カテゴリ:授業のための覚え書き( 279 )
昨日の授業について・・・
昨日の現代音楽研究という授業は、旋法をテーマにして話す。旋法から話を展開すると皆が関心を持ち始めたのがわかり、ここを突破口にすればなんとかやれそうだと思ったので、ちょっとまじめに展開してみる。
ここをやるのだったら「ミクロコスモス」を使うといいのだが、やはりオーケストラ・スコアにあまりに不慣れなので、オケ作品などを中心に例を出して説明。
バルトークの特有の旋法をいくつか紹介しつつも、ラヴェルのピアノ・トリオのドリア旋法の使用と同じドリア旋法を使ったシベリウスの第6交響曲を並べて聞いた後、第4交響曲の第3楽章のロクリア旋法の終止をスコアを見ながら聞く。
また、リディアやミクソリディア、あるいはドリア、フリジアなどの旋法による音楽を即興で聞かせ、その作曲の実際を感じてもらう。
基本的な旋法の使用方法は、本科ですでに終わっていると聞いていたのだが、まだ少ししか理解していないみたいで、それでいて皆関心があるようなので(これがわかると結構洒落た音楽や近代的な雰囲気を作ることができる)もう少し展開してみることにする。
しかし異なる旋法をぶつける方法、あるいは異なる主音を持つ多調性的な旋法の用法などはいきつけなかった。
それは、スーパー・ロクリアやナポリ短(ナポリタン・スパゲッティとは関係ありません)やオリエントなどの上音階(バルトークの倍音列音階です)などを紹介していると時間が無くなってしまったのだ。
1時間20分の授業時間では足りない!!なんて思うけど、そんなこと言っていたら駄目だな。やはりもっとやり方を工夫しないと・・・。

続くアトナール・コンポジションの授業では、一限での音だしの反省をし(中にハッピー・バースデイ・トゥ・ユーを十二音に置き換えて作って来た学生もいた。まだうまくなかったが・・・それでもよくやったと言ってあげたい!)その後で、N島君たちが録音した私の組曲「サーカス」を聞かせてあげる。(昨日、もう自作は聞かせないと言ったのに、朝令暮改もここまでくると信用なくすなぁ・・・。)
学生たちの感想・・・上手いとおもった(アンサンブルが)。四人でやつているとは思えない。というものがあった。作曲者としてはいくつか不満もあるのだが、それでもやはりよくやっているなぁと思う。
で、学生たちは、ぜひ生で聞きたいなどと言っている。ちょっとこそばゆいような・・・。N島君。好評ですな。また書きましょうか?今、ヴァイオリンのために書こうかと思っていたプロコフィエフ風のマーチが宙に浮いてしまったので、そのままになっています。とは言え、道化師の夢の第2弾みたいで、ちょっと時間をかけて書かないと出来そうもありませんが・・・。
プロとしての四重奏団の実力は・・・。需要はどれほどあるかわからないが、彼らほどのレベルはそういないのではないか。私の第2曲。演奏は無理なのではと思っていたほどで、ちょっと驚くし、第4曲など派手に難しそうなので、作曲の学生たちはびっくりしていた。まぁ、ちょっとした音だし程度では絶対にできない作品ではあるが。
それにしても、N島君、ブログやっていたのですね。知らんかった・・・。
by Schweizer_Musik | 2005-06-09 06:29 | 授業のための覚え書き
今日の授業の記録・・・
今日は、旋法の使い方などをパーシケッティの「20世紀の和声法」を使いながら説明し、シベリウスの交響曲第六番とラヴェルのピアノ三重奏を同じドリア旋法でもこれほど違ったサウンドが得られるということをテーマに話す。
また、ストラヴィンスキーの「兵士の物語」の第一曲の簡単な分析を行った。短いイントロに続くテーマの全音階的なメロディーが、後半半音階敵になり、不安定な形になっていることが、曲の結末を暗示しているのではないか、とかいうことなどから、様々な動機が折り重なっていく様子を話した。
たった六本の楽器からこれだけのサウンドを得ているという、楽器法の話にまではいけなかったし、ハーモナイズの面白さ、ポリリズムのユニークさについてまで話せなかったが、まぁ、興味は持ってくれたようだ。

他に次の作品について話していたとき。チューバをやっていたのでそんな曲を書きたいという学生がいたので、先日N島君のサイトからダウンロードした私の作品を聞かせて、つい悦に入ってしまった。今回の録音は彼らの練習風景を録音したものだそうだが、なかなか上手い。ユーフォニウム四本のアンサンブルで、かなりの超絶技巧を駆使したつもりなので、演奏できているだけでも、よくやったと言いたいところだ。
作曲者が「よく吹けましたね」とは無責任極まるコメントだが、実際、演奏上の困難を無視して書きたいだけ書いた作品なので、よくぞここまでと思ったのだ。だから上手いなぁと感心している。
ユーフォニウム特有の危うさは存在するものの、難しさが平易なサウンドに解体されて、なかなか報われにくいというか、わかる人にだけその苦労がわかるという類の難しさ故に、大変だったろうが、作品への彼らの献身に、作曲者としては心から感謝する次第である。
で、その練習でのまだ不完全なアンサンブルを学生に聴きつつ、良いだろうと何度も話しかけられて、学生も随分迷惑だったろうな。レッスンで自分の曲を聞かせるなんてことをやったことがなかった私だが、はじめてやってみて、随分気持ちの良いものだと知る。なるほど、前任の先生がよくやっていた理由が頷けた。とは言え、もう二度とやらないことにしよう。やっぱり迷惑だろうから。それにただの二流までもいかない私の作品を聞かせて、私のコピーを育てるのは犯罪だろうから。

最後にはポップスの専攻生がきて、こちらにはビートルズの「イエスタディ」を分析してみせて、もっと発想を幅広くとること。斬新なフレーズも考えてみること。ハーモニーにばかりとらわれず、メロディーをもっと大切にすることなどを話す。
ストラヴィンスキーやラヴェル、シベリウスからビートルズまで。結構守備範囲が広い。(ちょっと自慢・・・笑)
帰りに深井史郎のCDが出ていたので購入する。ついでにラターのレクイエムも。もう買わなくても良かったか・・・。自作自演の決定的な名演も持っているし、ウィルコックスのものや、誰だったかわすれたけれど良いのがもうひとつ。多すぎるな。
上記の「兵士の物語」と「ピエロ・リュネール」の楽譜がどうしても我が家で見つからないので、アカデミアで購入。一冊6000円ほど。先日宮崎で頂いた謝礼などをこれで使い果たした。何故か。これにオネゲルの「ダビデ王」も加えたりしたので、大枚はたいてしまう結果となったのだ。
それにしてもスコアは高い!!もっと安ければいいのにと、つまらない愚痴を言いたくなった。
それでも帰りの列車の中で、楽譜を読んで充実した時間を過ごした。「ダビデ王」は面白い曲だ。1921年にこんな曲を書いていたなんて、さすが天才だ。
by Schweizer_Musik | 2005-06-07 22:57 | 授業のための覚え書き
マーラーの交響曲第五番のトランペット
マーラーという人は、常にベートーヴェンを意識していたと思うのだが、この曲はそうした傾向が顕著で、その方向から考えてみるのも面白いのではないだろうか。
この第5番は明らかにベートーヴェンの所謂「運命」を意識して書かれている。冒頭の主題からしてそれを連想せずにはおかれない。トランペットの三連符はあきらかに「運命」の動機だ。そしてそれが逆転している。「運命」の動機は三度下降するのだが、この曲では三度上昇するのだ。そして調性。ハ短調よりも響きが軽く、より幻想的な響きを持つ嬰ハ短調をマーラーは選んでいる。
嬰ハ短調の冒頭のトランペットのファンファーレは「運命」の動機だとしたら、ベートーヴェンは弦楽合奏と木管のユニゾンだったのに対して、マーラーはトランペット一本でやらせる。トランペット奏者はこの冒頭がとてもプレッシャーなのだそうだ。それに鳴りにくいシャープ系だ。これがハ短調だったら輝かしくやるのは簡単だ。しかし変ロ調のトランペットなのだ。かなり意識してやらなければ、くすんだような音色になってしまう。輝かしい音で、鋭く始まりたいなどと指揮者が言えば応えなくてはならない。何しろ「軍楽隊のファンファーレのように吹け」とマーラーは指示しているのだ。
ベートーヴェンの運命は合奏で始まるが、こちらはたった一本だ。ピッチがうわずったら後で入ってくる弦楽によって自分のピッチの悪さがわかってしまうし(ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の開始を思い出して欲しい。あれをティンパニー奏者が嫌がるのがわかる気がする)。
しかし、マーラーではトランペットがとんでもなく重要な役割を果たす場合が意外に多いことに気がつく。まぁ、その中の代表格がこの曲だろう。

ところで、弦が出てきて、悲しげなテーマが出てくるとこのゼクエンツの仕方が、ベートーヴェンの「運命」と同じことに気がつくと、上のマーラーがベートーヴェンを意識していたのではという疑念が一気に真実味を帯びてくるのだ。
by Schweizer_Musik | 2005-06-06 15:35 | 授業のための覚え書き
ウェーベルンのピアノのための変奏曲 Op.27
今日は授業の準備で、ウェーベルンのピアノのための変奏曲に一日かかってしまった。まさに朝から晩まで、ウェーベルンばかっり・・・。

この作品。ちょっと聞いただけでは何がどうなっているのか、さっぱりわからない曲で、あえてそうしているようなところがウェーベルンの側にありそうな気がする。しかし、透明な薄いガラスでできたシャンペン・グラスのような繊細さで出来たそのサウンドは、分析し、曲の構造を理解してくると何だか親しみやすくなってくるから不思議だ。
いや、実は今を去ること25年。大学で七ッ矢先生の分析の授業でこの曲をやって知っていたのだが、こうして自分でしっかりと分析しなければ何にもならないことを痛感する。
第一曲だけで十分すぎるほど面白かった。
第一曲は3つの部分に分かれており、常に2つの音列(それも同じ音位の逆行の音列と組み合わせて)作られており、その構造がわかると、随分聞きやすくなる。
逆行の音列が組み合わされるということは、同時に前から後ろからという流れで、途中でクロスするところができるということで、そうしたシンメトリーをフレーズ毎に形成するようになっている。
音の重ね方も2音から4音へ。リズムは八分音符と十六分音符の組み合わせの点描的な部分から十六分音符と三十二分音符の組み合わせへ。そして再び八分音符と十六分音符の組み合わせへというように、こうした面でもシンメトリーが求められている。
やはり演奏は、あまりに正確で美しい音色のポリーニに尽きるだろう。他のいくつかも聞いたが、全く問題にならなかった。稀代の名演奏と言うべきだろう。
このリズム(音価)、音の重ね(音色)に強度が加わり、音列とともに順列と組み合わせで理詰めで曲を書くというのは、ブーレーズやメシアンたちの戦後の出発点となったものである。
これが、果たして今も有効なことなのかどうか・・・。色々と考えさせられるところだ。しかし、執筆の方がなかなか進められないのは問題だ。明日はちょっと集中して書くことにしよう。
by Schweizer_Musik | 2005-05-22 22:23 | 授業のための覚え書き
アルバン・ベルク
ベルクはウェーベルンとともにシェーンベルクの弟子の中でも特別の存在であった。寡作であったがその一つ一つの完成度の高さは、全く驚くべきものだ。
ブリテンなどとともに彼は二十世紀を代表する歌劇の作曲家であった。しかし、振り返って考えてみると、彼の完成した歌劇はたった一曲。それに未完のまま残されたものがあと一曲しかないのに歌劇作家とは恐れ入る。しかし、彼はたった2曲で二十世紀の歌劇に大きな影響を与えた、特別の存在であった。いや、彼の影響を受けた者は多くいた。しかし、彼は唯一、孤高の存在であった。
最下層の人々の暮らしに題材を求めたベルクの二つの歌劇は重いテーマによる心理劇となっている。ヴォツェックでは実在の男を主人公に殺人を犯し、ついに死に至る過程を深い共感と共に描いたものである。同じドイツ系の作曲家シュトラウスなどと同世代であるというのに、その音楽と内容の違うこと違うこと・・・。もちろん、どちらが優れているというようなレベルの話ではない。志向するものが違うのだ。
ベルクは歌劇「ヴォツェック」で器楽の形式である交響曲やインヴェンションといった形式を持ち込む。これはプッチーニが歌劇「ラ・ボエーム」で試みたものだ。あの歌劇の4幕は全4楽章の交響曲のような形態を持っている。第1幕がソナタ・アレグロで、第2幕がスケルツォ、そして第3幕が緩徐楽章で終楽章にロンドというわけだ。そう思って聞くとなかなか面白い。
ベルクの歌劇「ヴォツェック」の場合は、第1幕に5つの性格的な小品。第2幕は5楽章からなる交響曲。そして第3幕は6つのインヴェンションとして書かれている。歌劇に器楽の形式を持ち込んで成功させるなどというのは、アイデアとしては面白いが、それを現実のものとするのはもう天文学的な難しさだと思う。そしてそれをベルクはやりきってしまった。
器楽形式を舞台作品に応用するというのは、とてつもない難問である。舞台の展開が音楽の形式と一致させなくてはならないし、それが新たな効果を生まなくては苦労の意味がないわけだから。
例えば第1幕第4場は十二音による主題による変奏曲の一種であるパッサカリアとして書かれているが、21もある変奏の間に医師が歌いながら次第に熱を帯びてくる様が見事に描かれている。そしてマリーが誘惑される所に移っていく。それは殺人の動機をとなった第3幕で効果的に使われるという具合だ。
こんな困難を自らに課さなくても刹那的に、舞台の情景を追う方がずっと楽なのにである。この作品は、調性を離れて書かれた初めての大規模形式の作品として、最初に成功を収めたものとして永遠に名を残すこととなろう。「ピエロ・リュネール」などの作品はあったが、いかにも限定的な世界であったのを、ベルクは一気に乗り越えてしまったのだ。
ちなみに、ウェーベルンも歌劇の作曲の計画を持っていたが、残念ながら断念している。1930年にスイスのルガーノに居を移したシェーンベルクが「モーゼとアロン」を書き始めた。この作品はしかし、第3幕を未完にしてシェーンベルクが世を去ってしまったので、永遠のトルソとなってしまった。したがってさっきょくまずダルムシュタットで新ウィーン楽派の擁護者として知られるシェルヘンが演奏会形式で初演した後、チューリッヒでシェーンベルク自身が自らの分身とまで信頼していたハンス・ロスバウトによって初演されている。

ベルクはこの曲の中で十二音の萌芽を挿入しているが、本格的に十二音を使用して書かれた歌劇「ルル」は絶筆となってしまった。しかし、この「ルル」で使われた音列は極めて調性に近いものであるのは面白い。そもそもこの調性を拡大していく中で、それが自然と崩壊してしまったのがベルクであった。だから、旧来の調性を持ち込んで十二音を作るというのは全くベルクにとって違和感のある仕事ではなかったのだ。
「ルル」の作曲中に、ベルクはかわいがっていたマーラー未亡人が再婚して生まれたマノンが19才にして亡くなるという悲劇を体験する。彼女の死を深く悲しんだ彼はその思い出に捧げるつもりで、「ルル」の作曲を中断してヴァイオリン協奏曲にかかる。遅筆の(彼のような作曲をしていたら時間がかかるのは当然だ!)ベルクにしてはかなり早く書き上げられた。しかし、彼はこの曲を完成して間もなく癌のために亡くなってしまう。そしてマノンのために書かれたレクイエムは、彼自身のための作品となったのだった。
この作品でも彼は調性に近い音列を採用している。音列が十二音音楽におけるテーマなのだ。短三和音と長三和音が交互に出てきて最後の4つは全音音階という代物。従って音楽が調性的な響きを持つものになる。またよく見ればこれは増三和音と減三和音を含んでいるわけで、かなり調性的。そしてこれがベルクの大きな特徴となっている。

もともとシェーンベルクが書いた最初の本格的な十二音音楽である木管五重奏曲の音列が、ベルクとウェーベルンの特長となったそれぞれの個性を含んでいたのは面白い。
あの曲では音列の前半と後半が5度で反復する音列となっている。第一主題の提示を基本音列だけで書くという、調性でのソナタの方法論をシェーンベルクはこの作品に持ち込んでいたが、これがベルクの音楽の基盤となっている。一方ウェーベルンはこのシェーンベルクのシンメトリカルな構造を基盤としていった。偶然そうだっただけなのかも知れないが、面白いことだと私は考えている。
ベルクはウェーベルンのミクロな世界と対照的にマクロな作曲を行った。それには調性を一部に残した彼独特の柔な音による所が大きい。
(この稿、更に続く予定)
by Schweizer_Musik | 2005-05-15 01:20 | 授業のための覚え書き
ラヴェルとシェーンベルク
ラヴェルとシェーンベルクは一歳しか違わない。彼らはほとんど同世代の作曲家であると言ってよいだろう。しかし歩んだ道は全く異なっている。ラヴェルは幼い時から音楽に親しみ、音楽院で正規の教育を受けたエリートだったが、シェーンベルクはツェムリンスキーに対位法を習ったくらいで、後は独学に等しかった。
ラヴェルは調性から離れようとはしなかったが、それを極限まで拡大してみせた。しかしシェーンベルクは無調から十二音音楽へと進んでいった。
ラヴェルは美しい響きのハーモニーに関心を持っていたと思われる。それは彼の様々な作品からわかることだ。しかしシェーンベルクは美しいハーモニーに興味を覚えたことはなかったと言える。彼が書いた和声法の本はフランスのシャランなどの課題と比べれば、その成り立っている世界が全く異なることを思い知ることになる。
ラヴェルが畢生の大作である「ダフニスとクロエ」を書いていた頃、シェーンベルクは5つの管弦楽のための小品 Op.16を書いていた。色彩感のあるオーケストレーションに大きな特徴があるとは言え、調性と縁を切ったシェーンベルクの音楽は、短く、挑戦的な響きに充ち満ちていた。
新しい音楽を切り開いたのはシェーンベルクだった。
この稿途中・・・後日、加筆する予定。
by Schweizer_Musik | 2005-04-28 02:23 | 授業のための覚え書き
無調への道、1900年代から1910年代の前衛
二十世紀の扉を開いた作曲家は誰か?この空しい質問に答える必要はないだろうが、色々と言われてきている。ワーグナーのトリスタンとイゾルデの前奏曲でドッペル・ドミナントの第五音下方変異が調性崩壊のきっかけだったとは、いろんな本に書かれてあるが、百歩譲ってこの意見を採り入れたとしても、この調性崩壊のきざしが劇音楽の分野で起こったことは象徴的である。
機能感を失った和音の連結は、音楽(主題)の持続的な発展・展開には寄与しなくとも、情景描写にはうってつけだった。ローエングリンの第1幕への前奏曲やリングの中の"Waldesrauschen"(森のささやき)などを聞けばよくわかる。グリーグのペール・ギュントの「朝」でも良い。
和声の機能はこじつけられ、遠隔調への連結が好まれるようになり、属音が解決されないままに放置されるに至って、新しい考えがそれにとって代わろうとしていく。それがモードであった。
シェーンベルクにとって、調性を捨て去り、全てを破壊することが目的ではなかったはずだ。ミヨーの多調性音楽にしても、シェーンベルクのドデカフォニーにしても古典の音楽を常にその根拠に求められていた。曰くベートーヴェンはすでにこうした未来の響きを予告していた。私はそれを展開してみせたにすぎないと。例えばモーツァルトの交響曲第40番の終楽章。展開部への移行部で主題の変形がフォルテのユニゾンで奏でられるが、それが同じ音の繰り返しのない12音であるとか・・・。
そうした話は、私に言わせればこじつけであり、詭弁に等しいが、この根本には主題の背景の統一というものが意図されていたことだけは間違いがない。

実は、バッハやモーツァルト、ベートーヴェンやシューベルト、ショパンなど、ほとんど全ての大作曲家たちの音楽の、その構成原理は基本的に同じものである。つまり主題の音列、あるいはリズムに同じ素材を用いて、性格の異なるテーマ、メロディーの背景を統一することで、全体のまとまりを得るように作られているのだ。バッハの平均率クラヴィーア曲集の前奏曲とフーガもそうした緊密な関連の上に出来上がったものであり、ベートーヴェンもモーツァルトもショパンも皆これを学んでいる。
これを、ドデカフォニーはシステム的に行ってしまうのだから、どんなに書いても全体は統一され、まとまるはずなのだ。ここにドデカフォニーの可能性があるというのがこれを担いでいた人達の期待であった。

話をもとへ戻そう。調性が崩壊していく過程は、新ウィーン楽派だけではなかった。マーラーも第10番の交響曲でほとんどクラスターといった響きを書いている。後半、第一主題が帰ってきた後、その前はごく普通の和音が重なっていくフレーズが、クラスターのような音塊となって積み重なっていくところは、異界をのぞき込んだ瞬間のような、ゾッとするような感覚を受ける。リッカルド・シャイーの演奏で聞くとこの衝撃が薄れ、どうしようもないほどきれい事に聞こえてしまう。マーラーはあんな音楽ではない!私はロジェストヴェンスキーの指揮で初めて聞いて以来、この演奏以外では満足できないようだ。あれは、ロジェストヴェンスキーの最高の演奏だった。
マーラーの命がもう少し長くあれば、この作品も完成されていたはずだ。そうしたらどんな音楽になったのだろう。恐ろしいような・・・。だからクックをはじめ多くの復元版が作られたのだろう。クック版は優れた復元版だと思うが、(これを評価できるほど、私はマーラーのこの作品のことに詳しくない)作曲家がトルソとして残したものは、トルソとして味わうのがよいのではないだろうか。他者が勝手に手を加えることは、同じ作曲に携わる者としては抵抗感が禁じ得ない。こうした作品を書くパイオニアと言うべき人達がいて、アンタイルやヴァレーズといった人々が活躍する素地が出来上がっていったのだろうが・・・。

フランスでの無調への試みは、ドビュッシーが映像第2集の「 葉ずえを渡る鐘の音」で全音音階の試みを行ったあたりから始まった。1909年から10年にかけての作曲された前奏曲集第一巻の「帆」でもドビュッシーは全音音階を使用している。この作品ではドビュッシーは一つの全音音階による部分に対して中間部で変ニ長調の部分を対置することで全音音階による機能感の欠如とそこからの発展していく力の欠如を補うという手を使っている。
全音音階は、オクターブを全て全音にするため、導音を無くしてしまう音階である。そしてこのことは和声の機能感からの解放を意味する。聞いていていかにもエレガントな調性との別れをドビュッシーは選んだものだ。
この傾向は1904年に書かれた「喜びの島」あたりで半音階への偏愛が聞かれ、すでにその予告が行われていたが、これらの作品で、決定的となった。そして前奏曲の第2巻で調性感は一層希薄となり、続く「練習曲集」で更に推し進められる。
しかし、ドビュッシーはあまりに急進的で不協和な響きに対しては許せなかったのではないだろうか。彼のエレガントな耳は明らかにそうした「不作法な音」に対して本能的な拒絶を命じていたと思われる。
ピアノ連弾作品である「白と黒で」なども調性感は希薄であっても、不協和は徹底的に排除し、美しい倍音を構成する響きを目指して作られている。
最期の年1915年に書かれた「フルートとヴィオラ,ハーブのためのソナタ」はその美しい響きの向こうに新しい時代の響きを聞くことができる名作だ。しかし、調性から彼は決別することはついぞ無かった。無調にかわってドビュッシーは古い教会旋法に近づいて行ったのだった。

こうした無調への試みは、アメリカにおいてずっと大胆に行われた。アイヴスの諸作を思い浮かべてもらえればよい。典型的な日曜作曲家であった彼は「ドレミのために飢えるのは嫌だ」と生業を別に持ち、休みに作曲をするというスタイルを続けた。だから、「売れなくては」という強迫観念がないためか(笑)作りが大胆なところが特徴と言えよう。例えばアイヴスのヴァイオリン・ソナタ第1番は1903年から10年にかけて書かれたが、調性に近い響きを持つことは持っているが、それを大切にしようなどとは微塵も考えていない。
1906年に書かれた「宵闇のセントラル・パーク」は驚異的である。静けさと宵闇の明るさを管弦楽でこれほど見事に表現した作曲家がこの作曲家以前にいただろうか。遠くから響いてくるクラクションの音、全体がピアニシモであることなど、極めてユニークな作品である。これが1906年の作品だとは、にわかに信じられない。

この稿続く・・・
by Schweizer_Musik | 2005-04-26 23:51 | 授業のための覚え書き
ウェーベルンについて
新ウィーン楽派の中で、最も後世に影響を与えたのはウェーベルンだろう。初期の「夏の風の中で」なんていう作品は、1904年というシェーンベルクもまだ「ペレアスとメリザンド」などという作品を書いていた頃に書かれた習作のような作品である。演奏も1961年に遺稿の中から発見されてその翌年にシアトルで初演されたという作品である。ヴィッレの詩による標題音楽であるが、冒頭から分割された多声部の弦楽に長和音と短和音を行ったり来たりさせていたりと、面白い部分がいくつもある。ソロへの偏愛はマーラーのオーケストレーションの特徴でもあり、聞いているとウェーベルンが対照的なマーラーからも大きく影響を受けていたことを実感する。そうあの第十番の交響曲は未完に終わったとは言え、第1楽章のあの深淵をのぞき込むような一瞬は今日の音楽を予感した一瞬でもあったことを思い知るのだ。

シェーンベルクの高弟として世に出たウェーベルンはベルクと共に、二十世紀の最重要な作曲家となっていく。師であるシェーンベルクは1874年の生まれで、ウェーベルンは1883年、ベルクは1884年の生まれという間柄だったが、ベルクは腫瘍により1935年に50年の生涯を閉じた。そしてその十年後。戦争が終わったウィーンの町でアメリカ兵の誤射により突然命を奪われるという悲劇(今もどこかの国であの国はこれを繰り返している・・・悲しいことだ!)を見舞う。師のシェーンベルクはその後1951年まで亡命先のアメリカで(彼はユダヤ人であったため、1933年ナチスが政権をとった時にフランス経由でアメリカへ亡命していた)生き続けた。だから彼は「ワルシャワの生き残り」などという激しい怒りをそのままぶつけたような音楽を残した。師が最後まで生き続けたが、晩年の彼はカリフォルニア大学における教鞭をとることで(その講義の内容は「作曲の基礎技法」という名著となって残っている)、ヨーロッパ時代の先鋭さから離れていった。ナチスによる悲劇が無ければ、シェーンベルクはヨーロッパにとどまり、弟子達と共に更に大きな仕事を残したかどうかは、今となってはわからないが・・・。

ウェーベルンに戻ろう。私が彼の音楽で最初に感動したのは、「パッサカリア」であった。作品番号1とつけられたこの音楽はカルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーン交響楽団の演奏会ではじめて聞いたものだった。ほとんど沈黙に近いピアニッシモからフォルテシモに至る大きなダイナミック・レンジにも驚かされたが、精緻な響きは武満徹の音楽を初めて聞いた時の印象にとても近いものがあった。ニ短調を中心として、バロック以前の変奏曲の手法であるパッサカリアという形式を、自分を世に問う最初の作品の形式に選んだウェーベルンは、その基本において、実に古典的な作曲家だった。ベルクの方がずっとロマン派にどっぷり浸かっていた。(もちろんどちらがより優れているとかいうレベルの問題ではない。敢えて言うならどちらも天才だ!)
パッサカリアの主題そのものがすでに調性を微妙に外れるように書かれているが、基本的にニ短調で書かれている。ただ、オーケストレーションは完全に二十世紀のものだ。ハープも多用されているが、ドビュッシーやラヴェルとなんと違うのだろう。
ウェーベルンがいかに天才であったか。それは彼が編曲したバッハの音楽の捧げ物の6声のリチェルカーレを聞くだけでも良いだろう。昨日の授業でこの曲を聴かせ、一つの旋律をいくつかの楽器(音色)に振り分けるという手法を説明し、その点描的な書き方の特徴を感じさせることを目標としていたのだが、どうだったろう。バッハを乗り越えてしまった唯一の編曲であると私は考えている。その意味でこのアレンジは不朽の名作だと思う。現代音楽の音楽番組などでテーマ音楽に使われることも多いが、(原曲を知っている人を除いて)バッハだと思って聞いている人がどれほどいるだろう?
さて、作品1となった1908年に書かれ、初演されたパッサカリアの後、二つの合唱作品と二つの5曲からなる歌曲集でかろうじて調性の殻を残したウェーベルンであったが、作品5の弦楽四重奏のための5楽章を翌年に発表し、調性と決別する。シェーンベルクも調性との決別を同じ頃に行っているが、この頃の二人の音楽には大きな差を私は感じていない。ウェーベルンは基本的に厳しく表現主義的で、激烈な表現に傾斜していた。後の作風とこの辺りは大きく異なる。作品5は1930年に弦楽合奏用にもアレンジされて(これは簡単に思われているが、実はそれほど簡単なものではない!)いるが、それほどウェーベルンにとって記念碑的作品なのである。
作品6の管弦楽のための6つの小品はそうした激烈なウェーベルンを聞くことができるが、シェーンベルクの同時期の作品である5つの管弦楽のための小品Op.16と、ウェーベルンはかなりの差がある。シェーンベルクの方が明らかに激烈に不協和音を強調しているが、ウェーベルンは室内楽的な表現に向かっていて、とてもデリケートなのだ。
翌年に書かれたヴァイオリンとピアノのための4つの小品は、後の音の点描主義とも言われたウェーベルンの特徴をよく表している。弦楽のための5つのパガテルで使われた様々なヴァイオリンの奏法による音色の多彩さへの挑戦は、この頃から彼が表現主義から音色への指向を強めていたことを表していて興味深い。
オーケストラのための5つの小品 Op.10 (1911-13)はそうしたウェーベルンの個性が最初に、そして完全な形で示された傑作である。短いミニアチュールの中から表現される沈黙と手を結んだ劇性は、大変大きな振幅を持っている。ただこの作品は作曲されてすぐには演奏されなかった。世界大戦が邪魔したのだ。結局シェルヘンらの努力によって1926年にチューリッヒで初演されたのだが、その頃には十二音による点描主義、音色旋律など、彼のスタイルは完全に確立されていた。しかし、この曲を聴いて、そのギャップに気づいた人はいなかったのではないだろうか。
ポンティチェロ(駒のそばで弾く弦楽器の奏法)など、今日では別に珍しくもない技法がそこかしこに使われ(これは弦楽四重奏のためのパガテルでもそうだ)金管にはミュートが、ホルンにはゲシュトップが、そしてなんとMandolineが使われ(マーラーの第七番を思い出す!!)、調性の無い世界で色彩的な管弦楽法が試みられている。

そして、チェロとピアノのための二つの小品を経て、十年あまり、合唱曲や歌曲を中心に作品を残している。
実はウェーベルンはその残した作品の少なさにしては、歌曲の割合がかなり高い。宗教的なテキストを含めて、かなりの分量にのぼるのだが、あまり取り上げられないのは残念なことだ。
最初期の習作の時代から、数多くの歌曲を残したウェーベルンは、管弦楽作品や室内楽、ピアノ作品ばかりが取りざたされるのに、あの世で残念に思っているに違いない。作品番号のついていない初期の平易な語法で書かれたものから、1943年の最後の作品となったカンタータ第2番に至るまで、声楽はウェーベルンの大きなテーマだったことを我々は忘れてはならない。

そしてこうして歌曲の時代が十五年ほど続いた後、1927年に発表した弦楽三重奏曲で、十二音による点描的な作風を確立し、激烈な作風から脱却し、沈黙多き、独特の音楽を作るようになるのだった。
続く交響曲は全2楽章で、1929年にニューヨーク・フィルハーモニックで初演されてこの作品は、そうしたウェーベルンの頂点を築いている。この後書かれた「九つの楽器のための協奏曲」とともに彼の最高傑作であると私は確信している。これ以後に書かれた彼の作品はどれもが珠玉のような傑作ばかりだ。中でも1940年に完成した管弦楽のための協奏曲Op.30は、バルトークの名作と同じ時期の作品とはにわかに信じることが出来ないほど、現代的である。
ウェーベルンの音楽は20世紀の前衛音楽にとっての出発点であった。彼は師の考案した十二音音楽を精緻なミニアチュールにして「見せた」のだ。彼の音楽は肉体のない骸骨のようなものでもあった。十二音を切りつめ、響きに対するチャートに従って絶妙な音楽を作り上げたが、あまりに精緻に過ぎて普通の人間である私たちが聞いて楽しむというより、楽譜を見て、その精緻さに驚くというような音楽であった。
例えば、ピアノのための変奏曲という曲がある。第1曲は最初2音から3音の重なりによる十六分音符の静かな響きで始まり、これが4音の重なりになり、やがて32分音符というより細かなリズムに移り発展する。そして最初の世界がいきなり戻るが、ここでは4音の響きを残している。全曲をアナリーゼすると膨大な話になるのでこの程度にしておくが、ピアノで彼がいかに音色、響きというものに注目していたかがよくわかるだろう。
合唱作品として書かれた二つのカンタータが戦争中の彼の成果であったが、ウェーベルンの最期は悲劇であった。アメリカ兵が誤ってウェーベルンに向けて撃たれた弾丸が彼を貫いたのだ。この世紀の早とちりで音楽界が失ったものは計り知れない。そして同じ事を今もアメリカはどこかの国でやっているという。悲しいことだ、実に悲しいことだ。
ウェーベルンの音楽を出発点として、戦後のヨーロッパでメシアンやブーレーズが活躍をはじめる。しかし、最もいなくてはならなかったウェーベルンはそこにいなかった。
by Schweizer_Musik | 2005-04-21 23:13 | 授業のための覚え書き
シェーンベルク
20世紀の音楽を俯瞰することを第1クォーターの柱に据えることにする。
本科の明日の現代音楽の第一回の授業ではシェーンベルクなどのドデカフォニーをとりあげる予定。クォーター末にはドデカフォニーによる室内楽の小品を課題として提出させることにして、その技法の発展を考察していってみたい。
まずはシェーンベルクだろう。
十二音に行き着くまでのシェーンベルクは様々な試行錯誤を繰り返している。もともとは「淨められた夜」という大変ロマンチックな音楽から出発した彼は、次第に新たな調性の体系を模索しはじめる。
ワーグナーなどの和音の複雑化によって始まったとされる調性の崩壊は、ドビュッシーなどにモードの導入によって細々と生きながらえていたとは言え、20世紀はじめに発表されたストラヴィンスキーの「春の祭典」で最終的に壊滅してしまう。
時は第一次世界大戦が巻き起こり、ロシア革命が世界中を不安に陥れていた時代であるが、一方でアメリカのジャズ(概念は今日のジャズと全く異なる・・・これについては後の授業で触れる)がヨーロッパに少しずつ入ってきて、袋小路に追い込まれていた作曲家達を大いに刺激する。
新しい芸術運動は様々に巻き起こっていた。ドビュッシーたちに反対してサティを盟主とする6人組(作家であるコクトーが中心になっていた)が一瞬であったが輝きを放ったのも、このジャズと結びついた古典主義の人達の間であった。
しかし、十九世紀を貫いてきた形式と語法はすでに混沌としていた。

シェーンベルクはこの十九世紀の語法から出発している。彼の弟子達も同様だった。なかでもシェーンベルクの「淨められた夜」は世紀末芸術の典型の一つと言えよう。
彼はブラームスとワーグナーの伝統の上に生きた。しかしそこはもうすでに枯れかけた土地であった。新しい波の中で彼はこの作品の後、試行錯誤の時代に入る。
「試行錯誤」とは言い過ぎかも知れない。どれもが新しい語法に向けたチャレンジであるが、どれもが完成しているからである。ただ十二音によるシステムに向けてのチャレンジという意味で「試行錯誤」という言い方をしているに過ぎない。
1902年から1903年に書かれた交響詩「ペレアスとメリザンド」でシェーンベルクと最後のロマンチックな作品を書き、以後この世界と決別する。
1906年に書かれた室内交響曲第1番は4度を基本として既成の和声構造を持たない作品として構想された。九つの楽器による単1楽章による交響曲という試みは、ブラームスのバロック音楽からベートーヴェン、シューベルトを意識したスタイルをその根本で受け継いだものと言える。対位法への偏愛ともいうべきスタイルも、以前の「淨められた夜」のスタイルから発展したものだ。しかし、表現されているものの何と違うことか!
枯れた地平から新しい豊かな地平へのチャレンジは大戦前に広まりつつあった表現主義がその大きな推進軸となった。
絵画ではココシュカなどの強烈な作品があるが、1907年に彼が書いた脚本「殺人者、女たちの希望」は1909年にウィーンで上演され、メーテルリンクなどに大きな影響を与えた。そしてこのウィーンでシェーンベルクがこの傾向を取り入れようとして1912年に書いたのが「ピエロ・リュネール」である。
この作品以前にも1909年に書かれたモノドラマ「期待」などの作品があり、そうした地平の上に「ピエロ・リュネール(月に浮かれたピエロ)」がある。
この作品では、レチタティーヴォ技法と語りとの境界がなくなり、音程については目安として書かれてあるだけになっている。今日ではこの程度の無調による歌唱は、技術的には可能であり、当たり前となっているが、当時としてはとんでもなく大変なものだったと想像できる。それで音程はいい加減でも良いという書き方をしたらしい。
このインパクトは大きかった。が、ストラヴィンスキーなどのバレエのスキャンダラスな初演や、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」(1911)などの音楽の出現によってそうした新しい試みは霞んでしまっていた。
この後もシェーンベルクは様々な作品で無調を試み、新しい語法を編み出そうと努力している。「5つの管弦楽のための小品」Op.16は色彩的なオーケストレーションで、彼の弟子のウェーベルンを予感させるものとなっている。また1909年の3つのピアノ曲Op.11で十二音の概念である音列を一部に取り入れてみたりしているが、それが更に推し進められた結果1920年から1923年にかけて書かれた5つのピアノ曲Op.23の第五曲「ワルツ」で十二音音楽が完成したのだった。
続いて組曲Op.25は全曲が十二音で書かれているし、木管五重奏曲はアンサンブルにまでその理論が応用された最初の作品となった。
シェーンベルクは十二の音を一つの重複、繰り返しもなく並べ、それをもとに反行、逆行、反行の逆行という4つの音列を作り上げ、それを半音ずつずらして全部で48の音列を作りあげ、それをもとに書くことで統一感のある音楽が書けることを証明してみせた。
とは言え、以後の全てのシェーンベルク作品が十二音で書かれているわけではないが、オーケストラ作品にもそれは応用され管弦楽のための変奏曲やピアノ協奏曲、バイオリン協奏曲など大規模な作品にもドデカフォニーは使われ、弟子のベルク、ウェーベルンといった作曲家たちもこれを大いに使って作品を発表していった。
次回はウェーベルンについて。
by Schweizer_Musik | 2005-04-20 01:30 | 授業のための覚え書き