2007年 02月 01日 ( 2 )
ウェーベルンの管弦楽のための協奏曲
久しぶりにウェーベルンの管弦楽のための協奏曲Op.30を聞いていた。
面白い。すこぶる面白い曲だ。
弦楽三重奏曲を契機として、ウェーベルンは再び器楽の分野に戻ってきたのだが、極端なミニチュアールに向かっていた彼が、これ以後大形式に向かい、交響曲、四重奏曲、9つの楽器のための協奏曲、ピアノのための変奏曲と完成させた彼が、その締めくくりとなったのがこの管弦楽のための変奏曲である。
変奏曲とは名ばかりで、一種のソナタ形式とも受け取れるもので、彼は音列と音色旋律の技法をここに完成させたと言ってよい。このあとカンタータ第2番を完成させて、アメリカ兵の凶弾に倒れたのだった。
次にこの作品の音列をあげておこう。
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この音列はいかにもウェーベルンらしい幾何学的なまでに純化された美しいものだと思う。前半の6つの音をEsから反逆行で作っているので、この音列は反逆行の音列を作ることができない。幾何学的に美しく作ると逆にそれだけ可能性を減じるのだが、それを補うのが大きくとられたディナーミクの変化と原色の音色を極限まで使いきったことで、豊かな情感が音楽に与えられている。
変奏曲とあるが、通常の前奏、主題、第1変奏〜というものではない。構成は次のような形で出来ている。そしてそれぞれが変奏となっているのである。
1) イントロダクション
2) 主題提示
3) 移行部
4) 副次主題提示
5) 主題の再現
6) 移行部
7) コーダ
こういう形式で出来ている。展開部を欠くソナタ形式と言えなくもない。ただ、こんなことを知らなくても充分にこの音楽は楽しむことができる。それがポイントだと言っても良いだろう。
この作品の特徴は、交響曲に聞かれた点描主義的なカノンなどの発展型ではないことにあるだろう。ウェーベルンにしては珍しくホモフォニックな点である。
また拍子感が極めて曖昧で、音楽の呼吸に合わせて拍子が自然と伸び縮みしている点が面白い。変拍子だと言われなくてはわからないだろうが、私はこういうスタイルにとても共感するところではある。
昨日の現代音楽の授業で、メシアンなどのトータル・セリエルの話をする中で、ウエーベルンの交響曲第1楽章をとりあげて簡単な分析をした。バッハの音楽の捧げ物のアレンジもスコアを提示して音色旋律などというものの説明をしたことで、久しぶりにこの曲を聞きたくなったのである。午後、10回以上、これを聞き返してみた。短いので、そんなに大変なことではない。それよりも毎回集中力を強いられるので、何度も休憩をとりながら聞いた。
スコアを見ながら聞き、分析してみてから聞き返し、ちょっとピアノで音を出してみたりしてから聞き返したりした。
ブーレーズの指揮で聞いていたのだが、この作品の録音をカラヤンが残していたら、どんな演奏だっただろうかと想像をたくましくしても聞いた。
おかげで充実した一日となった。
by Schweizer_Musik | 2007-02-01 23:21 | 授業のための覚え書き
トミーズの「尻だし」事件に接して…
お笑いコンビのトミーズが中国の仏教の聖地として名高い(そうだ)"南山文化旅遊区"で「尻を出して」問題になっているというニュースが流れていたが、この事とは関係ないのだが、昔、ウィーンの中央墓地でベートーヴェンやシューベルトのお墓で記念撮影をしている若い東洋人のカップルがなんとベートーヴェンの墓石によじ登って写真を撮っていたのを目撃し、とても恥ずかしく感じたことがある。
私はヨーロッパの教会を訪ね歩き、そのオルガンの響きを聞くのが大変好きなのだが、有名な教会などでもこういう傍若無人な観光客を見たことがある。幸い日本人はほとんどいないのだが(よくわからないが中国人がとても多い気がする…と言っても言葉からなんとなくそう感じるだけで、尋ねたわけではない)、そういうのを目撃して、現地の人などは顔をしかめ、あきれたような顔をしているのを見て、またまた恥ずかしくなる。

ベートーヴェンの墓石によじ登っていた若い「元気な」中国人とおぼしき男は、随分お金持ちのようで、ブランド品を身につけていたが、ただの下品な野蛮人にしか見えなかった。(私は中国人が嫌いでもなんでも無い。私の弟子にも中国人や韓国人もいる。彼らはおしなべて知性豊かで、品位の高い者たちだ。中国人みんながそうであるなどと無茶苦茶なことを言っているわけではない!念のため!!)
こんなことを思い出しながら、トミーズの事件の話を聞いていた。お笑いブームで、海外でもそうしたエンターテイメント番組のロケが行われるのだろう。だが…。

ルガーノ郊外のモンタニョーラという村にヘッセが住んだ家がある。それを日本のテレビ局が紹介して、観光客が押し寄せたことがあった。実はその家は代替わりをして別の家族が住んでいるのだが、我が国の観光客はそんなことはおかまいなしで、その家の敷地に入り込み、家の中を見せろとわめきたて、大変な迷惑をかけたことがあったそうだ。博物館と普通の家の区別も付かない愚かな人たちのおかげで、その家に住んでいた人はとんでもない目にあってしまった。
ご先祖様たちが聞いたら、赤面し、子孫の愚かさに嘆くのではないだろうか。節度ある態度と相手を思いやる気持ちはどこへ行ったのだろうと、つまらぬ説教をたれてみたくなった。
by Schweizer_Musik | 2007-02-01 18:52