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マーラーとブルックナーを聞いています
大阪でも高度が高いこともあり、冷房なしでもずいぶん涼しく過ごしています。
大量にあるCDを引っ張り出して(鎌倉に置いてあるCDはわずかでせいぜい2000枚程度)聞いています。
小澤征爾のウィーン・フィルとのドヴォルザークはあまりのつまらなさに絶句・・・。そう言えばサンフランシスコ響との新世界もあったはずと探し出して聞いてみて、まぁまぁだと思ったものの、やはり不満。
そんなことをやってから、サイトウ・キネンとのブラームスの全集を聞いて、その圧倒的なサウンドに驚き、ベートーヴェンの第7などをひっぱり出しては「やっぱり凄い」と感動していたのですが、1995年頃からどうもつまらなくなってしまい、2000年以降はどうも・・・。(ごめんなさい、小澤征爾ファンの方!)
この後、マーラーとブルックナーの世界に入り込んで、週末を過ごしました。
意外なのはホルヴァートの「復活」が結構良かったことと、やっばりバーンスタインとロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とのマーラーの第9が超絶的な名演だと思ったことなどです。
ブルックナーでは、ヘルベルト・ブロムシュテットの第7番とクルト・ザンデルリンクの第7番にもの凄く感動!両方とも聞き始めたら、もう身体が動かなくなってしまいました。
アイヒホルンの選集やオイゲン・ヨッフムのドレスデン・シュターツカペレとの全集も久しぶりに聞いてみようかと思いつつ・・・。
では、久しぶりの書き込みを終えます。何日かしたらまた書き込みますので、見捨てないで下さいね。
by Schweizer_Musik | 2005-07-31 18:19 | 日々の出来事
明日は早いので・・・
明日からしばらく実家に帰るので、コメントなどに反応できない状態になります。
一週間に何回かは姉の家から、チェックするつもりですが・・・。
山の上にこもってちょっと原稿を真剣に書きたいと思っているところです。
明日は早朝6時45分の飛行機ですので、5時には出ないと・・・。
本格復活は8月25日の予定です。
by Schweizer_Musik | 2005-07-26 20:22 | 日々の出来事
J・ユー編曲「展覧会の絵」/岩城宏之指揮アンサンブル金沢 ****(推薦)
ジュリアン・ユーという中国で生まれ、今はオーストラリアに住む作曲家が室内管弦楽のために編曲した「展覧会の絵」である。こうしたアレンジもかつて持っていたが、なかなか良いアレンジに巡り会わないのはやはりラヴェルの編曲の凄さ故だろう。何しろ、ラヴェルはムソルグスキーのピアノの楽譜にほとんど音を付け加えないで編曲してしまったのだから・・・。
ふつう、ピアノ曲をオーケストレーションする時は、トゥッティなどでオクターブを付け加えたりしてサウンド的にバランスをとっていくのだ。当然ピアノの音の配置とオーケストラの音の書き方は違う。それなのにラヴェルはごくわずかな追加以外はストイックなまでにムソルグスキーの楽譜を追いかける。
スコアには、ムソルグスキーの原曲が一緒に印刷されているが、あれはラヴェルのこの編曲に対する自信故だったのではないだろうか。
さて、近年のこの曲のアレンジではストコフスキーやフンテック、ゴルチャコフ、アシュケナージなどが編曲したものが出回っている。一昔前にはフィラデルフィア管弦楽団のアレンジを行っていたアメリカの達人カイエのものもあったし、古くはリムスキー=コルサコフのものなどもあった。
ユニバーサルが最近「展覧会の絵」のいくつかの版を二枚組に入れて出していたが、最近出ていないリムスキー=コルサコフ版などが入っているのかと思ってみたら、ストコフスキー版とラヴェル版とピアノの原曲とは情けない。あるメーカーがでかくなっただけで、全く企画力の無い三流メーカーであることを浮き彫りにしただけのものだった。
さて、このワーナーから出ているジュリアン・ユーの編曲版は2002年に作られたスコアだそうだ。
久しぶりに面白いものだった。ラヴェルとは全くことなるコンセプトで(つまり自由に音を付け加え、オーケストラ作品として作り上げるという考え方で作られた)スコアであった。もちろんオーケストラ・アンサンブル金沢の素晴らしい技量を前提としていることは言うまでもない。
第1曲のプロムナードはチェロのソロで始まり、トゥッティではなくホルンと弱音器をつけた金管と木管楽器群によるベルトーン(ハンド・ベルのようにいくつかの楽器によってメロディーを演奏する手法)によって応える。次第にメロディーに変更が加えられ、編曲者の故国の中国風の変奏が加えらていく。
第2曲の「小人」も自由な発想による編曲というコンセプトで新しい音が加えられているが、鍵盤打楽器の使用による軽やかな響きで、ラヴェル編曲のおどろおどろしさはここにはない。
続くプロムナードは第1曲のプロムナードと同じ手法により、サラリと「古城」に進む。「古城」は一拍遅れで二声部、もしくは三声部がメロディーを演奏するというユニークなアイデア。他は大して面白いところはないが、このアイデアは面白い。
続くプロムナードは弦のソリスティックなアンサンブルで、すぐに「チュイルリーの庭」は伴奏部はかなり自由に書き換えられているが、だからと言ってそれほど面白くはない。
「ブィドロ」は重々しさを室内オーケストラでよくあらわしていて面白い。伴奏部も自由な改変を行っているが、まずまず効果的であるが、それはラヴェルのものとよく似ている。(最もラヴェルの影響の強い編曲と言っておこう)
「卵のからをつけたひな鳥の踊り」もまたラヴェルの影響が強く、まとまって聞こえるのはラヴェルのおかげだろう。しかしこの曲などで、ラヴェル以外の方法で編曲するなんてできるのだろうか?
「金持ちのユダヤ人と賢いユダヤ人」はコンバスとティンパニのデュオで始まり、ピアノが絡む。これは意表を突くものだった。コンバスもラヴェルのようにフォルテでいかにも強引な出だしとは異なる。和音もかなり変えられていて、ちょっと違和感が残るものである。
ラヴェル編曲での哀れなトランペットのフレーズはクラリネットに移されているが、自由な編曲もここまでくるとちょっと私には違和感がありすぎる。
続くプロムナードでは新しくチェロのカデンツァまで加えられる。
「リモージュの市場」でのオーケストラの扱いは、このオケでないと無理だと思うような超絶的なアレンジだ。何しろよくこれを合わせているものだ。実演でこれを指揮するなんて恐ろしいことだろう!!さすが岩城宏之氏だ。
「カタコンブ(ローマ時代の墓)」は金管によるアンサンブルで行われ、ラヴェルと同じフレーズが加えられているが、ハーモニーは変えられている。続く「死せる言葉による死者への話しかけ」は、ヴァイオリンなどにメロディーが移り、哀れな感じになってはいるが、ファンタジックにはなっていない。必要のないところであんなにハーモニーを変え、メロディーも変えているのに、ここではアイデア倒れだ。
「バーバ・ヤーガの小屋」は実に面白い。これだけ自由にやって新しいファンタジーを作り出せば納得できる。フルートなどの特殊奏法などが隠し味となって、新しい「バーバ・ヤーガの小屋」像を造り出している。
そして終曲の「キエフの大門」だが、ラヴェルの壮大な出だしを期待すると驚くほど典雅な「キエフの大門」となっているので、見事に肩すかしを食らうことになる。しかし、私はこの解釈は好きだ。ただ、その後の編曲はちょっと常識的で、もっとやって欲しいと思ったが、それでも私はこの最後の二曲の編曲は白眉だと思う。
ラヴェルが偉大すぎるのだ。彼の前では誰もが色あせて聞こえてしまう。果敢にそれに挑戦する者がいないわけではなかったが、この挑戦には心から拍手を送りたい。ただ、やや不徹底なところもあり、更にユニークさを狙って欲しいと思った。どうせラヴェルのようにできるはずがないのだ。
岩城宏之指揮オーケストラ・アンサンブル金沢の演奏は、全く素晴らしい。上手いと言ってしまうとそれで終わってしまいそうだが、新しいチャレンジの舞台を作り、こうして世に問うチャンスを作り、立派な演奏でそれを送り出す。こうした努力があってこそ21世紀の音楽界がより豊かになっていくだ。
続く、プロコフィエフの古典交響曲の演奏は、この作品の数ある録音の中でも第1に考えて良い名演である。古プロコフィエフらしい意表をつく転調と軽妙さと古典的な格調が見事に融合した演奏である。
第2楽章の伸びやかな歌に魅了されない人はいないのではないか。
編曲の新しい可能性をさぐるジュリアン・ユーの意欲は高く評価するものであるが、やや徹底不足なところもあり、****(推薦)としたい。

WP/WPCS 11745
by Schweizer_Musik | 2005-07-26 18:40 | CD試聴記
バッハ、リュート全集/ユングヘーネル *****(特薦)
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名手ユングヘーネルによるバッハのリュート全集が出ていた。我が家にこれが無かったのを思い出して、衝動買いに走る。
しかし、買って良かった。ユングヘーネルは現在ドイツのケルンで教えているがレザール・フロリサンやルネ・ヤーコブスなどとの共演で、その優れた腕前のほどは知っていた。
13弦のバロック・リュートによるもので、バスを一本増やした14弦による演奏もあるそうだが、私は知らない。というよりも、ほとんどこれらの音楽について知らないに等しいのだ。恥ずかしながら・・・。
昔、佐藤豊彦氏の録音を持っていたはずで、それはしばらくよく聞いていた。しかしそれ以外はギターのための編曲で、これらの作品をはじめて聞いたのはセゴビアの録音だった。リュートはナルシソ・イエペスの演奏で初めて聞いたはずだが、高雅な響きはわからないでもなかったけれど、ギターとどれだけ違うのかよくわからなかった。
ウィリアムズやフェルナンデスのギター版を聞いても、編曲版ということで、もともとはどんなものだったかよく判らない。しかし、このユングヘーネルはそうした乾きを癒す素晴らしい録音であることだけは私にも判った。
調律は約半音低い古いカンマー・トーンによっているようだ。(解説にもそうあるので間違いないだろう)

無伴奏チェロ組曲第5番を原曲とする組曲ト短調BWV.995は、バッハの自筆のリュートのための楽譜が残る、まさに正統なリュート作品。チェロの雄大な演奏を聞き慣れた耳には驚くほど品の良い音楽に、驚かれることだろう。
ジークは遅く、少し腰が重いように思って解説を読んでみると(こういう馴染みの少ない音楽の場合は国内盤で詳しい解説があるものがやはり良い!)楽器の制約があるようだ。
組曲ハ短調BWV.997は4楽章しかない。フルートとチェンバロのために編曲されて演奏されることも多いのだが、これはバッハによる編曲ではないようで、このリュート作品の方が原作となる。
アルマンドやクーラント、ガヴォットといった組曲に特有の楽章を含まないが、魅力にあふれるサラバンドがあるし、力作と言ってよいフーガもある。羽根のように軽妙なジークも魅力いっぱいだ。
ユングヘーネルの音楽をいっぱいに感じた、言い換えれば集中し、音楽の細やかな表現の変化に精一杯に反応した音楽的な演奏に魅了されない人はいないだろう。
前奏曲ハ短調BWV.999は変な作品。まだ完成していないのでは・・・と思うのだが、違うだろうか。そうでないとしたら何故属調で終わったのだろう。何のための前奏曲なのだろう。
フーガト短調BWV.1000はセゴビアの演奏をよく聞いた。EMIの1920年代の録音だった。ユングヘーネルの演奏で聞くとまるで別の曲だ。無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番の第2楽章が原曲である。ユングヘーネルは独自の版を作って演奏しているそうだが、詳細を述べる資格も知識も私にはないが、解説によると、オルガン用に編曲されたBWV.539を参考にしているらしい。(前奏曲とフィドル・フーガ ニ短調)
ラゴスニックの演奏をよく聞いていたが、私にはこのユングヘーネルの演奏がより好ましく思われる。佐藤豊彦氏の演奏では確か他の楽章をヴァイオリン・ソナタから編曲していたが、このユングヘーネルの録音ではそれはしていない。佐藤豊彦氏の演奏も素晴らしいものだったが、今も手にはいるのだろうか・・・。
リュート、あるいはチェンバロのためのという添え書きがあるプレリュード、フーガ、アレグロ変ホ長調BWV998はエマニュエル・バッハの残した楽譜の中から発見された作品。たった3楽章の作品であるから、ひょっとしたらいくつかの楽章が失われたのかもしれない。
典雅な所作を感じさせる前奏曲。気品にあふれたその歩みは、チェンバロの演奏で聞くよりもずっとリュートにふさわしいと思う。フーガから華やかなアレグロへと、次第に音楽は悠然とした堂々とした雰囲気をあらわしてくる。
組曲ホ短調である。が、ユングヘーネルはリュートの機能の問題もあるのか、ト短調に移して演奏している。
これについては賛否両論あるだろう。解説でもその点を指摘しており、どうもライターの浜田三彦氏も難しくともホ短調で演奏すべきと考えておられるようであった。
私はこの点、より柔軟で良いと思っている。バッハは楽器・編成を変更する時に必ずと言って良いほどその楽器に合った調性に合わしているからである。しかし何故バッハはこの曲をホ短調としたのか・・・。私はよくわからない。
しかし、この曲はユングヘーネルのリュート全集の中で最も魅力的だ。曲そのものがリュートの響きを前提として書いているためである。
最後は組曲ホ長調BWV.1006b。この曲もヘ長調に移調されている。原曲はBWV番号からも判るように、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第三番。
前奏曲のあのはち切れるようなヴァイオリンの歓喜にあふれたフレーズをリュートで何とも典雅な節回しで聞くのは、素晴らしい体験である。ガヴォットを聞くと、これは絶対ヴァイオリンのための曲でなくリュートのために書かれてのではと思ってしまう。
とても愉しい2時間半。たったこれだけしかないの?と思ってしまうほど、魅力に溢れた音楽だ。
一人で静かに過ごす時に、そっと寄り添ってもらえるそんな音楽だ。やすらぎを得たいという方、ぜひお買い求めになられることをお薦めしたい。

DHM/BVCD-38086〜7
by Schweizer_Musik | 2005-07-26 17:34 | CD試聴記
祝!大植英次氏、バイロイト・デビュー
ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニーと大阪フィルの音楽監督である大植英次氏が昨日、バイロイト・デビューを果たした。
プログラムは「トリスタンとイゾルテ」。当日のことについて、まだ何も聞いていないが、我が国の音楽界はとうとうバイロイトにまで進出したのかと感慨を抱かざるを得ない。と同時のマエストロ大植英次氏の快挙に心から拍手を送りたいと思う。
1995年にミネソタ管弦楽団の音楽監督に抜擢された時には、日本のファンはほとんど反応しなかった。札幌での音楽祭に病気のバーンスタインに代わって登場した時は、バーンスタインを期待していた聴衆から冷たい反応を受けた。しかし彼はアメリカで大きな成果であるグラミー賞を受賞し、ヨーロッパに渡り、ドイツのハノーファーのオケの指揮台に立つこととなる。
ここでの成果がバイロイトの指揮台へ繋がっていたのだが、2003年から逝去した朝比奈隆氏のあとを受けて大阪フィルの音楽監督となった。
実は朝比奈隆氏が亡くなられた時、これで大フィルは終わりかと思ったものだ。朝比奈隆氏の影響は絶大だった。彼なくして大フィルは立ちゆかないだろうと思った。そして大植英次氏がその後任となった時、果たしてうまくいくだろうかと、疑っていた。
こうした私の考えは浅はかなものだった。それは、東京などからも彼を聞きに大阪に出かけるファンが急増したことでもわかるだろう。
彼のCDはミネソタ時代の録音以外はまだあまり出ていない。大阪フィルやハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニーとのベートーヴェンやマーラーなど、ぜひ聞いてみたいものだ。
新しい地平を、大植英次氏は確実に切り開いた。今後の更なる大きな成功を心から祈りたい。
by Schweizer_Musik | 2005-07-26 10:26 | 音楽時事
バルトーク弦楽四重奏曲全集/フェルメール四重奏団 *****(特薦)
フェルメール四重奏団によるバルトーク弦楽四重奏曲全集だ。2000円でおつりがくる値段で、この素晴らしい新譜を手に入れられる。なんということだ!
第一番から集中した素晴らしいアンサンブルで聞かせるバルトークである。彼が残した六曲の弦楽四重奏は、二十世紀に書かれた弦楽四重奏として、ショスタコーヴィチなどとともに人類の宝であると思う。少なくとも、ベートーヴェンの十六曲に比肩すべき存在であることは間違いないだろう。
27才のバルトークが書いた第1番。内向的な音楽。でも後の夜の音楽とは違い、ドイツ・ロマン派の伝統の中にある音楽だ。シェーンベルクやレーガーの四重奏と共通する響きが聞こえてくる。そう、冒頭の3小節で12個の音が出てくる。もちろん12音音楽でもなんでもないのだが、1909年当時に、バルトークが実はドイツ・ロマン主義の伝統を受け継ぎ、無調的な表現を探っていたことの証ともなっている、実に興味深いところである。(シェーンベルクたちが12音主義を完成するのはこの10年ほど後のことだ)
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アタッカで続けて演奏される第2楽章。フェルメール四重奏団は実にスムーズで、軽やかにこの2楽章に入っていく。彼らが新しい世代に属する四重奏団だと実感する瞬間だ。
とんがっていないのだ。彼らと同世代だと思われるエマーソン四重奏団などの方がずっと厳しい表現を選んでいる。このスラーとスタッカートの組み合わせの、伝統的なアーティキュレーションを、フェルメール四重奏団はあまり強調していない。
強調する解釈は、この第1ヴァイオリンに繰り返し出てくる八分音符のフレーズが、全曲を統一する動機であるからであり、第3楽章でも重要な主題となるからであるが、そんな力まなくてもと思うことが多かったが、この演奏は自然体である。
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その第3楽章の主題は実に巧妙なテンポの伸び縮みがこの演奏で聞くことができる。エマーソン四重奏団でも聞けたものだが、フェルメール四重奏団の方がずっと技術は上で、流れが自然で良い。

バルトークの弦楽四重奏の中でも最もロマンチックでメロディアスな第2番では、フェルメール四重奏団の自然な息づかいによるカンタービレは心を打つ。
また、アレグロ・バルバロや舞踏組曲に似たモティーフによる第2楽章でも、テーマの終わりでのテンポの変化が歌い込みの中で自然になされている点が大きい。民俗調を志向してテンポの変化を強調したりしていない所に新鮮さを感じた。
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こうした自然な呼吸というか、フレーズ感がこの演奏の特徴だ。とびきりの演奏技術によって、これが達成されている。個々の技量の点でもこの四重奏団は他を圧している。
第3番は、三年の沈黙の後、作曲を再開したバルトークが、傑作のピアノ・ソナタの次に発表したものだ。
1927年のこれらの作品以後、バルトークの作品に不滅の輝きのないものは全くない。その完成度の高さは驚異的だ。
冒頭のあたかもシェーンベルクかアルバン・ベルクなどの新ウィーン楽派を思わせる出だしをフェルメール四重奏団はなんとも柔らかく、あたかもドビュッシーの曲のように響かせている。弱音器をつけた持続音の響きの中にふわりと第1ヴァイオリンが歌い始めるところで、私は全くノックアウトされてしまった。何という美しさ!!
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殊更に民族性を強調するのではなく、ユニバーサル・ブランドとなったバルトークを堪能できる。上手い四重奏団だから近現代の作品につきものの様々な奏法が、とてもよくわかるし、この曲でほぼ完成されていた中心音システムによる、特有の拡大された調性と、緊密な構成は、こうしたしっかりした演奏で聞くとほんとうによく判る。
もうバルトークはハンガリーの人でないとという迷信は捨て去るべきだろう。

第4番は傑作中の傑作。第3番のたった半年後のこと。この曲は全五楽章で出来ており、レントで書かれた第3楽章が曲の中心としてシンメトリックな構成をとっている。バルトーク特有の音階が使われ、半音階と全音階の対比がとても鮮やかである。まさにこの曲はバルトークの典型であり、例えば第4楽章は全部がピツィカートが書かれるなど、意欲的な書法も目立つ。
フェルメール四重奏団はこの傑作を余すところ無く表現し尽くしている。第1楽章の主要な動機をとても印象的に演奏している。
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この終わりでのチェロのフォルテッシモの動機がこの楽章の中心的な動機の一つとなるのだが、これをフェルメール四重奏団は極めてさりげなく演奏して聞かせる。アルバン・ベルク四重奏団では全体の中に埋もれてしまっているが、その逆にエマーソン四重奏団では、浮かび上がってよく聞こえてくる。フェルメール四重奏団はこの二つの対照的な演奏の中間にあるようだ。
第2楽章のPrestissimo con sordinoは、弱音器をつけたまま全曲が作られている。
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これに対応する第4楽章は全曲がピツィカートとなっている。第2楽章は半音階的なテーマに基づき、一方、第4楽章は全音階的で、バルトーク特有の倍音列音階(リディア旋法とミクソリディア旋法をミックスしたもの)で作られている。
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中心となる第3楽章は、バルトークの弦・チェレなどの緩徐楽章にも通じるラブソディックな音楽。夜の音楽である。こういう楽章こそハンガリー風を強調されすぎるとちょっと重すぎて、いつも聞きたいと思わなくなってしまうのだが、フェルメール四重奏団のようによく歌う、優れた技量による演奏だと、全く嫌みなくサラリと耳に入ってくる。これでなくては・・・。

第5番は、バルトークがハンガリーの民族主義を再び明確に主調した作品で、1934年の夏に書かれた。もう弦・チェレやディヴェルティメント、二台のピアノと打楽器のためのソナタやオケ・コンにつながる晩年の傑作群の先駆けとしても重要である。
第4番と同じ構成原理による5楽章制で出来ており、第1楽章と第5楽章、第2楽章と第4楽章が主題的にも共通しており、第3楽章を中心にシンメトリックな構成としているのだが、この第5番は、スケルツォ楽章が第3楽章となっている。
スケルツォはミクロコスモスなどを分析している者としては、全く面白い作品だ。拍子とリズムの工夫が、ハンガリー、ルーマニアを中心とした彼が研究をしてきた民族音楽のリズムに由来するものであると思われるが、一部にストラヴィンスキーの「春の祭典」などのリズムの自己増殖のような発展を聞くところがある。あちらはロシアでこちらはマジャール。だからどうなんだと言われると何とも言いようがないのだが、近いところがどこかにあるのではないだろうか・・・。
フェルメール四重奏団の演奏は全く素晴らしい。民族的な要素を無理に強調せず、あえて全てがニュートラルで自然体で音楽にあたっているのだ。リズム的な面白さを強調しているということならエマーソン四重奏団の方がずっとリズムで面白さがある。が、フェルメール四重奏団はそうしたことを強調しようなどとはほとんど思っていないようだ。
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このスケルツォの全体を貫く動機を、さりげなく、そして完璧なアンサンブルで歌い始める。そう歌い始めると言うのが一番近いと思う。奏でるというよりも・・・。
しかしこのスケルツォの冒頭は、バルトークがそれ以前に獲得した手法を見事に応用している。即ちDis-Fis-Fisis-A-Aisがチェロにあり、それ以外のスケールの音を使って第2ヴァイオリンがテーマの動機を演奏しているのだ。かつては12音でやっていたことを民族的なリズムと音階を用いて全音階的に変化しているのだが、やっていることは第1番や第3番の冒頭でやっていたことと同じだ。(バルトークはこのやり方が好きだったようだ)
続く第4楽章のラブソディックな表現にも、終楽章の盛り上がりにも、全く不満はない。なんていう演奏だ!ヴァイオリンをはじめとして彼らはソリストとしても十分やっていける、実に魅力的な音を持っている。そしてそれが対等の四人として、室内楽をしているのだ。なんと凄い連中だ。
バルトークのヨーロッパへの告別の音楽となった第6番もまた素晴らしい。もう説明の必要はないだろう。ため息しか出てこない。エマーソン四重奏団やアルバン・ベルク四重奏団も良い。アルバン・ベルク四重奏団のものは、録音に欠点があるが(全く残響をとりいれすぎて音楽のディティールが不明瞭で、バルトークの声部内での細かな工夫がよく聞き取れない。あれではアルバン・ベルク四重奏団の演奏として楽しめない。(大体この四重奏団の録音はEMIに移る前の方が良いように思う。EMIは録音の点で猛省すべきだ。残響が多すぎて、なんだか各パート二人ずついるように聞こえてしまう、なんとも困った録音だからだ。まぁアルバン・ベルク四重奏団の方にも問題が無いとは言えない。この録音でOKを出したのだから)
全曲がMESTOという指示を持つ、バルトークの結局最後の自習箏曲となったこの作品をまるでベートーヴェンの最後の四重奏曲のように普遍的なまでに高められた演奏で聞かせるフェルメール四重奏団は、今後とも注目していくべきだろう。
できれば、二十世紀のもう一つの高峰であるショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲も録音して聞かせてくれないものだろうか。また、新しいものであまり良い録音がないオネゲルの四重奏曲など、聞いてみたいものはいくつもある。
素晴らしい四重奏団だ。すでに有名な団体なのかも知れないが、私は初めて聞いた。
バルトーク好きの方にぜひお薦めしたいものだ。たった2000円でおつりが来るなんて。私は5000円でも買っていたと思う。

バルトーク弦楽四重奏曲全集/フェルメール四重奏団/NAXOS/8.557543-44
by Schweizer_Musik | 2005-07-25 23:20 | CD試聴記
ペトルーシュカの「ロシアの踊り」
ストラヴィンスキーのペトルーシュカの「ロシアの踊り」のスコアを見ていて、この稀代の音楽家が、ロシアという故郷に徹底してこだわっていたように思えてならなくなった。曲がロシアというだけではない。ロシア人というのは土地との結びつきが異様に深いように思う。
「ロシアの踊り」はミクソリディアではじまりフリギアに転調して終止するテーマに、ドリアとリディアを行ったり来たりする展開がくっついてもう一度ミクソリディアのテーマに立ち戻る最初の部分。
中間部でイオニア、あるいはエオリア、もしくはドリアで展開し、またミクソリディアなどの最初の部分に立ち戻る、典型的な三部形式で作られている。ただ、最初の部分と中間部との対比は不明瞭で、どちらかと言えば、最初の素材を発展させて中間部となっているようだ。
音楽としては、おどろくほど単純な構造。それは民族的な素材と結びついて、強靱な生命力を獲得している。しかし、私たちがストラヴィンスキーに感じているのは土俗的な音楽の生命力でなく、研ぎ澄まされた感覚である。それはなによりも彼の並はずれたオーケストレーションによっている。またハーモナイズが独特で、彼独特のサウンドを獲得しながら、一つのメロディーに対して様々なハーモニーが当てはめられていることによる。
ペトルーシュカでは、ロシア五人組の音楽からそう遠い様式ではない。まだ五人組やグラズノフ、チャイコフスキーの様式をひきずっている。その影響は単純なものから、エンハーモニックな変化まで多種多様である。
次の部分などは、私にはポロディンなどのハーモニーを思い出させる部分である。ファゴットを二本、高音で和音を吹かせて、ホルンに属音の保続音をやらせ、その上で、クラリネットとコール・アングレ(ボロディンの「中央アジアの広原にて」でも「ダッタン人の踊り」でもコール・アングレがキーだった・・・)がメロディーを切断して掛け合うのだ。
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by Schweizer_Musik | 2005-07-23 21:43 | 授業のための覚え書き
デイヴィス指揮コンセルトヘボウ管による「春の祭典」「ペトルーシュカ」*****(特薦)
ユニバーサルの廉価盤のシリーズで、コリン・デイヴィスの指揮する「春の祭典」と「ペトルーシュカ」を聞いた。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団はすこぶる上手い。1977年当時は、まだクレバースがコンマスだったのではないだろうか。1970年代のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は、最高だった。キリル・コンドラシンの指揮する「シェエラザード」も素晴らしかった。あの名録音に迫るものがこのコリン・デイヴィスの録音だった。
確か、「春の祭典」の方はレコード・アカデミー賞をとったと思うが、ペトルーシュカも含めて、こんなに良い演奏だったのかと、今更ながらに思い知った。
まず、「春の祭典」から。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の管楽器奏者の素晴らしさに言葉もない。上手いなどという問題ではない。響きの柔らかさ、アンサンブルの良さ。お互いのパートのちょっとした表現、表情にも反応する室内楽的なアンサンブル感覚。「春祭」で室内楽はないだろうと思うかもしれない。しかしピエール・ブーレーズのように切れ味は鋭いのだが、響きはあくまで豊かな演奏は、私は神業のように思えるのだ。
テンポがとても自然で心地よい。無理に走ることもなく、引き延ばして大見得を切ることもない。だから聞いていてとても気持ちよく呼吸できる。デイヴィスの指揮が恣意的でなく、スコアに対して真に誠実であるからだと思う。
なるほど、レコード・アカデミー賞をとっただけのことはある。迫力満点の演奏をと思われるのであれば他にもっとあるだろう。第1部 : 大地礼讚の最後の部分「賢人の行列」など、もっと野性的にやることもできるだろうし、第2部「いけにえ」での最後「いけにえの踊り」はもっと荒れ狂う演奏も可能だ。だが、この整然とした中で、強い集中力で描かれる春の踊りは、私には全く不足を感じさせない。
「ペトルーシュカ」の方は、この「春の祭典」以上に素晴らしい。いや、私はこれほど見事な「ペトルーシュカ」は他では知らない。やせたピエール・ブーレーズの演奏なんて捨ててしまったって良い。第1場「謝肉祭の日」での「バイカル湖のほとりで」というロシア民謡を彩るフルートのオブリガートのなんて美しいことか。その後ののどかなメロディーと時折わって入る強烈な冒頭のリズム。トライアングルだって上手い。(この楽器をいい加減にやる指揮者なんて音楽を全くわかっていないのだ!)デイヴィスは本当に音楽をよく知っている。倍音を多めに存在感たっぷりの響きはさすがコンセルトヘボウ管だ。
しかし、ロシアの踊りでのバランスは全く見事だ。問題を感じるとしたら、ピアノの奏者(だれだかクレジットはない)のテクニックの切れが悪いのだ。後一歩というところ。
オーケストレーションにおいて、ピアノを積極的に採り入れた先駆者でもあるストラヴィンスキーだけに、このピアノはちょっといただけない。しかし、他は全く素晴らしい。
フィリップスの録音陣は賞賛に値する仕事ぶりである。良い録音で聞くストラヴィンスキーは本当に愉しい。やはりいくら良い演奏でも、古い分離の悪い録音で聞くストラヴィンスキーは、私にとって楽しみと同時に大きなストレスを強要するものである。
ピエール・ブーレーズの古いフランス国立放送管弦楽団と録音した春祭や、ストラヴィンスキーのEMIへの戦前の自作自演盤など・・・。
その点、このデイヴィス盤はそんなことは全くない。例えば第4場での「子守り女たちの踊り」でのロシア民謡の朗々たる歌を、せわしなく動き回る伴奏とのバランス、オーケストレーションの妙はこのような優れた録音によって初めて味わえるものと言えよう。ロシアの踊りでの不協和音を見事に美しく響かせてしまう技術には恐れ入るしかない。
現在、レギュラーで1000円で売られている。買い逃してはならない。

PHILIPS/UCCP-7046
by Schweizer_Musik | 2005-07-23 21:41 | CD試聴記
東京、震度五!帰宅に四時間半かかりました・・・
今日は関東地方で大きな地震があった。私は東京駅でこの地震にあったが、かなの揺れを感じた。それは別に大したことではなかった。その後、私は東京駅で三時間あまりも待たされたのだから。一日オーケストレーションの授業やら、音楽の分析の授業などをやって、くたくたになったところにこれは本当に堪えた・・・。
いつになったら運転再開するのかわからないままに待たされるのはやはりつらいものだ。
東京駅で2時間半ほど待った頃、私の隣の席に座った私に体型が似たおじさん。やがて列車が動き出したらおじさんはベーレンライターのスコアをとりだし、(楽譜をちょっと見たところK.488だった)CDを聞き始めた。ものすごくゆっくりだったので、K.488はやがて終わり、続いてジュネス財団から出ている原典版のドヴォルザークの第8番のスコアを見て聞いていた。聞いている様子から、音楽関係者ではないらしいが、至福の時間であったようで、殺気だった車内で充実しきった顔つきで過ごしておられた。愛好家の方のレベルが高い。私ももっと勉強しなくては!
結局四時半に列車に乗ってから、我が家にたどり着いたのは九時前・・・。本当に疲れた!!震度五だという。しかし、これではもっと大きな地震がきたら、帰宅できない人がずいぶん出てくることだろう。JRはしっかりしてもらわないと・・・。震度五で三時間ですよ!!これで国民の足にはなれない!!
by Schweizer_Musik | 2005-07-23 21:40 | 日々の出来事
今日は補講で出かけます
今週は全く休み無し・・・。朝から補講で出かけます。
近現代の音楽の分析としてペトルーシュカの第1場をとりあげる予定。
オーケストレーションでは打楽器について講義する予定。打楽器のディプロマ・コースに在籍している学生に手伝ってもらうことになっている。
今日が終われば、夏休みだ。
by Schweizer_Musik | 2005-07-23 07:03 | 日々の出来事