2007年 02月 25日 ( 4 )
スランプなので小品を書いて気分転換する
多忙の後の後遺症だろうか?少しスランプに陥っている。良いアイデアがうかばず、楽譜が一向に進まない。書いては消し、書いては消すというのを一日やっていたらどうも気分が良くなくなってしまった。
音楽を聞いたりして気分転換を図るが、結局いつもの通り、ピアノの小品を書いて気分転換した。春みたいな日が続いていたと思ったら今日はずいぶん寒い一日だった。だから桜咲く春を思いながら、作品を作る。
今回は楽譜も一緒に…。別に他で使う予定もないので…。
春の唄う
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2007年2月26日追記
少しゴチャゴチャしていたので、簡単にしてみました。中間の左手を更に簡単に小さな手で弾けるようにしてみたのですが、これなら使えるかなぁ…(笑)それほどこの曲にはこだわっていないのですが、みてみると直したくなるのでそろそろ止めなくては。ブルックナーの気持ちがとてもよくわかる今日の私…。
by Schweizer_Musik | 2007-02-25 23:48 | 日々の出来事
ロジェストヴェンスキーの指揮でエネスコの交響曲第3番を聞く
エネスコの交響曲第3番を聞いた。またまたナクソス・ライブラリーである(笑)。
この曲は以前、マルコ・ポーロ・レーベルで持っていたが、こんなに面白い曲だとは知らず、さぁーっと聞いてそのままになっていた。お恥ずかしい次第である。
エネスコと言えば、ルーマニア狂詩曲第1番のいささかライトな民族主義のようなイメージでいた。いやそれ以上に晩年のバッハの無伴奏などの録音で知るヴァイオリニストとしての印象の方がずっと大きいもので、私は彼の作曲は大変優れたヴァイオリニストの余技程度に思っていたところがある。がそれは間違いだった。
この作品は1919年に書かれ1920年に初演されているから、第一次世界大戦直後の作品ということになる。ストラヴィンスキーはすでに古典的な書法にスタイルを変化させていた時代であり、パリでは6人組が産声をあげた時代である。
新古典主義とシェーンベルクなどのドデカフォニーの音楽が前衛であった時代に、このような厳しい響きのシンフォニーをエネスコが書いていたとは驚きである。
ライトな民族主義などどこにもない。それどころか、深い喪失感と絶望、そして平和な音楽が渾然一体となった独特の世界が描かれているのだ。これには驚いた。
彼の室内楽などにはドビュッシーなどの影響が色濃く反映したものがあったりするので、この作品にもそうしたものが聞かれることは意外でもなんでもないが、強い不協和や増音程を強調したあたりは某かの曲に込めた強い思いが感じられる。
終楽章に女声合唱がハミングで加わるのは、ドビュッシーのノクチェルヌを思い出させるが、オルガンやピアノも使われていて、響きの同質性以上にエネスコのアイデアが全面に出ているように思う。
指揮はゲンナジ・ロジェストヴェンスキー。オケはBBCフィルハーモニー管弦楽団。この演奏あってのこの深い感動である。ぜひ一度お聞きになることをお薦めしたい。
by Schweizer_Musik | 2007-02-25 19:09 | ナクソスのHPで聞いた録音
エルガーの交響曲第2番をナクソスで聞く
エルガーの交響曲第2番をナクソスで聞く。指揮はエドワード・ダウンズで、オケはBBCフィルハーモニーである。もの凄く良い演奏なので、つい最後まで聞いてしまった。1909年から1911年にかけて作曲されたこの作品は2曲残されたエルガーの交響曲のその2曲目というわけだ。何故こんな当たり前のことを書くのかと言えば、第3番を「復元」して聞かせるという愚かしいことをやる者がやはりいるからである。
私はエドワード7世に捧げたというこの作品とリヒターに捧げた第1番だけで充分だと思うのだが、世の中にはそう思わない人が多いらしい。誰もエルガーになれないのだから、そんな無駄なことをしなくても良いと思うのは私一人なのだろうか?
そんな話はともかくとして、エドワード・ダウンズ卿の指揮によるこの演奏は名演である。オケは片時も集中力を欠くことなく、全力で演奏している。アンサンブルは緊密で力強さと祝典的な明るさにあふれている。イギリスの放送オケとしてBBC交響楽団に次ぐ地位のあるBBCフィルであるから、悪いはずはないのだが、この集中力は見事である。
第2楽章ラルゲットの深く悲しみに満ちた響きの中から歌が生まれていくのは感動的だ。どんな演奏で聞いたのだろう。今思い出そうとしてもどうしてもこの曲についての良い思い出がないのだ。第1番の方が多い。プレヴィンのフィリップス盤やショルティ、デイヴィス、バルビローリなど良い演奏はたくさん思い出すのだが、第2番は…。
それだけこの曲が地味なのだろうか?確かに地味な印象をもたらさないとは言えないが、この演奏のような良いものに巡り会えなかっただけのような気もする。
オーケストレーションもフランスの同時代の作曲家たち、例えばドビュッシーやラヴェルといった作曲家たちの作品と比べると、それほど独特なオーケストレーションが行われているわけでもない。ブラームスのような質実剛健な響きはあるが、淡いパステル・カラーや水彩画のような軽快さ、あるいは印象派のような光と影のコントラストなどは全く無縁の重厚さで全編が占められている。
良い音楽なのだが、重いという感じがつきまとうことも事実である。だからいつも聞くのはちょっと鬱陶しい…。でも感動がこの音楽にはある。ダウンズ卿の演奏にはそれがあふれんばかりに備わっている。歌い回しの雄弁さはどうだろう!確信に満ちた表現は説得力抜群だ。こういう音楽を聞かされるともうついつい私の涙腺が弛みいけないこととなってしまう。
第3楽章がスケルツォでなくロンドというのも変わっているなぁと思うけれど、動的な楽章としてロンドを置いたようではある。しかし私は特に凄い演奏だと思ったのは終楽章だ。
堂々とスケールの大きなこの楽章をダウンズ卿はこれ以上は考えられないほどの高い格調とスケール感で演奏している。ほとんど指定以外でのテンポの動きはないのだが、深いタメというか呼吸で演奏するので、音楽に自然と重みが蓄えられるのだ。
良い演奏だった。この曲がやっとわかったような気になった。ナクソス恐るべしである。

NAXOS/8.550635
by Schweizer_Musik | 2007-02-25 17:25 | ナクソスのHPで聞いた録音
クライツベルクのフランス物を聞く
クライツベルクが2003年から音楽監督をしているオランダ・フィルハーモニーを振ったフランス音楽集を聞いた。フルートが活躍する作品を選んだようで、ドビュッシーの牧神の午後への前奏曲やラヴェルのダフニスとクロエ第2組曲やフォーレの「ペレアスとメリザンド」組曲などが収められている。
ロシアの指揮者がフランス物というと、どうも色眼鏡で見られてしまうようであるが、もともと本場物というものを信用しない私は、何年か前の来日公演の評判がよかったこともあって、興味をもっていたのだ。そしてその結果はまさに私好みでとてもうれしく思った。
ドビュッシーはかなりテンポが遅く、タメが深い。それでいて決して重くならない。当然ロシア音楽のような響きはない。(当たり前だ…チャイコフスキーみたいにこの曲を振ったらただの物笑いの種にしかならない)表情は全体に淡彩で、濃くないのがそうした重さを感じさせないところとなっているのではないだろうか?しかしこのテンポはとても気持ちが良い。ただ、全体にもう少し起伏というかメリハリがあっても良いだろう。クライマックスがやや不完全燃焼で聴き応えという点ではやや?である。
ダフニスを聞いても、テンポの良さがクライツベルクの大きな特徴となっていることがわかる。無理がないのだ。速すぎることもなく、かといって停滞するようなこともなく、どこにも極端な表現はない。それでいて音楽は深く、充分な呼吸で息づいている。これは大きな美点である。
フォーレの「ペレアスとメリザンド」の前奏曲などはそうした美点が最も良い結果をもたらした例としてあげることができる。楚々として美しい!こんなフォーレが聞きたかったのだ!クレジットされているLeon Berendse(なんとお読みするのでしょう?)はきれいな、とても素直な音色で私を魅了した。これは「牧神の午後…」でもそうだったが、このCDでのフルーティストは大正解である。したがって有名なシチリアーノの演奏は今まで聞いた中でも最高の出来だと思った。
ラヴェルの「鏡」の中から「鐘の谷」がオーケストラ編曲で聞けるのはありがたい。編曲はこれはおそらくグレインジャーのものだと思う。何かのCDで聞いた記憶がうっすらとあるが、打楽器を色々と使った異色の編曲で、墓の下のラヴェルは苦笑しているに違いない。とは言え、ラヴェル自身が編曲しなかったピアノ作品の中で、最もオケ向きだと思う作品だけに、このグレインジャーの挑戦的なアレンジも聞き物であることは間違いない。演奏は前に聞いた(誰だったかすっかり忘れてしまった)ものよりもずいぶん良いように思った(うろ覚えの記憶だけがたよりなので…)。
ボレロは大体標準のテンポで、じっくりと演奏している。全く聞いていて安心感のある運びで、エキセントリックなことをやって話題をとろうなどという山っ気はまったくない本格派の演奏で、こうした演奏でこそこうした作品は生きてくるのだ。私は極めて好ましく感じた。
これからクライツベルクという指揮者には注目していかなくては!本日の掘り出し物であった。
by Schweizer_Musik | 2007-02-25 14:20 | ナクソスのHPで聞いた録音