昨日の授業の覚え書き
昨日は一週間で最重量級である水曜日。作品についてどういうコンセプトで作るかということをドビュッシーの前奏曲で説明した。
第一集第2曲の「帆」(舟の帆ではなく女性のヴェールだという説も有力であるが…ちなみに単語は同じ…私にはわからない…)。
分析すれば、A-B-A-C-A-Coda(結尾)の小さなロンド形式のようなもので出来ている。Cにだけが(変ニ長調の)調号を持ち、ペンタトニックのスケールが現れるが、他の大半はたった一つの全音音階でてきている。ちなみに全音音階は2種類あり、普通は両方を使う…でないと音楽がたった6音だけの単調なものになりがちであるから。しかしこの曲ではたった一つしか使われない。だからもう一つのH-Cis-Dis-F-G-Aの音は出てこない。変ニ長調の部分でもペンタトニックで書かれているためにAsやBは出てくるけれどGやAの音は出てこないわけで、この作品、どこをみてもG-A-Hの音は一度も出てこないという曲となっている。
この限られた音で書くというコンセプトに加えて、全曲にわたって鳴り続ける変ロのバス。これによって全曲が強い統一感を持つことになることに気付けば、音楽がなんとなく作られたのではなく、こういう音を使って、こういう風に書こうという明確なコンセプトの中で構成されたものであることがわかる。
これが、近現代の音楽の作曲家たちの音楽に対する基本的なスタンスであったということである。
つづいて「雪の上の足跡」を分析した。最初に中音域で静かに出てくる動機が、ほとんど変化をつけられることなく延々と繰り返される曲である。
雪の上の足跡。当然もう雪は止んでおり、足跡がつくくらい風もない静かな世界の音楽である。時折明るい光が射すこともあろう。そういう静寂をイメージしてみると良い。
そして「雪の上の足跡」の固定観念(どこまでも延々と続いているようだ)が、様々な響きをともなって現れるのだ。それが一度として同じ響きを持っていないことに注意すべきだ。
一カ所だけまとまってこの動機がなくなる所。(足跡が途切れた所)には陽が射してきているような美しい長調の響きが現れる。
最初から最後まで、同じ動機を繰り返し、その中に様々な風景(響き)を描くことがこの曲のコンセプトなのだ。それが理解されると音楽は一段と奥行きが増してくる。

昨日の授業では先日聞いて感動したパスカル・ロジェの演奏をとも思ったのであるが、昔、聞いてそれこそ奇跡だと思ったミケランジェリの演奏で授業をした。
大阪のフェスティバル・ホールで聞いたあの演奏会はまさしく奇跡だった。前年のキャンセルの埋め合わせで来日したと聞いたが、ホールはガラガラだった。前年のキャンセルが効いて、あまりチケットが売れなかったと噂に聞いた。私はそんなこととは全く知らずにチケットを買い、聞きに行ったのだった。勧めて下さったピアノの先生も来ておられたが、私はあの美しい音に感動!であった。あんなに多彩な音色がピアノは出すことがてきるとは…。ベートーヴェンの第3番のソナタの第1楽章の推移で出てくる魅力的なト短調のメロディー(皆が第2主題だと誤解しているけれどあれは推移主題で第2主題ではない)の強靱なカンタービレ…。「謝肉祭」の歌!歌!歌!
また思い出に浸ってしまった…。
それと先週できなかった木管五重奏による試演を行った。例年のように室内楽で必要はないのだけれど、経験をつませるために学生たちに指揮をさせた。当然演奏家たちに、下手な指揮であるが、振ったとおり演奏してやってほしいとお願いしてはじめた。
結果としては(笑)…酷いものであったが、学生たちにとってはこの経験が大切なのだと私は信じている。私が指揮してリハーサルして録音すれば、良いものにする自信はあるけれど、それは彼らにとって何の勉強にもならないからだ。やってあげるのも程度ものである。そんなわけで、この音だしというのは何もしないわりには私のストレスがたまるのだ。言いたいことを全部がまんするというのは結構大変なのですよ…学生諸君。
ということで、昨日の覚え書き以上。
by Schweizer_Musik | 2007-05-24 09:32 | 授業のための覚え書き
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