若葉の季節…音楽を聞こう -06. ブラームスの「五月の夜」
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初夏の清々しい空気を胸一杯吸いこんで、音楽を聞いてみよう。
五月ブラームスの歌曲「五月の夜」Op.43-2などはいかが?
1866年に書かれたこの作品は、ヘルティの詩に作曲されたもので、去っていった恋人の姿を追い求める詩人の心を切々と歌い上げているもの。
次にその訳をあげておこう。

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白銀の月が茂みの中を照らし
眠りを誘う光を芝生に投げる時
そして、ナイチンゲールのさえずる時
ぼくは茂みから茂みへと悲しくさまよい歩く。

木の葉に隠れ、番(つがい)の鳩が
その恍惚を鳴き告げる。しかし僕は背を向けて
もっと暗い木陰を探し求め、
孤独の涙が流れ落ちる。

おお、曙光の如く僕の心を照らすほほえみの姿よ、
いつ僕は御身を地上に見出すのか?
そして孤独の涙が
更に熱く震えながら僕の頬を落ちるのだ

(石井不二雄訳)
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恥ずかしながら私にはもう縁遠くなったものであるが…(笑)、この瑞々しい感覚は、壮年期のブラームスの淡いクララへの思いと重ね合わせてみたら良いのだろうか?
初夏のひと恋しくなる季節に良い作品では?
シューベルトも同じ詩に作曲しているが、ブラームスが除いた第2節も作曲しているそうだ。ただ、私の持つフィッシャー=ディースカウのシューベルト歌曲全集に収められた演奏ではその第2節が省略されていて、ブラームスと同じ構成となっている。
歌曲のことで時々調べていてお世話になる 梅丘歌曲会館のサイトによると「笛のような鳴き声を響かせるナイティンゲールがパートナーの雌と1つの巣の中で千回もの口づけをする」という内容なのだそうだ。
ブラームスと同じ構成にした理由はよくわからないが、シューベルトは短調で書かれ、ちょっとだけ「糸を紡ぐグレートヒェン」のような感触があり、比較的素朴な歌として書かれている。歌い始めを聞いていてふとマーラーを思い出してしまうのだけれど、それは反応しすぎだろうか?
ブラームスは心の奥底を探るようなところが長調の明るい響きで詩の内容と鋭く対比させているところに特徴があるように思われる。

> おお、曙光の如く僕の心を照らすほほえみの姿よ、
> いつ僕は御身を地上に見出すのか?

ブラームスの「五月の夜」を聞いていると、恋人を思う歌から神と対峙する敬虔な祈りへと止揚されているのではと錯覚をおぼえるほどだ。もちろん違うのだけれど、それほどの深みにはまっている。
シューベルトも一見素朴で深くなさそうなのだけれど、聞けば聞くほどに深淵をのぞき見るような恐ろしさがある。
もとの詩が「夜」をテーマとしているからだろうか?

私はフィッシャー=ディースカウがバレンボイムと録音したものも好きだが、白井光子さんが録音したものを溺愛している。彼女の歌を聞いて心打たれない人がいたら、その人は恋なんてしたことがない人だろう…。
by Schweizer_Musik | 2008-05-25 07:18 | 若葉の季節…音楽を聞こう
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