ブルッフを聞いて
静かに午後を過ごしている。音楽を聞き、集中していると少しずつ疲れがとれていく気がする。
ロザンドのブルッフが良かったことを思い出して、パガニーニの不満を忘れようとブルッフのヴァイオリン協奏曲第2番を聞いてみた。とても良かった。曲は堂々たる?B級名曲だろうけれど、私はこうした作品も大好きなのだ。
そう言えば、このブルッフという作曲家、ブラームスがそのヴァイオリン協奏曲を聞いて「あれくらいなら私にも書ける」と言ってあの傑作のニ長調のヴァイオリン協奏曲を書いたという逸話が有名なこともあり、どうも二流作曲家の烙印がおされてしまっているのは気の毒だ。
確かに、ブラームスのような押しも押されぬ傑作というわけにはいかないまでも、第3番のヴァイオリン協奏曲など、なかなかによく書けているし、3曲ある交響曲も、超大作というわけでもないのだが、ロマン派の交響曲としてはそれなりにいけているのだが…。
彼の不幸は1920年まで生きたことで、ロマン派後期から近代にかけての作曲家と誤解されているところにあると思う。彼は1880年代までは盛んに作曲していたが、1890年頃からはベルリン高等音楽院で教えるようになったせいで、作品の数が減り、仕事の中心が教育へと傾斜した。
また多数書かれた宗教作品は
1838年の生まれで、ブラームスより五才年下という世代の彼は、ワーグナーなどよりもずっと保守的な作風であったとは思うが、もう少し大切にされても良いと思う…。
で、最近お気に入りとなっているリチャード・ヒコックスの指揮するロンドン交響楽団の演奏でブルッフの交響曲第3番を聞いてみる。
1882年の作ということで、マーラーの最初の交響曲が書かれた頃にあたる。マーラーに比べればもちろん保守的であるが、生まれ育った時代が違うのだから、同列に論じるのは愚かであろう。
むしろシューマンやメンデルスゾーンの発展型で、ロマンチックな味わいとともに古典的なコンパクトにまとまった展開、形式への依存が強く表れていると思う。
またワーグナーなどの半音階主義は、ブルッフとは無縁のものであったのだろう。むしろスコットランド民謡(スウェーデン幻想曲という佳作がある)や、スウェーデン舞曲集のような素朴な音楽に強く惹かれていたようだ。
こうした点でブラームスと同じ路線であったのだが、ブラームスのような複雑な書法も彼のものではなく、もっと単純にしてシンプルなものがブルッフの個性に合っていたのだろう。
これは能力や才能などというより、個性と言った方が良いように思われる。この三番の交響曲を聞いて、ウェーバーの「魔弾の射手」で描かれたドイツのシュヴァルツヴァルト(黒い森)を思い出さない人はいないのではないだろうか。
豊かなファンタジーがここにはあると思う。そしてヒコックスとロンドン交響楽団は全く素晴らしい演奏を聞かせている。かつてはクルト・マズアの指揮で聞いていたが、これからはこのヒコックスで聞くことにしよう!
by Schweizer_Musik | 2007-07-12 18:27 | ナクソスのHPで聞いた録音
<< ホーネックの指揮したブルッフ(... ロザンドのパガニーニ…うーん >>