涼を求めて (4) 夏の日の…
マクシミリアン・ラオウル・ヴァルター・シュタイナーという作曲家はご存知?(笑)
1888年にウィーンのアン・デア・ウィーン劇場(ベートーヴェンなどの伝記に必ず出てくる名門中の名門劇場)の支配人の家に生まれた。父はヨハン・シュトラウスⅡ世やオッフェンバックと交友がある名士である。その一人息子である彼は裕福な家庭をバックに音楽界にデビューするが、1906年に父が破産し、幸福な青年時代を終え、食うために仕事をすることとなり、ロンドンで劇場の作曲家・編曲家・指揮者として活動をはじめたのだったが、第一次世界大戦でイギリスに居づらくなり(彼はイギリスの敵国であったオーストリア国籍のユダヤ人であった)アメリカに渡る。
そして無一文の彼が何とかアメリカでありついた写譜屋の仕事をきっかけに、ブロードウェイの作曲家、指揮者になっていったのだった。
さて、アメリカでの彼の名前は、マックス・スタイナー。
ブロードウェイのミュージカルで名を売った彼が、トーキー時代を迎え、ミュージカル映画「リオ・リタ」の音楽担当としてハリウッドに進出し、その後はハリウッドで売れっ子作曲家として大活躍をした。
1933年に制作された映画「キングコング」の音楽をはじめ、数々の映画音楽を書いて、アカデミー賞などを受賞した作曲家、マックス・スタイナーなら、みんな知っていることだろう。
映画そのものは大した話題とならなかったようだが、1959年に制作された映画「避暑地での出来事」の音楽は、「夏の日の恋」というタイトルで、バーシー・フェイス・オーケストラが演奏して大ヒットをとばした。全米ヒット・チャートの一位をとったこの曲は、私にとっても思い出の一曲となった。

今もあるそうだが千趣会(調べてみたら株式会社なのだそうだ…知らなかった)から出ていた月一枚の通信販売のレコードが我が家に1年分あり、それを飽きることなく聞いたのが、ポップス音楽を聞き始めた最初となった。その初めて我が家に届いた一枚が8月号で、そのはじめに入っていたのがこの曲だった。編曲は石丸寛氏で、氏が指揮して演奏されていた。
彼の指揮したこの曲を親しんだ後、パーシーフェイスの演奏を聞き、それもまた大好きとなった。おかげで、夏になるとこの曲を聞きたくなる。
後にディスコ・ブームに乗って、ディスコ調の「夏の日の恋」もバーシー・フェイスが演奏していたけれど、私にとっては石丸寛の演奏と最初の録音が全てだった。
6/8拍子で書かれたロッカ・バラードのアレンジが、ゆったりとしたバカンスの昼下がりを思い起こさせる。恋はもう卒業したけれど、なかなか胸キュンの音楽で良いと思う。
by Schweizer_Musik | 2007-07-24 22:14 | CD試聴記
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