エマニュエル/ブルゴーニュの歌 (1926) ****(推薦)
フランス近代において、民族主義的な動きがどうだったのかという点は、あまりに軽んじられてきた問題だったと思う。カントルーブのオーベルニュの歌などは、そうした動きと言っても良かった。しかし、そうした固有の民族的な素材による音楽は洗練したオーケストレーションや和声、対位法の技術の中に消化され、彼らの音楽は民族的な特徴がよりインターナショナルな性格に消化されているのが印象的である。
さて、このエマニュエルの「ブルゴーニュの歌」はそうした民族的な素材に基づく1926年の合唱のための作品である。古くから伝わる民謡を元に合唱と二人の独唱のために書かれたこの作品は、カントルーブの有名な作品と異なりピアノ伴奏というモノクロームな背景の上に合唱と独唱によって構成されている。もちろん合唱だけの作品もあれば、独唱とピアノだけの作品もあり、独唱と合唱が丁々発止と掛け合う曲もあり、変化のある30曲となっている。第八曲「私は見た、狼を、きつねを、野ウサギを」などは見事な民謡の芸術化であると言えよう。続く「クラヴォヨンの少女たち」の男達と女たちの掛け合いがそのまま民俗的な市井の人々の伸びやかな感性の発露となっている点などは高く評価されよう。

ロジャー・トゥーレ指揮ブルゴーニュ地方合唱団の演奏は、土俗的であり洗練とはあまり縁がなさそうだ。独唱者の二人、フローレンス・カッツ(mezzo-sop)とジャン=ピエール・クェナウドン(ten)はお世辞にも上手いとは言えないが、何故だか土俗的な味わいを持っている。とは言え、ネタニア・ダヴラツのような土俗性と洗練がバランスしているようなものではなく、どちらかと言えば稚拙なところが印象的だ。第20曲「羊飼い達よ、さようなら」でのテノールのジャン=ピエール・クェナウドンは合唱団の一員ではないだろうか。ソロをピアノ伴奏で歌いきる技量ははっきり言ってない。こうしたところにプロの歌手をあてれば、もっと印象は違ったろう。

第十曲の「クリスマスの歌」など、あまり上手いとは言えないが心からクリスマスを祝う喜びに満ちている。
ピアノを弾くラウレ・リヴィエーレは大変優秀な伴奏ぶりを披露している。第16曲の「私が私の村を去った時」などでは音の硬さが出てしまい、響きに余裕がなくなってしまっているが、総じて軽妙な伴奏で、音楽の雰囲気作りに大きく貢献している。第19曲「少女たちの急場」などの勢いのある音楽は彼の軽妙な伴奏があってこそではないか。

愉しい、そのまま歌えそうなメロディーの数々がどんどん出てくる、この作品が我が国であまり取り上げられないのは、ただただフランス語という言葉の壁なのではないだろう。モードを使ったメロディーは美しく、合唱の編曲はそう目新しい技法が使われているわけでもないが、そのかわり平易でわかりやすい。もっと知られて良い傑作ではないだろうか?
演奏がそれほどでもなくとも、この音楽は十分に楽しめた。それは民衆の音楽そのものが持っている力のようなものなのかもしれない。そしてそれをエマニュエルは上手く引き出している。良い音楽だ。お薦めである。

MARCO POLO/8.223891
by Schweizer_Musik | 2005-02-26 22:26 | CD試聴記
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