え、武満徹などのように重音奏法などはこの作品とは無縁であることは、時代背景からしても当然のことであろう。
この稿、続く。
by Schweizer_Musik | 2007-04-28 19:47 | 授業のための覚え書き
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