昨日の授業…
疲れ果てて昨日は帰宅。さすがに水曜日のプログラムは大変で、やっていることはただしゃべっているだけなのだけれど、帰ってからの疲れ方は大変なものである。
さて、現代音楽の授業ではシベリウスの交響曲第4番をとりあげた。決して現代音楽ではないが、大きな影響を与えた作品であることには間違いない。(ちなみにこの授業で現代の音楽をとりあげることは滅多にないというどこかの食肉会社のようなことになっているが、隠しているわけではないのら未だに訴えられる様子はない…笑)
今回は第1楽章だけを課題として、いくつか解説を加えていった。シベリウスは遅く生まれ過ぎたのではないだろうか。また、北欧の中でもユニークな位置づけを持つフィンランド(日本人はとかくスカンジナビア三国を一緒くたにしてしまいがちであるが、そんな簡単なものであったなら、あの半島にあるのは一つの国であったはずで、それが3つの国になっていることだけでも、その複雑な成り立ちは想像できる。
実際に調べてみると大変なもので、フィンランドの国の人々が独立を勝ち取り、それを維持するために行ってきた努力は大変なものであったことを知ることができる。そしてその中にシベリウスがいるのである。
彼は、国民主義、あるいは愛国主義の音楽家としてまずデビューした。(日本でこんなことを言うと右翼と間違えられてしまいそうで…私は右翼でも左翼でもない)フィンランドの叙事詩であるカレワラを題材とした音楽、愛国的なフィンランディアを思い出すと良い。彼はフィンランドの音楽家ということにアイデンティティーを見いだしていた。
その語法は、初期においては特にユニークであったとは言えない。確かにシベリウス独特の節回しはあったものの、表現の可能性を様々に探るという二十世紀の音楽家たちが好むと好まざるとに関わらず十字架をシベリウスも背中に背負わされていたのである。
ブラームスは晩年に至り、ドイツの作曲界はすでにヨーロッパの主流から滑り落ち、国民音楽協会などを作り、器楽の復興に取り組んできたフランスに主流は移っていた。
ストラヴィンスキーやドビュッシー、ラヴェル、ファリャ、オネゲル、ミヨー、ルーセル…もうあげればきりがないほどの大作曲家たちがパリを舞台に活躍していた。
シベリウスはその中にはいなかった。彼は十九世紀の言葉と表現方法に生きていた「古い」作曲家であったからだ。
もちろん、それが価値を決めるようなものでないのは言うまでもないことであるが、このギャップに最も苦しんだのは当の本人であったに違いない。
そして自己改革、自己止揚を繰り返す中で、大きな転機となったのが、この第4番の交響曲と、不人気ではあるが第3番の交響曲であった。この成果の上に第5交響曲以降の傑作が生まれるのであるが、ではこの第4番の持つ意義、何が大きな転機であったのかである。
まず、私の耳を奪うのは冒頭からの低音域への偏愛である。重い響き、ゆったりとした時間がこの交響曲の冒頭に出てくるものである。
そしてモード、それもあまり使われないロクリア旋法の幻想的な扱い。もともと主音から三度を重ねて得られる主和音が減和音というとても使いにくいモードを、シベリウスは第3音を根音とする和音を主和音の変わりに使うことで解決し、低音にFisとEの音を交互にオスティナート的に配することで、ロクリア旋法を維持するという方法をとっている。
巧妙なこのやり方をまず指摘すべきだろう。
続いて、この楽章の特異な構成にも注目したい。
Tempo molto moderato, quasi adagioという指示がある冒頭の主題が変容していく中で、Adagioという指示のある挿入句が入り、再び最初の主題が出てきて変容をはじめるという次第で、これは第2主題としての役割を持たされることなく、音楽は更にユニークな形をとっていくのだ。
この課程での挿入句は特に拍節感を感じさせないように、しているあたりは、後年の武満徹などの作品を連想させる。
しかし、彼はこの曲を書いてほぼ十年して筆をおる。交響曲は第7番で終わってしまうが、その後三十年あまり、第8番の発表が噂され続けた。
彼は何故筆を折ったのか。それは作曲者自身にしかわからないことであり、私ごときが書くべきことではないとは思う。ただ、音楽語法が急速に新しい分野を開拓していくのに対して、ついて行けなかったのではないだろうか?
そんなことを考えつつ、昨日は授業を行った次第である。
by Schweizer_Musik | 2007-06-21 10:08 | 授業のための覚え書き
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