鎌倉スイス日記:夢の演奏
2006-06-23T20:23:28+09:00
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スイスを思い、好きな音楽と共に過ごす、古都鎌倉での穏やかな日々の記
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夢の名演奏 (22)
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2006-06-23T20:11:00+09:00
2006-06-23T20:23:28+09:00
2006-06-23T20:11:54+09:00
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夢の演奏
それだったらブーレーズはどうだとか、プラッソンは?などと突っ込まれるといきなり立ち往生することも見えている。ならば、これらのフランス人指揮者がロシア系の音楽を得意としていたと言うのが正しいのかもしれない。
つい先だって、マルケヴィッチの「悲愴」を聞いていて、聞き比べをしたりしてモントゥーの「悲愴」を聞いてみた。昔、RCAから出ていた廉価盤で聞いたものだ。これが意外なほど良い。というよりもシンフォニックで、細部に無用な粘りがなく、展開もスムーズに聞けるのだ。何よりもチャイコフスキーのオーケストレーションの工夫が、大音量でグシャグシャになっていないのがうれしい。
で、モントゥーのこの演奏で気をよくして、BMGから出ていたアンソロジーの箱物を取り出して聞いてみた。リムスキー=コルサコフの「アンタール」やスクリャービンの「法悦の詩」などが入っているのだ。録音はいささか古く、聞きづらいのだが、バランスの良い響きでモントゥーがいかに才能豊かな指揮者であったかがよくわかるものとなっていた。
そういえば、クリュイタンスのロシア物も良かった。私が時々聞くのは(と言っても部分的にではあるが)ムソルグスキーの歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」である。リムスキー=コルサコフ版だと思うが、この演奏でこの曲に親しんだので、未だにこれですませている。(アンセルメの古いライブ録音も持っているし、他にも何セットかあったが、忘れてしまった)
クリュイタンスはラヴェルの全集で有名で、そればかりが今も話題になるが、確かにパリ音楽院管弦楽団との来日公演のインパクトが大きい日本ではそうなるのも理解できないわけではない。しかし、彼の本領はフランス物だけではなくドイツ物(シューマンの「ライン」などの名演がEMIにあるし、ベートーヴェンの交響曲全集は名盤だ!)などにも素晴らしい適性を示した。バイロイト音楽祭にもドイツ人以外では初めて招かれた指揮者としても有名だ。
その彼が、ロシアものを得意とし、ボロディンやムソルグスキーの管弦楽作品を録音しているのだが、チャイコフスキーの交響曲は何故かないのだ。ボロディンの交響曲第2番なんて、彼ならば素晴らしい演奏を繰り広げたに違いない。チャイコフスキーの第2番「小ロシア」など、きっと感傷的にならずキリリとまとめあげていただろう。「冬の日の幻想」も彼ならばどれだけ広がりのあるファンタジーを描いてくれたことか!想像するだに、録音が聞けないのが恨めしい。
ただ、第4番と第6番「悲愴」の第3楽章だけが「交響曲へのお誘い」などという企画もので発売されている。ああ、何故全曲やってくれなかったのだ!これでは気を引くだけ引いておいて、知らんぷりされているようで、恋い焦がれる気持ちだけが高ぶっていくばかりだ。
ギレリスとのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の映像やミルシテインとのヴァイオリン協奏曲を聞けば、きっと素晴らしいチャイコフスキーを聞かせたことだろうと思いばかりがつのる。
私は夢想する。EMIのアーカイブからパリ音楽院管弦楽団とのロシア物の未発表の録音が発売されるというニュースを。チャイコフスキーの交響曲で第1番、第2番、第6番と全集録音途上で何故か放置された録音が発見され、デジタル・リマスターしたCDが発売される。こんなニュースが飛び込んできたら、一も二もなくレコード店に急行だ。
「悲愴」の第1楽章をクリュイタンスはあまりピアニシモを強調しすぎず、フレーズを大きくとってスケール豊かに演奏している(ことだろう)し、パリ音楽院管弦楽団の面々の特に木管のソロが、美しく彩っているに違いない。「冬の日の幻想」の冒頭の木管のメロディーを、彼らの演奏で聞けたらどんなに素晴らしいことだろう!
昔、フェレンツ・フリッチャイのベルリン放送交響楽団とのステレオ盤「悲愴」が発売された時の興奮に並ぶものとなるだろう。
追記 : すみません、またまたクリュイタンスになってしまいました!]]>
夢の名演奏 (21)
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2006-06-22T12:12:00+09:00
2006-06-22T12:16:28+09:00
2006-06-22T12:12:36+09:00
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夢の演奏
かつてもアイドルはワルターでありフルトヴェングラーであり、ライナー、ミュンシュであった。モントゥーも大好きで、ずいぶん集めたと思う。しかし、ハイティンクはその中にはいなかった。
私が本格的に彼を聞くようになったのは、ずいぶん後の話だ。だから色々と買いそびれたものが多いし、ひょっとしたら知らない録音もあるのかも知れない。
私を彼のファンにした録音はいくつかあるのだが、中でもチャイコフスキーの交響曲第5番の演奏の超名演だった。昔、ヤマハの講師研修でこの曲を使って分析等をやったことがあるのだが、その時に聞かせる演奏を選ぼうと集めて聞き比べをし、選んだのがこの演奏だった。
ハイティンクの演奏は圧倒的だった。第1楽章からオケがとても伸び伸びと演奏している。こけおどしのようなところが無いとは言えないこの作品で、彼らのあふれるようなカンタービレのふくよかさには参ってしまった。特に第2楽章の冒頭の美しさ!あのオケが当時どれだけのアンサンブルであったかを物語るものだ。
ハイティンク時代のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサート・マスターは、1962年のシーズンから1979年のシーズンまでヘルマン・クレバース、また重複して1974年のシーズンから1984年のシーズンまでテオ・オロフも務めていた。この二人は本当に素晴らしいコンマスだったと思う。
また、チェロには1976年のシーズンまで、フルトヴェングラーとのシューマンのチェロ協奏曲の名演もあるティボール・ド・マヒューラが座っていたし、アンナー・ビルスマもクレバースと同じ1962年のシーズンから1967年のシーズンまで座っていたのだ。
コンドラシンの指揮した「シェエラザード」なんていう名演もこのクレバースがソロをとっていた。何しろメンゲルベルクの時代に天才少年として現れ、メンゲルベルクとブラームスだったかの協奏曲の録音をしていたが、以来彼はヴァイオリン協奏曲の数多くの録音を行ってきた、知る人ぞ知る名ヴァイオリニストなのだ。
私がはじめてブラームスのヴァイオリン協奏曲を聴いたのもこのクレバースのものだった。オケはすっかり忘れてしまったが、クレバースのヴァイオリンは忘れない。
1970年代にハイティンクの指揮するロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とベートーヴェンやブラームスの協奏曲を録音しているが、それらは実に見事なものだった。
こうした名人が彼のサポートに回ったのだから、ハイティンクは幸せだった。彼はメンゲルベルクやベイヌムといった指揮者たちの後を受けて、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を若くして任され、こうした逸材たちの協力で大器へと成長していったのだ。
こんな時代があったのだ。今ではハイティンクのような指揮者が育つなんてことは考えられない。世知辛い世の中になったものだと思う。だからこそ、彼のような演奏家の音楽を我々は楽しめばいいのだと思う。
ところで、ハイティンクの録音を聞いていて不思議なことに気がつく。彼はベートーヴェンをのぞいてハイドンやモーツァルトの管弦楽曲をほとんど録音していないのだ。歌劇はグライドボーンの監督をしていただけあって、「フィガロの結婚」や「魔笛」の名演はあるのにである。
ちなみに、ずいぶん昔だと思うが、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の来日公演でハイドンの交響曲第95番ハ短調を演奏しているのだから、レパートリーにないはずはないのにである。
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のシェフに就任したとき、常任にオイゲン・ヨッフムが就任し、双頭体制が敷かれたことは有名だが、その頃はハイティンクがマーラーやブルックナーをやり、ヨッフムがモーツァルトなどのドイツ古典からロマン派初期を担当するというプログラミングが来日公演などではよくとられていた。ひょっとしたらフィリップスの意向が反映されていたのかもと、勘ぐってしまったりするが、確証は全くない。
しかし、ハイティンクが古典。ベートーヴェンも今ひとつ評判になりにくい状況で、ハフナーやリンツを録音しても、売れないという判断なのだろうか?
私は夢想する。ハイティンクとロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団によるお蔵入りの録音が見つかったというニュースが駆け巡るのを。モーツァルトのハフナー・セレナーデのクレバースのソロで、そして13管セレナードが見つかったと。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の木管が1970年代には最高に充実していた。弦のすばらしさを聞く曲と管のすばらしさを聞く曲の組み合わせを、まともにやれるオケと言えば、ウィーン・フィルとベルリン・フィル、そしてこのコンセルトヘボウ管ではないか!
こんなマイナーな組み合わせだと売れないだろうか?
しかし、私はこのオケのすばらしさを実感するシリーズを、ロマンチックなハイティンクの指揮で聞いてみたいと思うのだ。こんな妄想を描いてみた。]]>
夢の名演奏 (20)
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2006-06-20T01:59:00+09:00
2006-06-20T02:03:55+09:00
2006-06-20T01:59:06+09:00
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夢の演奏
ブザンソンでの最後のコンサートのライブ録音があるが、予告されたショパンのワルツを一曲残してそれは終わっている。まさにトルソとして最後の録音が残されたのだった。私はこの実況録音を全部通して聞いたことがない。胸が痛んで途中で聞けなくなるのだ。特にワルツに入ると「もう良いから休んで!」と言いたくなり、正規のスタジオ録音をとりだしてしまう。
何年か前、絶対に聞くことのできないと思われていたリパッティのバルトークのピアノ協奏曲第3番のCDが出た。ターラから出たディヌ・リパッティのアンソロジーに入っていたその曲(何故か第2楽章だけだった)を聞いて腰を抜かした。ステレオ録音だったからだ。!948年。すでにステレオ録音の実用化は行われていたが、実際にステレオで録音されたものは少なく、戦争中のギーゼキングの「皇帝」などがあった程度だった(ヨーロッパでの話)。
フルトヴェングラーにステレオ録音があったといううわさ話も時々出て、かつて私も欺された口である。スカラ座の「リング」がステレオであるという言葉に欺されて高いレコード・セットを買ってしまったこともある。
で、リパッティにステレオ録音が、それも部分だけというのがものすごく不思議で、私は事情通ではないのでよくはわからないが、全曲とっていないのだろうかと思ったりした。もちろんご存じのように、リパッティのバルトークは全曲盤がある。が、それはモノラル録音でしかなく、分離もふくめてターラ盤の足下にも及ぶものではなかった。
昔、ショパンのピアノ協奏曲第1番が出ていた。オケは不明ということで、極めて酷い録音ながら、リパッティのものとして長く売られていた。演奏は結構良いもので、私も持っていた。高校生の頃のことだ。
しかし、この録音が別人の演奏とわかって、廃盤になり、リパッティが生前に演奏していたというショパンのピアノ協奏曲第1番の録音は永遠に聞けないレパートリーとなってしまったのかと、悲しい思いにかられていたら、現在売られている、トーンハレ管弦楽団と共演した録音が発見されたのだった。この時代のスイスの録音は、テープの再利用が多く行われていて、放送録音も消去されている場合が多かったと聞くが、これはかろうじて残されたのだった。
当然ながら、私はすぐに買ってきて聞いてみた。そしてあまりに酷い録音と、オケのやる気のなさそうなアンサンブルに怒りと悲しみを感じたものだった。それから何度か再発される度に、新しいリマスタリングならと期待をかけたのだが、駄目。
で、何かのついででふと買った、スイス・イエックリン・レーベルのCDを聞いてみて驚いた。テープのワウ・フラッターはかなり酷い部分はあるものの、今までの印象を一変させるだけのものだった。やはり原テープは残っていたのだ。おそらくEMIなどのCDはこれのコピーを原盤に使っているのではないだろうか。クオリティが全く違うので。リパッティの芸術を愛するならば、スイス・イェックリン盤を見かけたなら、絶対買うべしである。
ところで、リストのピアノ協奏曲第1番やベートーヴェンの「皇帝」が録音のスケジュールに入っていたというが、バルトークのように出てこないのだろうか?リストはアンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団と共演した、極めて劣悪な録音が出ているが、あれはとても音楽を楽しめるなんていうレベルの録音ではなかった。バルトークのようなステレオ録音を希望するなんて無理だとしても、エドゥアルト・ヴァン・ベイヌムと共演したバッハのピアノ協奏曲程度であれば良いのにと思う。
なかでも、彼の演奏したベートーヴェンは一曲もない。「皇帝」が聞ければ良いのだが。
私の妄想はここで拡がっていく…。
フォルクマール・アンドレーエ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団と共演したリパッティの演奏する「皇帝」が、スイス・ドイツ語放送のアーカイブから良い状態で発見されて、発売になるというニュースが、明日の新聞の広告に出ているのでは…。
だったら明日、学校の帰りにCDショップに立ち寄り、うわずった声で予約を入れていることだろう。
そんな日が来ると良いのに…。]]>
夢の名演奏 (19)
http://suisse.exblog.jp/4041995/
2006-06-19T11:58:00+09:00
2006-06-20T02:27:05+09:00
2006-06-19T11:58:27+09:00
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夢の演奏
カザルスはスペインのフランコ独裁に抗議し、その政権を認める国では演奏しないと言ってそれを貫いた人間であった。その点で、私はセルバンテスの「ドン・キホーテ」を彼から連想してしまうことがある。嘲笑してるいのではない。国家にチェロ一本で立ち向かったそれは、槍で風車に戦いを挑んだドン・キホーテを思い浮かべるのだ。そしてそれは深い人類愛に根ざしていると思う。
このカザルスは、故郷のスペイン、バルセロナにオーケストラを創設し、活躍していた事もあった。彼らの演奏は古いHMVに録音されている。ブラームスのハイドン・バリエーションやベートーヴェンの第4番の交響曲、コリオラン序曲などがあった。東芝EMIから出ていたGRシリーズでそれを聞いた時、貧弱な音の向こうから熱い何かが私の胸を打って、つい涙が出てしまったことを思い出す。上手いとはあまり思わなかった。ただ音楽が表情豊かであまりに生き生きとしていたことに、胸打たれたのだ。カザルスとこのオーケストラとの話が私の念頭にあって、それが感動させたのかも知れない。
カザルスのオーケストラは長続きしなかった。スペインの内戦が勃発したのだった。
第一次世界大戦の後、スペインは左派と右派が対立していた。1936年、人民戦線が政権をとり、右派を政治の中枢から追い出したのだが、その中にカナリア諸島に左遷されたフランシスコ・フランコがいた。まもなくモロッコで反乱が起こり、フランコが参謀として参加。左派政権が農地解放などの政策を打ち出していたために、地主、資本家などがフランコを後押ししたため、スペイン全土が内線状態に陥ったのだった。
フランコは、ナチス・ドイツ、イタリアのファシズム政権の支援によって、1939年2月には首都マドリードを占領。「独伊防共協定」に直ちに参加し、スペインの総統に就任する。こうして、スペインの悲劇の第1幕が降り、第2幕へと移るのだ。
ピカソが描いた「ゲルニカ」をご存じだろうか?人民戦線の支配地域であったバスク地方のゲルニカが、フランコ政権と深い結びつきを持っていたナチスの「コンドル旅団」とイタリア空軍によって、執拗な無差別爆撃を受ける。その時のゲルニカの悲劇をピカソが描いたものだ。
この内線で疲弊したスペインは、第二次大戦に参戦する体力をもはや持っていなかった。そのため、フランコ独裁政権は戦後もスペインを支配し続けた。ファシズムが戦後も三十年にわたってヨーロッパの片隅に生き残ったのだ。
これは、政治的な駆け引きの結果だったと思われるが、ローマ・カトリックがこの政権を認めるという大きな過ちを犯したことは忘れるわけにはいかない。
そして、自国の利益だけを考えるソビエト、フランス、イギリス、アメリカなどが政治的駆け引きの中で、この国を認め、スペインの民主的勢力は世界から見捨てられたのだった。情けないが、アメリカに追随した日本も同じであった。
フランコは、自分に反対した人民戦線側についた人々を徹底的に探し出し、虐殺を繰り返した。その数、数十万人と言われる。バスクやカタロニアの言葉を禁じ、自治も認めなかった。徹底的に弾圧し、虐殺・暗殺が横行していたのだった。たった三十年前までのスペインはそんな国だった。
バスク地方の過激な勢力による爆弾テロなどは、この長いファシズム政権が残した悲しい負の遺産だと言うと無差別殺人であるテロに対して優しすぎるだろうか。
カザルスの話で、スペインとフランコ独裁政権の話が長くなってしまったが、これをカザルスはなんとかしようと、チェロ一本で立ち向かったのだ。フランスのピレネー山地の中の(スペイン国境に近い)村に住み、故郷を思わない日はなかったことだろう。
かつて一緒に音楽をしたオーケストラの仲間のことを忘れたことなどなかったことだろう。フランコの軍隊が近づくバルセロナで、ベートーヴェンの第9のリハーサルをしていた。演奏会は永遠に行われなかったが、別れを前にカザルスとオーケストラ、そして合唱団は第9の終楽章を通して演奏し、再会の日にこの曲を演奏することを誓い合ったという。
カザルスの演奏は、戦後のプラド音楽祭、ペルピニアン、プエルトリコ、マールボロなどで行われた音楽祭でのライブが中心となる。中にはルフェブールやハスキルといった素晴らしいピアニストなどが共演していたが、スポンサーであった米コロンビアの横やりで、こうした素晴らしいソリストたちが全て、米コロンビアと契約しているアーティストとなったのは、実に残念なことだ。
また、戦前には演奏していた、ベートーヴェンの第3番、第5番や第9番などが演奏されなかったようで、録音も残っていないのは、惜しい話だ。
カザルスの音楽祭のオケは、トップにはトルトゥイエや後のフィラデルフィア管弦楽団の首席オーボエ奏者のタビトーなどが参加していた。が、学生たちなど素人同然の者も混ざっているため、弦のピッチする怪しい連中の加入によるあまりの下手さに加減に嘆くことになることもよくある。
しかし、敢えてこのマールボロのオケでのベートーヴェンの第九が残っていたらと私は夢想する。きっと故郷の空を思い、あの時の仲間とやっている純粋に音楽に向かっていた時代の熱い音楽が、きっとそこに再現されていたに違いない。
記録にはなさそうだが、新発見でそうした録音が出てきたら、私はまた泣いてしまうかも知れない。]]>
夢の名演奏 (18)
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2006-06-19T01:31:00+09:00
2006-06-19T01:34:01+09:00
2006-06-19T01:31:19+09:00
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夢の演奏
また誰に言っても信じてもらえないのだが、一緒に入っていたシベリウスの交響曲第2番が思いの外良いのだ!。北欧らしい(どんな感じを言うのかさっぱりわからんが…)とかいうシベリウスらしさはどこにもない。というより、古典のような厳しい造形で一気に聞かせる。
ポール・パレーの演奏で思い出すのは、この他、イベールの「寄港地」の超名演だ。私はミュンシュ、マルティノンの録音と並んで、このパレーの「寄港地」の演奏を好んで聞く。デュトワや佐渡の素晴らしい録音もあるのだが、このパレーの弾むようなリズム感と、力強さというか、横溢する生命力はやはり魅力的だ。
彼の録音で、残念なのはただ一つ、デトロイトのホールがデッドで、録音がすべて乾いて聞こえるという点だ。しかし、このホールでこれほどのアンサンブルを聴かせるというのは、並大抵のことではない。
私はパレーが1931年に書いたというミサ曲「ジャンヌ・ダルク没後500年を記念して」という曲をはじめて聞いた時、不明にも彼が作曲をするということで不思議に思った。そう彼はパリ音楽院で、あのローマ大賞をとったほどの作曲家でもあったのだ。
交響曲など、本格的な作品もあるというが、私はこのミサ曲しか知らない。
さて、イベールの名演を聞き、ドビュッシー、ラヴェルなどの素晴らしい録音を聞くにつけて、彼のフランス6人組の録音はどうしてないのだろうと思ってしまう。ルーセルの「蜘蛛の饗宴」などがある程度で、オネゲルやミヨーや、サティの作品は皆無なのだ。
彼は、反6人組だったのだろうか?(なんだか中国の政治事件の解説をしているみたい…笑)これが私には不思議でならないのだ。
前に述べたように、交響作品に対する、素晴らしい適性があるのだから、ミヨーの交響曲やルーセル、それに私の好きなオネゲルの交響曲を一曲でもいいから録音しておいて欲しかった。
こうして私の妄想がはじまる。ポール・パレー指揮フランス国立放送管弦楽団によるルーセルの交響曲第3番と第4番が、グラモフォンのアーカイブから見つかり、ドキュメント・シリーズで発売された。録音時期は1965年。あのモニーク・アースとのラヴェルのピアノ協奏曲が録音された頃のフランスでの録音。
こんなのが発売されたら、まずCDショップへ直行だろう。曲がオネゲルの交響曲第3番と第5番、それに「機関車パシフィック231」だったら一枚1万円でも私は絶対に買う!]]>
夢の名演奏 (17)
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2006-06-18T11:01:06+09:00
2006-06-18T11:01:06+09:00
2006-06-18T11:01:06+09:00
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夢の演奏
今度こそワルターについて書きたい。
ブルーノ・ワルターはその経歴を見ればわかるように、歌劇場を中心に活動をしてきた指揮者であった。ウィーン宮廷歌劇場やベルリン市立歌劇場、ミュンヘン宮廷歌劇場といった名門を歩いてきた。第二次世界大戦によってアメリカ亡命を余儀なくされた後は、メトロポリタン歌劇場にも頻繁に客演を重ねている。
しかし、彼のオペラ録音はごくわずかしか残っていないのは、何とも悲しい事だ。
メトでの「ドン・ジョバンニ」の酷い録音状態の演奏があるが、分離の悪い音と雑音に悩ませられながら聞いていても、強い感動を得られる。滅多にCDで歌劇は聞かない私のよく聞くCDの一つとなっているのだ
彼のモーツァルトの歌劇は「ドン・ジョバンニ」「フィガロの結婚」「魔笛」は、戦前のザルツブルクでのライブやメトのライブなどの複数の録音がある。ベートーヴェンの「フィデリオ」も同様で、ヴェルディの「仮面舞踏会」「運命の力」も一応ある。
また、盟友プフィッツナーの「パレストリーナ」の抜粋も残されているので、かろうじて彼のオペラの指揮がどのようなものだったかをうかがい知ることができる。
が、彼の正規のオペラ録音は、途中までで中断した「ワルキューレ」しかないのだ。米コロンビアが、もう少しオペラ録音に積極的であれば、我々はとびきりの「魔笛」や「フィデリオ」、「魔弾の射手」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」「タンホイザー」などの演奏を手にしていたことだろう。またプフィッツナーの歌劇「パレストリーナ」や「愛の花園」といった作品の最上の録音を聞くことができたに違いない。
私はここで妄想をはじめる。1958年、ロスの優秀な奏者たちをかき集めての録音セッションで、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の全曲が録音された。スタジオで完璧を期して一日おきに一週間あまりかけて録音された演奏は、ザックスにパウル・シェフラー、ヴァルターにジェス・トーマスあたり、ボーグナーにはハンス・ホッター、ベックメッサーにフィッシャー=ディースカウを起用(契約の関係で絶対無理だろうな)して行われたとしたら、戦前のウィーン国立歌劇場での評判をとった公演が、再現されていたかもしれないと、あらぬ妄想が広がっていくのだ。
ナチスが、ドイツ民族の優位性を宣伝するものとして使ったこのオペラを、ユダヤ民族のブルーノ・ワルターこそ指揮するのに相応しいと、私は考えている。ホロコーストというあまりに恐ろしい体験をしたユダヤ民族こそが、その大きな罪を赦し、本当の平和を歌うことにこそ意味があると思うからだ。拒否しているだけでは、過去は消え去らないし、その大きな過ちを赦さず、憎しみだけをぶつけたら、新しい憎しみが生まれるだけだ。
今の中東、アラブ諸国を見ればわかる…。悲しいことだ。]]>
夢の名演奏 (16)
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2006-06-17T19:02:52+09:00
2006-06-17T19:02:52+09:00
2006-06-17T19:02:52+09:00
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夢の演奏
この画家ココシュカは作曲家マーラーの妻アルマと1913年頃に所謂不倫関係にあって、二人してイタリア旅行なんてしていた。彼の絵で最も有名な「風の花嫁」はアルマとココシュカを描いたものと言われている。(ちなみにこの「風の花嫁」はバーゼル市立美術館の所蔵となっている。また「アルマ・マーラーの肖像」もあるが、それは東京国立近代美術館にある)
イーゴル・マルケヴィッチはロシアの貴族の出身であるが、1914年に始まった第一次世界大戦、それに前から激しさを増していた共産主義革命を避けて両親とともに二歳のイゴールは故郷のロシアのキエフを去り、スイスのヴヴェイに住む。
スイスのヴヴェイは後にシューリヒトやクララ・ハスキルが住んだレマン湖畔の美しい町で、チャップリンも晩年をここで過ごした。ネスレの本社もここだ。食の博物館なんて確かネスレ社に付属してあったっけ。
湖に面した斜面には葡萄畑がどこまでも広がり、名高いヴォー・ワインが産される。後に暗殺される、革命家ローザ・ルクセンブルクも一時ここで穏やかな日々を送っていたという。いろんな人を何の偏見もなく受け入れる、スイス・ホスピタリティーの真骨頂と言えるだろう。
さて、マルケヴィッチはこのヴヴェイでピアノを学んだ。ピアニストのコルトーもこの近くの出身だったこともあり、彼の知遇を得、パリに行ってエコール・ノルマルでコルトー、ブーランジェにピアノ、作曲を学んだ。
作曲家として、1928年にディアギレフと出会い、彼からピアノ協奏曲を委嘱される。わずかに16才の時のことだ。ディアギレフにはじめて会った時、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」に夢中だったマルケヴィッチに対して、ディアギレフは「どうして過去の作品に夢中になるのだ」と尋ねられ、マルケヴィッチ少年は「ぼくが興味を持っているのは過去でも未来でもなく、永遠のものなのです」と答えたという。
ところで、ディアギレフは有名な同性愛者であった。かつてはニジンスキーとの愛憎劇もあったが、1920年代終わりには、それがマルケヴィッチに向かっていたと言われる。ただ、ディアギレフの晩年にあたるこの時期、彼とマルケヴィッチとの関係は、性的なものてはなく、マルケヴィッチの才能に対する父親のような愛情であったと私は思っている。
マルケヴィッチは同性愛嗜好ではなかったそうだが、ディアギレフに対して父親のように慕っていた。1929年のロシア・バレエ団のロンドン公演で、ストラヴィンスキーの「きつね」とマルケヴィッチのピアノ協奏曲がコヴェントガーデンで初演されている。これがバレエ音楽でなかったのは、ただ単に彼がまだ少年で、経験がないという理由だけであった。この初演のあと、マルケヴィッチはアンデルセンの「裸の多王様」を題材とした新作のバレエの委嘱を受けていて、かなり具体的な内容まで打ち合わせが終わっていたと言われる。
しかし、その作品は永遠に生み出されることはなかった。ロンドン公演から帰ってきたディアギレフは、マルケヴィッチとスイスで打ち合わせをした後、バーデン=バーデンやミュンヘンを訪れた、イタリアで夏の終わりを過ごすために出かけた。そして持病の糖尿病を悪化させて、ヴェネチアで急死したためである。
心からディアギレフを尊敬していたマルケヴィッチは「ディアギレフへのオマージュ」「モンテカルロのディアギレフ」などの作品を残している。
さて、ロンドンでの作曲家・ピアニストとしてデビューしたマルケヴィッチは、1932年、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団で自作を振って指揮者としてもデビューを果たしている。わずか20才にしてマルケヴィッチはヨーロッパの楽壇に期待の星として現れたのだった。
この後、彼はヘルマン・シェルヘンに指揮法を学んでいる(1934〜1936)。しかしこの頃の活動の主軸はあくまで作曲であった。
第二次大戦前のマルケヴィッチは、ストラヴィンスキー二世を連想させる「イーゴリ二世」と呼ばれていたそうだ。この言い方をストラヴィンスキーは大変嫌っていたそうだが、ともかくマルケヴィッチは、作曲家としての地位をほぼ確立したのだった。
マルケヴィッチがイタリアに滞在している時に、ムッソリーニが戦争をはじめた。スイス国籍を失ったあげく、彼は一歩もイタリアを出られなくなってしまう。ブルーノ・ワルターの方が更に悲惨であったが、戦争によって身動きできなくなってしまった点でよく似ている。
このイタリアではナチス・ドイツへのレジスタンスにも参加していたと聞くが、はたしてどんなものだったかは私は知らない。しかし、この頃から彼は指揮に重点を置くようになっていったと見るべきだろう。
彼はうわさによると、カラヤンからライバル視されたそうで、ベルリン・フィルやウィーン・フィルといった一流オーケストラのポジションに終生つくことはなかった。
1970年代にはベートーヴェンの交響曲の研究に打ち込むために、指揮することもかなり減っている。彼の死後、その研究は本になったそうだが、そのため、彼が熱心のレコーディングをしたりしていたのは、1950年代から1960年代ということになる。
彼が指揮者として率いたオーケストラを列挙してみると、ストックホルム・フィル、ハバナ交響楽団、コンセール・ラムルー管弦楽団、モンテカルロ国立歌劇場、聖チェチーリア音楽院管弦楽団。一流とはあまり考えられていないオーケストラばかり。従って彼の録音は、本領を発揮したものが実に少ない。
その中では、クララ・ハスキルのステレオ録音でのベートーヴェンの第3番の協奏曲とモーツァルトのニ短調とハ短調のピアノ協奏曲で彼とコンセール・ラムルー管弦楽団の最良の姿を聞くことができる。
アルチュール・グリュミオーと共演したベルクのヴァイオリン協奏曲のピリッとした演奏は、実に心地よいものだった。
また(まだ分列する前の第一級のオケと称された時代の)日本フィルハーモニー交響楽団に客演しての「春の祭典」はCDになっているので、聞かれた方もおせれるかもしれない。私はコンサート・ホール・レーベルに録音したメンデルスゾーンのイタリア交響曲の目覚ましい演奏を、克明に思い出すことができる。
フィルハーモニア管弦楽団との「春の祭典」も立派な演奏で、この曲のかつての決定盤であった。フランス国立放送管弦楽団とのプロコフィエフなどが録音されているが、私が大切にしているのは、スイス・ロマンド管弦楽団に客演してのストラヴィンスキーの詩篇交響曲の録音である。また、かつての作曲の師の妹、リリー・ブーランジェの作品集が残されたことは、大変ありがたいことだ。
しかし、あの曲は、これはと思うこと甚だしい。
私は夢想する。マルケヴィッチが指揮するパリ・オペラ座によるベルクの「ヴォツェック」が出てこないだろうか?ベルクのヴァイオリン協奏曲をやっているくらいなのだから、せめて「ルル組曲」くらいはやってほしかったと思う。
また、オネゲルの第5番の交響曲を残している。ミュンシュの熱い演奏の対極にある名演だ。彼ならば交響的楽章第1番から第3番まで、あるいは「モノ・パルティータ」なんていうのを、スイス・ロマンド管弦楽団に客演した時にやっていないだろうか?
プロコフィエフも古典交響曲は私も持っているのだが、ありそうで存在しないのがプロコフィエフの第五番だ。チャイコフスキーの交響曲全集も良いものであったが、あれがプロコフィエフの交響曲全集だったとしたらどれだけ良かっただろう。
彼の演奏する、近現代の音楽、自作自演もそう残っていないのだから、やはりもったいないことをしたと思うのだ。
ちょっと思い入れが強すぎて、この稿だけものすごく長くなってしまった。]]>
夢の名演奏 (15)
http://suisse.exblog.jp/4033016/
2006-06-16T23:02:00+09:00
2006-06-17T11:07:34+09:00
2006-06-16T23:02:25+09:00
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夢の演奏
それからザルツブルクまでの車窓の風景は全く憶えていない。私の頭の中ではクーベリックの演奏したベートーヴェンやスメタナ、ドヴォルザーク、マーラーなどといった演奏がそれこそ走馬燈のように思い出され、それを頭の中で反芻していたのだった。
ラファエル・クーベリックは最近、かなりの数のライブ録音が出てきたので、スタジオ録音のあのおとなしいというか理知的な態度のクーベリックは、実演では大きく変わることを知っている人も増えてきた。
さて、彼もまた共産党のイデオロギー政策に反発して西側に逃れた一人だった。ただ、彼は生きている間に再び祖国に戻る幸運に恵まれたのは救いであったと思う。
西側に出て、シカゴ交響楽団の音楽監督に迎えられたのだが、無能なシカゴ・トリビューン紙の評論家、クラウディア・キャシディ女史によるキャンペーンによって3シーズンでシカゴ交響楽団を去ることとなる。この時代の彼の演奏はマーキュリー・レーベルに残されているが、無能なキャシディ女史が彼をヒットラー呼ばわりし、毛嫌いしただけでなく、徹底したキャンペーンをはってシカゴから追い出したというのが真相のようだ。
ちなみに、彼の後任はフリッツ・ライナーで、この時代はこの音楽評論家も鉾をおさめていたのだが、続いてジャン・マルティノンがシカゴ交響楽団に来ると、またしてもそれを嫌って追い出してしまったのだ。その上、オーケストラの中の人間関係にまでギクシャクしたものを残して…。
彼女が悪意あるキャンペーンを張ったために、アメリカの音楽界が受けた影響は計り知れない。評論なんてものをするなら、心してかかるべきだろう。
まぁ、このキャシディ女史の悪行を洗い出しても無駄なことなので、音楽史では無視するに限るが、クーベリックの指揮したブロッホやチャイコフスキーなど、この時代のシカゴ交響楽団が決して田舎オケではなかったことを照明してみせるだけの素晴らしい録音群であることだけは間違いない。
私はものすごいクーベリックのファンであるなどとはとても言えないが、彼の録音はずいぶんたくさん聞いてきたように思う。ソニー・クラシカルから出ているモーツァルトの後期6大交響曲やシューマンの新旧の交響曲全集、マーラー全集、ドヴォルザークの交響曲全集、ドヴォルザークの交響詩全集、スラブ舞曲など古典からロマン派にかけての作品に彼の本領は発揮されていた。また一曲ずつオーケストラを変えてベートーヴェンの交響曲全曲をやるなどという、プロデューサーの下手な思いつきにも誠実につきあっている。(ただ、客演中心であるためか、どうも今ひとつ踏み込んだ演奏でなく、よそよそしさがどこかにつきまとい、私はあまり楽しめなかった)
彼の録音の中で、三楽章の交響曲「オルフィコン」、無言カンタータなどという自作が出ているのをご存じだろうか?そう彼は作曲もするのだ。
1986年に持病であったという痛風が悪化したこともあって引退したのだが、もう一つの目的が作曲するためであった。いずれこのシリーズでとりあげることとなるであろうマルケヴィッチも作曲家として名高いが、クーベリックもまた本格的なものであった。
だからというわけでもないだろうが、彼は近現代の音楽に対しても大変スケール豊かな良い演奏を繰り広げている。
シェーンベルクのロマン主義の最後の作品ともいえる「グレの歌」(Grammophon)や、オルフの「カルミナ・ブラーナ」(ライブ録音) といった作品をはじめ、戦後の問題作でもあるハルトマンの交響曲全集や、彼の次の次にシカゴ交響楽団のシェフとなり、無能な「音楽評論家」に追い出されたジャン・マルティノンのヴァイオリン協奏曲なんていう録音まであった。
これほどのマエストロがフランス物となると、実はほとんど残していない。ずっと私は不思議でならなかった。私の唯一持っているクーベリックのフランス物と言えば、ベルリオーズの幻想交響曲である。
また、ストラヴィンスキーなどもほとんど残っていないように思われる。(ごめんなさい、ライブなどで出ているかも知れない…)
そこで、私の妄想は広がるのだ。クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団によるドビュッシーの「海」と「ノクチェルヌ」、ストラヴィンスキーの詩篇交響曲という盛りだくさんのプロの録音が1970年にミュンヘンで録音されていたなどというニュースが、ユニバーサルから出てきたら、私は一も二もなくCDショップに走ることだろう。まぁ、そんなことはあり得ないのかも…。]]>
夢の名演奏 (14)
http://suisse.exblog.jp/4027099/
2006-06-15T08:19:58+09:00
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2006-06-15T08:19:58+09:00
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夢の演奏
私の彼のイメージは華やかなパリの社交界のイメージなのだが、彼は不思議なことにパリのオーケストラのシェフを担当したことがない。いや、正確には第二次世界大戦前、銀行がスポンサーとなって創設されたパリ交響楽団のシェフに就任したことがあるが(このオケは戦争が始まる前に解散しているようだ)、パリ音楽院管弦楽団やパリ・オペラ座、フランス国立放送局のオーケストラなどに客演はいざ知らず、そのシェフとして敏腕をふるったことがない。
常々、私は不思議に思っていたのだが、彼のあの艶やかなサウンドはフランスのオケでないから出来たのかも知れない。パリ音楽院管弦楽団との録音は、私はストラヴィンスキーの三大バレエの録音ぐらいしか知らないが、あまりパッとしない演奏で、初演者だからといって最良の再現者ではないと思わせられるだけだった。(このCDも行方不明で、探したけれど見つからず、かつて聞いた時の印象でしかない。今聞いたらもっと違った印象を受けたかも…)
しかし、なんと八六歳!にして音楽監督を引き受けたロンドン交響楽団と録音したラヴェルの「ダフニスとクロエ」(これもモントゥーが初演の指揮を担当した作品だ!)の見事な演奏に接して、俄然、フランスのオケとのフランス近代作品の録音が無いのかと探すようになったものだ。
ドビュッシーの聖セバスティアンの殉教からの交響的断章の最高の演奏が刻まれたのもこのロンドン交響楽団時代であった。牧神の午後への前奏曲も美しく艶やかで、色気ムンムンだ。それでいて、決してテンポを不要に動かして媚びるような表情を見せたりはしない。ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌの絶美と言える名演もこの頃の録音で、確かドビュッシーの「牧神…」、「ノクチェルヌ」から「雲」と「祭り」、そしてラヴェルの「スペイン狂詩曲」と「亡き王女のためのパヴァーヌ」は、モントゥーがロンドン交響楽団のシェフに就任して初めての録音だったように憶えている。
この後、クリュイタンスのものと共に、おそらく最高の名演と思われる「ダフニスとクロエ」が録音されたのだった。
しかし、これはロンドン交響楽団とのもので、フランスのオケは使われていなかった。デッカはパリ音楽院管弦楽団やフランス国立放送のオケなどとの録音は自由に出来なかったのだろうが、「ラ・ヴァルス」や「ボレロ」「クープランの墓」などの演奏はない。
私はライブ録音などを漁るのはずいぶん前に止めてしまったので、ターラあたりから、これらのレパートリーが出ているのかも知れないが、私は、機能性抜群のフランス国立放送管弦楽団とドビュッシーのの「海」とラヴェルの「ラ・ヴァルス」「ボレロ」「クープランの墓」を録音していたならば、こんな演奏でぁったに違いないと妄想をふくらませているのである。]]>
夢の名演奏 (13)
http://suisse.exblog.jp/4025762/
2006-06-14T22:50:00+09:00
2006-06-14T22:59:00+09:00
2006-06-14T22:50:05+09:00
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夢の演奏
クック第2版の第10番を録音したのをはじめ、花の章を復活させた第1番を世界初録音したのがオーマンディだった。そういえば、第2番「復活」を史上初めて録音したのも(正確には「電気録音したのは」ということらしいが)オーマンディだった。だから「復活」の優れたステレオ録音も残していて、物珍しいところを録音して話題をとろうとしていたのではないことがわかる。
また、ずいぶん前に聞いただけなのだが、「大地の歌」も素晴らしかった。ブルーノ・ワルターの「大地の歌」でも歌っていたルイスのテノールも含め、独唱陣も安定していたし、何しろオケのすばらしさといったら…。あのCDをどこへやったのか…。引っ越しの時に失ったままで、ものすごく悔やんでいる一枚である。再発はされないのだろうか?
2001年頃から、BMGレーベルから次々と復刻されたおかげで、これらの録音を聞くことが容易になったことは喜ぶべきだろう。オーマンディなんて売れないと、メーカーは思っていたに違いない。そのおかげでオーマンディの録音はもうゴミ屑扱いではないかと思うような冷たい仕打ちのソニーの再発があったが、このBMGの再発は、そういう先入観を覆してよく売れたようだ。うれしい話だ。日本の音楽愛好家が成熟して来た証拠だと思った。
オーマンディはただ協奏曲の「伴奏」が上手いだけの職人で、ベートーヴェンなどの「精神的」な音楽は薄っぺらで皮相な表現に終始するばかりで、せいぜい二流だと評論家たちから言われ続けたのだから。
どこかで読んだか聞いたかした話で、又聞きの情報なのでそのつもりで読んでほしいのだが、ロンドンで開いた演奏会でマーラーの第9番の素晴らしい演奏をしたそうだ。なんだかよくわかる気がする。BBCあたりに録音があったらぜひCD化してほしいものだ。
さて、私のオーマンディの夢の名演奏は、マーラーの第7番「夜の歌」である。
これほどオーマンディに合った曲はないのではないだろうか?小澤征爾のこの演奏をよく聞くが、ショルティも良いし、テンシュテットも良い。しかし、この曲はマーラーの作品の中でも飛び抜けて繊細な表現を強いる作品である。
マーラーというと、大編成でコケオドシみたいな大音量の音楽というのも偏見!実は室内楽的で、実にデリケートな書法である場合が多いのだ。そしてこの第7番はその極致であると言っても良い。
指揮界のヴィルトゥーソ、ユージン・オーマンディ以外にこの曲の最高の再現者はいないのではないだろうか?1970年代中頃、できればBMGのアーカイブあたりにあればいいのに!!
第4楽章の「夜の音楽」を、マンドリンの繊細な楽音を生かし切って、美しい夢のような世界を彼なら描いてグロテスクなまでの楽章間の対比を、オーマンディとフィラデルフィア管弦楽団の凄腕たちなら描ききったことだろう。夢想し、無い物ねだりをしているだけなので、ご容赦を!!]]>
夢の名演奏 (12)
http://suisse.exblog.jp/4019085/
2006-06-13T01:55:00+09:00
2006-06-13T02:08:45+09:00
2006-06-13T01:55:37+09:00
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夢の演奏
我らがマエストロ、小澤征爾である。この音楽家と同じ国民であることを誇りに思う。それほどの男である。こんな人間はそうそう出てくるものではない。「ボクの音楽武者修行」という本を試しに読んでみたら良い。こんな青春を送れるなんて、滅多なことではないのだ。羨ましいとかでなく、ただただ私にはまぶしく感じられる。
最近、どうも疲れているなぁと感じさせられるのは私だけだろうか。最近、療養のため休んでいるそうだが、力強い復帰を心から待ち望んでいる。
この素晴らしい指揮者は、現代音楽もたくさん演奏してきている。武満徹の音楽をはじめ、彼の手によって世に送り出された幸せな作品も数多い。オリヴィエ・メシアンをはじめ、二十世紀の多くの巨匠たちが、彼を心から信頼し、その作品を小澤に託したのだ。
そんな小澤征爾だけに、二十世紀の作品の録音が大変多い。しかし、何故か、新ウィーン楽派の音楽、特にウェーベルンを私は聞いたことがない。いや、バッハの六声のリチェルカーレはバッハのアレンジ集の中にあったので、それ以外ということになるのだが…。
シェーンベルクならば「グレの歌」やゼルキンと共演したピアノ協奏曲、あるいはサイトウキネンでやった「浄められた夜」などがあるし、ベルクならパールマンと共演したヴァイオリン協奏曲の美演がある。しかし、ウェーベルンの初期のパッサカリアや管弦楽のための五つの小品、あるいは交響曲、九つの楽器のための協奏曲、管弦楽のための変奏曲といった代表的な作品群をどうも録音していないように思われる。(すみません、あったら教えてください。私の無知なだけかも知れません)
ウィーン・フィルと師の「ペレアスとメリザンド」とウェーベルンの「パッサカリア」、管弦楽のための五つの小品、交響曲、「変奏曲」あたりをカップリングして出してくれないものだろうか?
あるいは、シェーンベルクの管弦楽のための五つの小品、室内交響曲 第1番にウェーベルンのパッサカリアと管弦楽のための五つの小品に管弦楽のための変奏曲、さらにはベルクの管弦楽のための3つの小品 Op.6などもいいかも。
アバドの録音やブーレーズの録音が最近ではあるので、小澤征爾にはおはちが回ってこないのかも。
でも、録音しておいて絶対に損はなさそうだ。プロデューサー各位。ぜひご検討を!(最近、レコ芸を買わなくなったため、録音・新譜情報にうといので、もう出ているよという情報があれば、ご教示しただければ幸甚です。)]]>
夢の名演奏 (11)
http://suisse.exblog.jp/4018753/
2006-06-13T00:41:00+09:00
2006-06-13T00:58:05+09:00
2006-06-13T00:41:08+09:00
Schweizer_Musik
夢の演奏
彼が、作曲もしたことはよく知られている。だからというわけでもないのだろうが、同時代の音楽を数多くレパートリーに取り入れていたり、あるいは初演の指揮をとっていたりすることは、あまり知られていない。
例えば、1924年3月6日の演奏会ではヴィルヘルム・ケンプ(そう!あのピアニストのケンプです!)の作曲した交響曲第2番の初演をしていたり(どうも評判が良くなかったのか、その後再演はされていないようだが)、
例えば、ほとんど録音を聞いたことがない、ドビュッシーの「海」や「ノクチェルヌ」「牧神の午後への前奏曲」などといった作品も1930年代に頻繁に演奏会で取り上げられている。またラヴェルのボレロなんて曲がプログラムも飾っている。これをフルトヴェングラーで聞くなんて、ちょっと下手物趣味だと言われそうだが…。しかし、スペイン狂詩曲や「ダフニスとクロエ」の有名な第2組曲は録音が残っていて、聞くことも出来るので、それから想像できなくもない。
こうした管弦楽の技巧派の作品で、レスピーギの「ローマの祭り」や、ストラヴィンスキーの諸作品(「火の鳥」「春の祭典」、作曲者のソロによるピアノと管楽のための協奏曲など)が取り上げられていることも申し添えておきたい。
1933年1月にライプツィヒで行われたベルリン・フィルの演奏会ではストラヴィンスキーの組曲第1番もとりあげられているのだ。簡潔な新古典主義の作品で、フルトヴェングラーがどう料理してくれたのか、想像するだけで楽しい。
彼の指揮は見難いとよく評された。わかりやすい指揮が出来なかったという意見もあるが、それはどうも間違いらしい。彼はある人の前で、わかりやすく振ることもできると言って見せ、その後で、これでは私の欲しい音は得られないと言ったそうだ。なるほど!
彼は決して指揮技術が未熟でも何でもなかった。彼の音楽を評価する際によく「振ると面食らう(フルトメンクラウ)」という言葉が添えられることがあるが、これは全く不当な言葉だ。また、この変な駄洒落はよく故山田一雄氏に捧げられた言葉であり、フルトヴェングラーにはあまり似つかわしくない。
だから、彼が極端に高度な指揮技術を要求される近代作品を指揮するのは下手だったとか言うのも、全く無理解から来る言葉なのだ。でなければ、リヒャルト・シュトラウスの作品なんて指揮できるはずがない。
1929年11月10日,11日のベルリン・フィルの定期ではバッハの前奏曲とフーガ変ホ長調「聖アンのフーガ」をシェーンベルクが編曲したものまでとりあげているのだ。もちろん、新ウィーン楽派の初期の作品もとりあげている。が、無調以降は無視しているようだ。
フルトヴェングラーは1950年代になってようやく世間のマーラー人気に気づき、レパートリーに取り入れたとか、見当違いも甚だしい評論家の「お話」を何度も聞かされたものだが、それもまた嘘である。
1920年頃から積極的にマーラーの初期の作品をフルトヴェングラーは演奏会に取り上げてもいる。残された録音が、フィッシャー=ディースカウとの「さすらう若人の歌」だけなので、よく調べたりしない評論家がそう思いこんで言いふらしてしまっただけのようだ。
1920年代には第3番の交響曲がなんどか取り上げられていて、フルトヴェングラーのレパートリーとして確立していた。第2番「復活」や第1番も回数は少ないものの、フルトヴェングラーのレパートリーとして定着していたようなのだ。ああ、聞いてみたい。「復活」の終楽章はさぞすごかったことだろう!!]]>
夢の名演奏 (10)
http://suisse.exblog.jp/4018318/
2006-06-12T23:53:00+09:00
2006-06-13T00:40:04+09:00
2006-06-12T23:53:31+09:00
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夢の演奏
ブラームスのドッペル・コンチェルトは、私の好きな曲トップ10をやれば上位に入る大好きな曲の一つだが、この曲にはオイストラフとロストロポーヴィッチ、ジョージ・セルとクリーヴランド管弦楽団(EMI/TOCE-13077)という空前絶後の名演が残されている。
しかし、この全ての点で完璧に等しい演奏の他、フルトヴェングラーの指揮するウィーン・フィルとボスコフスキー、ブラベツというオケの首席、コンマスと共演したものや、シュナイダーハンとマイナルディと共演したルツェルンでのライブ録音が残されている。
この二つの演奏がすごいのだ。しかし、ウィーン・フィルの方はソロがやや小粒でフルトヴェングラーのスケールに対応できていないのが不満だし、ルツェルンのライブ(日本クラウン/PAL−1072)は一部に脱落があるなど、一般的な鑑賞には向かない。なんと言うことだ!!
この作品はフルトヴェングラーは生涯に度々とりあげており、何故正規録音が残されなかったのか、不思議でならない。
フルトヴェングラーの演奏会記録を見ていると、色々な組み合わせによるこの曲の演奏が行われたことがわかる。中でも最も興味を引かれた組み合わせは、1952年の5月2日にパリで行われたコンサートでは、ヨーゼフ・シゲティとピエール・フルニエがソロを担当して演奏されている。ああこれがどうして録音されていないんだ!妄想の中で、冒頭の二人のカデンツァが聞こえる。フルトヴェングラーの入魂のオーケストラ(ベルリン・フィルだ!)の演奏がそれに応える。きっと白熱した演奏が繰り広げられたはずだ。
シゲティとフルニエ!フルトヴェングラーも含めてこの3人の巨匠は当時、レマン湖畔に住んでいた。シゲティはボウイングが荒れていたという評価があるが、私はそうは思わない。なんて美しい音なんだろう。私の大好きなグリュミオーの対極にあるヴァイオリニストだが、あの厳しさは一つの美である。
対するフルニエは、柔和さを感じられる人も多いだろうが、1958年だったかのジュネーヴで録音した、極めて情熱的なバッハを思い出すならば、ソフトなソロを想像してはならない。
フルトヴェングラー・ファンならば、フルニエとフルトヴェングラーのシューマンのチェロ協奏曲の演奏を思い出されるに違いない。あの壮絶な演奏を思い出す限り、きっとすごいことになったはずだ…。
私の妄想は広がる…。1954年、フルトヴェングラー最後のルツェルン音楽祭。オケはフィルハーモニア管弦楽団。ソリストにはヨーゼフ・シゲティとピエール・フルニエが演奏したブラームスのドッペル・コンチェルトがスイスの放送局のアーカイブに眠っていたものが発見された、なんてことはないな!絶対に。
−1時間後の追記−
他にフーベルマンとカザルスが共演してウィーン・フィルの演奏会で1932年5月16日と17日に演奏されているという記録がある。ああこれも絶対聞いてみたかった!!]]>
夢の名演奏 (9)
http://suisse.exblog.jp/4014300/
2006-06-11T23:23:00+09:00
2006-06-11T23:41:24+09:00
2006-06-11T23:23:52+09:00
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夢の演奏
とは言え、録音では、第1番(彼は戦争中にこの曲を一度だけ振ったことがあるだけだった)などを録音しているのだから、ちょっともったいないことをしたような気もする。あの第6番も、三度にわたる録音にもかかわらず、演奏会ではごく若い頃にとりあげただけで、コンサートと録音では全く違った態度をとっていたことがよくわかる。
第6番のカラヤンの最初の録音はフィルハーモニア管弦楽団との録音で、まさに絶美と言えるものだった。高校生の時に初めて聞いたこのカラヤンの録音で、私はシベリウス好きになってしまった。第1楽章の序奏でのなんとも言えないため息のようなオーボエの合いの手で、私はまさしく参ってしまった。あの時代のカラヤンにはそうした輝きがあったのだ。
不思議なことに、後年のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との二度の録音ではあの第6番のうっとりするようなサウンドはそのままであったが、何かが無くなっていた。今もって第1に考えているベルリン・フィルとの最初の録音ですら、フィルハーモニアとの録音にまさるものではなかった。
私は、フィルハーモニア時代に、シベリウスの全集を録音しておいてくれたならと、夢想している。今に残されているのは、第2番、第4番から第7番の全5曲だ。第1番と第3番はあまり関心がなかったのだろう。確かに第1番はシベリウスとしてはやや奥行きの浅い、外面的なあの「フィンランディア」の延長にあるものだ。私ならシベリウス全集の中で省かなくてはならないとしたら、まず第1番を省くだろう。しかし、第3番はそうした側面が認められない。というより、第1楽章からシベリウス節が全開で、この作品を過渡的であるとしても、完成度が低いということは考えられないのだ。
しかし、カラヤンはこの曲だけシベリウスのたった7曲の交響曲の中でレパートリーとしていなかった。何故なのだろう?不思議でならず、長年、気になっているのだが、誰かご教示いただけないだろうか?
夢の演奏の九回目はだから、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団による、シベリウス交響曲全集で、1955年頃から1960年頃までのカラヤンとフィルハーモニア管の最後の時期にキングスウェイ・ホールで録音されたものとする。いくつかは十分すぎるほどの最高の名演として残された。でも第1と第3を欠くトルソとして。]]>
夢の名演奏 (8)
http://suisse.exblog.jp/4013011/
2006-06-11T19:01:00+09:00
2006-06-11T19:02:08+09:00
2006-06-11T19:01:31+09:00
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夢の演奏
ところでその話をしながら、バルビローリの演奏を聞かせていたのだが、ふと、トマス・ビーチャムの演奏を思い出した。私はかなりのシベリウス好きで、シベリウスの友人だったトマス・ビーチャムのシベリウス録音は見かけたら必ず買うことにしていたのだが、彼の第7番は今ひとつだったこともあって、以来どうも熱心に探してはいない。おかげで、彼がシベリウスの交響曲をどのくらい録音していたのかは不明。でも全集録音はしていないみたいでどうみ不思議に思えてならない。
第2番と古いモノラルの第4番。あと6番もあった。しかし、シベリウス自身が誰よりもビーチャムの演奏を高く評価していたというのに、そのまとまった全集がないのは一体どうしてなのだろう。コリンズやエールリンクの全集はあるのに…である。
トマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団による1957年から1960年頃のステレオ録音によるシベリウスの交響曲全集、タピオラ、四つの伝説曲(いくつかはモノラルで単発で持っているが)まとめて出ていたものがあるのだろうか?
実は、古い録音なのだが、ハイフェッツと共演したシベリウスのヴァイオリン協奏曲の録音があって、ハイフェッツのヴァイオリンはいつもの通り完璧なまでの演奏であったが、オーケストラ部の見事なこと!!私はビダルフの復刻を持っているが、なるほどこれが好きだったのねとシベリウスに言いたくなるような演奏なのだ。
ただ、あまりにきちんと演奏しすぎて(ハイフェッツってそんなスキの無さが愛されない理由ではないかと…)私は滅多に聞かない。しかし、今回ちょっと取り出して聞いてみて、上手すぎるヴァイオリンに、
クーレンカンプ、ヴィックス、リバールとこの曲を得意とした私好みのヴァイオリニストは多い。恋人にするならヴィックス(私は男性なので…、それに世評に名高いキョン=ファ・チョンよりも、エールリンクののなんとものどかな悲しみにみちたオケがすてきなので…)、仕事でご一緒するならクーレンカンプ(こんなに信用のおける演奏家は珍しい!!)、でも飲みに行くならリバールかな。難しい顔してるオイストラフにはごめんなさい(ホントはそれほどでもないのに)と、この曲を思えば、絶対にアルチュール・グリュミオーが合っていたと思うのだが、何故ないのだろう。
で、私の妄想はアルチュール・グリュミオーのヴァイオリン、トマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団による1958年(ああグリュミオーの全盛時代ではないか!!)によるアビーロード・スタジオでのシベリウスのヴァイオリン協奏曲の正規録音があればなどという、全くあり得ないものを夢想し、彼らならここをこう演奏したに違いないなどと思ってみるのは、私の勝手。
しかし、フィリップスと契約していたグリュミオーがEMIの看板スター(だったこともある)ビーチャム卿と共演するなんて、あの時代、絶対に実現しなかったものだろうが、演奏会ではなかったのだろうか?
「ライブ録音で、こんなのが良い状態で発見されました」というニュースはないのだろうか?あったらすぐに買いに走るのだが。]]>
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