チャイコフスキーの「四季」聞き比べ
チャイコフスキーの「四季」のCDを三種類ほど聞き比べをしてみた。色々出ている今、もう少し集めてみようかという気もないではないが、私の友人の松村君の録音が、私の中でいまだに決定盤でありつづけている現状で、プレトニョフや全集の中に入っていたポストニコワの録音がどれだけ迫っているのか、聞き比べてみようと思ったからだ。
松村君に録音すべきレパートリーとして、私がこの曲を勧めたのだった。もちろん選んだのは彼であり、私は意見を言ったにすぎないが、当時、この作品にまとまった良い録音はなく、プレトニョフとポストニコワの演奏が、まあ聞けた録音だった。他は、もう論外に過ぎず、これならば売れると思って言った言葉だったが、今は色々な録音が出ている。でも私は今もこの演奏を第一に考えている。

第一曲の「炉端にて」から松村の音はすばらしいものだ。実演を知っているだけに、その音が何分の一しか再現されないもどかしさはあるものの、ピアノの響きの美しさは息をのむばかりだ。表現は十年前の彼の実像をよく伝えていて、「炉端にて」の静的な印象の中に生き生きとした表現を盛り込んでいる。リヒテルも単独でこの曲の録音を残しているが、あれはやや老境に達した「炉端にて」の世界だった。プレトニョフはもっと静的で動きがなく、冗長に聞こえる。ポストニコワは全体に単調だ。
この「炉端にて」は音楽として変化に欠け、ちょっと単調になりやすい側面を持っているが、それをうまく弾力のあるリズムで生き生きとした表現でまとめあげたのは松村の手腕であろう。
第二曲「謝肉祭」は、細かなフレーズに至るまで、正確に仕上げた松村の独壇場だ。プレトニョフは動機を浮き立たせるのだが、仕上げがいかにも雑だ。ポストニコワの演奏は荒っぽく、正確に弾けていない。松村はよく仕上げているが、ありあまるテクニックで少しテンポが走る傾向が無きにしもあらずだが、力強く、そして華麗だ。だからこそ昼間部での歌がのびのびとして聞こえるのだ。
第三曲「ひばりの歌」はプレトニョフの演奏は実に美しい。音色に深みがあり、変化に富む。ポストニコワは歌い込みが不足している。従って音楽が平面的だ。松村はこの中で最も遅いテンポをとり、歌い抜く。各部分の性格を見事に描き分けて「ひばりの歌」を歌い上げる。これを聞くとプレトニョフの演奏が表面的なものに聞こえてくるから不思議だ。
第四曲「松雪草」はどうしても平板に聞こえやすい作品である。もともとがオーケストラ的で、ピアノ作品的でないからでもある。この曲あたりのガウクのオーケストラ編曲はなかなかすばらしいものがあるが、ピアノでプレトニョフにしてもポストニコワにしても作品の単調さを救うところまではいっていない。この点、松村のこの曲の演奏は一つの規範となる。彼のタッチのすばらしさによるところ大であることは言うまでもないが、すべてのフレーズのディティールが明確に描き分けることが可能なテクニックの余裕がこれを生んでいる。明らかにプレトニョフは仕上げまでいっていないし、ポストニコワは安全運転をしている。(彼女は有名なゲンナジ・ロジェストヴェンスキーの奥さんだ)はっきり言って、彼女はテクニック不足だし、このチャイコフスキーは、小品集のわりには大変なピアノのテクニックを要求する難物なのだ。
第五曲「五月の夜」はリヒテルも得意としていて、私も録音を持っているが実にデリケートな名演であった。アルペジオがピアニッシモでデリケートに感じやすく弾かれ、その上に穏やかなメロディーがノッかつているのがリヒテルだった。松村氏はそんな演奏とはまるで違う。アルペジオはかき鳴らし、おおらかにメロディーが歌われる。そう松村の演奏の基本になっているのはこのカンタービレなのだ。プレトニョフもポストニコワもリヒテルのようにデリケートな世界を描いている。これは松村がかなりユニークな解釈をおこなったと言うべきか・・・。どちらが良いというものではなさそうだ。
第六曲「舟歌」。松村がチャイコフスキー・コンクールで弾いた作品で、この曲の演奏に会場は一気に水をうったように緊張したものだ。審査員だったニコラーエワがそれまでの疲れきったような表情から、「はっ」となったように顔をあげて聞いていたのが今も思い出す。あの時の演奏が残っていたら・・・。それはかなわぬ夢であるが、この録音はプレトニョフもポストニコワも全く寄せ付けない。何度も何度もとり直してのテイクだが、彼の実演でのこの曲の演奏はこんなものではない!!さらにすばらしい瞬間に満ちているのだが・・・。それでもこの録音でわずかでも乾きをいやすこととしよう。この演奏と比肩できるのはリヒテルの1983年4月オイロディスク原盤のものくらいだ。
第七曲「刈り入れの歌」はプレトニョフはゆったりと重々しさを持って演奏する。ポストニコワは腰が若干軽そうだが豪放な雰囲気はある。細かなパッセージの粒だちに不満はあるが、なかなかの演奏である。いかにもロシア民謡風のこの作品は、土俗性をどう表現するかがキーだが、松村はあえて正攻法で純音楽として一貫させる。したがって他の演奏に比べると素直な表現に感じられる。
第八曲「取り入れ」は難曲であるが、松村は全く見事に弾ききる。プレトニョフの演奏は仕上げの不安がそのままに出ている。意外にポストニコワは粗いものの、なかなかの演奏で聞かせる。ただ中間部がやはり単調に感じられる。ここは息の長いカンタービレがどうしても欲しいところだ。簡単なようで、これはあちらこちらに落とし穴が仕掛けてある難曲なのだ。松村はこの曲でも絶好調だ。
第九曲「狩り」のチャイコフスキーは、オーケストラを想定して書いたものを無理矢理ピアノで弾かせているような、どこか合っていないようなところを残している。松村は華麗なテクニックを存分に使って、音楽を力強くまとめあげている。
プレトニョフの演奏をこの後に聞くと、明らかに弾ききれていないのに驚く。もちろん明らかなミスがあるわけではないが、まとまっていないのだ。ここをどう弾くのかという細かな考えができていないのに録音に臨んでしまったようなところがある。だからフォルテシモが鳴れば鳴る程むなしく聞こえてしまう。ポストニコワは若干スケールが小さいものの、よくまとめあげている。ただタッチがやや硬質で広がりと音色の変化に欠ける。
第十曲「秋の歌」の感傷的なメロディーは、松村くらい真っ正面から歌い上げてこそ説得力を持つ。ピアノもよく鳴っている。一方ポストニコワはよく流れるものの、歌いまわしが一本調子で単調になっている。プレトニョフはかなり遅めのテンポで始める。しかし、そのテンポが停滞感を起こすほどで、あまりに深刻になりすぎて、曲を必要以上に悲劇的にしてしまった感あり。流れないので冗長に感じるし、対旋律と絡み合うところでももっと横に流れていかないとルバートが重くって重くって・・・。
第十一曲「トロイカ」は私は古いラフマニノフのロマンチックな演奏も、リヒテルの幻想味豊かなゆったりとした演奏も好きだが、松村の演奏はやはり骨太でありながら、トロイカはこのぐらいのテンポで走ってほしいと思ってしまう。何しろラフマニノフはリズムも少し崩したルバートをかなりかけた演奏である。中間部などなかなかチャーミングだし、よく取り出して聞く一枚ではあるが。
リヒテルはその点、もっと健全でよく流れる。ただゆったりとしたトロイカで、細かな表情がよく味わえる演奏だ。プレトニョフはサラサラとしているが、たっぷりとしたルバートでやや散文的に聞こえるところもある。また、メロディーがうまく浮かんでこないというか、バランスがあまり良いとは言えない部分もあるし、中間は明らかに雑になっている。
ポストニコワは遅いテンポを選んでいるのだが、表情が単調でその遅いテンポの意味があまり感じられない。ただ冗長になっているに過ぎず、時折大きな表情が聞こえてきても重くなってしまう。
松村は、速めのテンポではじめて、歌うところでグッとテンポを落として表情をつける。テクニックがあるので中間も再現に移るところも余裕シャクシャクで、バランスもとても良い。リヒテルと松村が最も好ましい録音で、番外でラフマニノフというところか。
第十二曲「クリスマス」はポストニコワはかなり速いテンポで駆け抜けるが、活気があまりないので意味不明。プレトニョフは静かに始まり、次第に盛り上がっていくがリズムがワルツにしては若干重く、冗長。
松村は練り上げられたタッチで、表情豊かに歌う。ワルツのリズムも活気に満ち、平和な喜びに満ちたクリスマスの夜が描かれる。

松村英臣は、私の友達で、この録音にも関わったため、あまり褒めすぎても身内ゆえにと思われるかも知れない。きっと身びいきで聞いている部分もあるかも知れないが、私は虚心に聞いてやはりこの作品の最高の演奏はこれしかないと思っている。他の演奏も買って聞き比べてみたいと思うことも無きにしもあらずだが、やはり、これ以上は望めないのではないかという思いで、買うのをためらってしまうのだ。
これを作った(プライヴェート録音です)ところに、このCDがあとわずかしか残っていないということなので、再発されることはないだろうから、ぜひ聞いてほしいと思った次第・・・。


松村英臣/チャイコフスキー四季
by Schweizer_Musik | 2005-02-09 18:58 | CD試聴記
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