<   2006年 01月 ( 23 )   > この月の画像一覧
デュリュフレ/レクイエム グラデン指揮聖ヤコブ室内合唱団他 ****(推薦)
かわいいペットのムクが亡くなって一週間。初七日ということで、デュリュフレのレクイエムを聞く。ケージはまだそのままにしてあり、そこには家内が黄色い花を置いている。

デュリュフレのレクイエムは自作自演のものがレコードで条件が悪いので、BISのオルガン・バージョンを聞いてみた。天国で聞く音楽はこれではないだろうか。凛として、そしてあくまで穏やかに・・・。
Offertoriumのマティアス・ヴァゲルのオルガンは重々しさとともに完璧な柔らかさを持ち、聖ヤコブ室内合唱団の歌声がそこから立ち上るように響いてくる。ストックホルムの聖ヤコブ教会のオルガンはどういうものかは知らないが、若干、電気オルガン的で、きれいだが人工的に感じる点が惜しい。ルツェルンのイエズス教会のメッツラー・オルガンやクーン・オルガンとはずいぶん違うが、それでも音楽の天国的な美しさの中で、いつの間にか浄化されていることに気付く。
独唱では特にバリトンのペーター・マッテイが良い。
あまりに自己に対して厳しかったデュリュフレ。そのために生涯に残した音楽はわずかであった。しかし、残された音楽の完成度の高さは驚異的だ。このレクイエムはフォーレのそれと似ているとして、亜流のように言われることがあるが、それはあまりに安直な結論である。この音楽は、同じ土壌から生まれてきたというのは間違いないとしても、真摯に音楽に向き合い、1音1音磨き上げて出来た珠玉の音楽である。
ピエ・イエズスでマティアス・ヴァゲルのオルガンとエレメル・ラヴォタのチェロが支え、メゾ・ソプラノのパウラ・ホフマンがスケール大きく歌い上げるところでは、ちょっと涙が出てしまった。
天国のムクもきっと聞いているのでは・・・。ずっと私と一緒に音楽を聞いていた彼は結構耳が肥えていたように思えるが、この演奏なら喜んで静かに聞いているのではないか?
デュリュフレのレクイエムを聴いたことがないという人は、これからこんな素晴らしい音楽をはじめて聞く楽しみがその人生に残されていることが羨ましい。(誰かの言い回しを真似しました・・・)
オーケストラ・バージョンなら、作曲者の歴史的名盤やコルボの名演があるが、オルガン・バージョンならこれかな。ムクよ、許せ!
しかし、極めて日本的な初七日という言葉と、カトリックの典礼音楽のミスマッチが気に掛かるとは思いますが、皆様、お許し下さいまし・・・。

デュリュフレ宗教合唱作品集_BIS/CD-602
by Schweizer_Musik | 2006-01-30 22:13 | CD試聴記
早坂文推の音楽 ****(推薦)
朝から早坂文推の音楽を聞く。芥川也寸志指揮新交響楽団のライブであるが、映画「羅生門」の音楽が入っているのだが、その中のボレロがラヴェルに全くうり二つで面白かった。最後に転調がはいるということはなく、ただ盛り上がって、ふっと静かになるとそのまま終わるのだが、同じリズムの上に同じメロディーが何度も繰り返していく方法や、基本的な構成の方法がラヴェルを明らかにモデルにしているのだ。
この音楽が書かれたのは1950年。日本ではまだラヴェルの音楽が一般的であったとはいえない時代の話だ。ラヴェルの音楽が書かれて28年後に書かれた日本の早坂文推の音楽がこれほど似ているというのが面白いだけでなく、「羅生門」という映画にこれが使われたという点がなんとも面白いではないか。
第一曲では笙が出て来る。1950年のこの時点でこうしたオーケストラと雅楽の響きと共演させることを考えるあたりに早坂文推の未来性がある。
彼の「管弦楽のための変容」を聞くと、雅楽を積極的に自己の語法の中にとりいれていることがわかる。これは「左方の舞と右方の舞」(1941)でも聞くことができたが、それがかなり深化していることがわかる。部分的にはショスタコーヴィチなどの影響も聞くことができるし、フランス近代風の木管の扱いもなかなか上手いものだ。しかし、そうした表層のことでなく、ここには抜き差しならない自己との葛藤があるように思える。
芥川也寸志の指揮も素晴らしい。ただオケが今ひとつであるのは残念。
このCDには最初期の「古代の舞曲」(1937)や代表作となっている「左方の舞と右方の舞」(1942)も入っている。これらの音楽は、音楽評論家たちからぼろくそにけなされたものばかりだ。今ならなんと言うのだろう・・・。ちょっと聞いてみたいと思うのは意地悪なのかもしれない。

早坂文雄 管弦楽選集-1_fontec_FOCD3244
by Schweizer_Musik | 2006-01-28 07:57 | CD試聴記
モーツァルト・イヤー!
モーツァルトが生誕250年である。今日がその誕生日だと言う。
それもあってか、モーツァルトがブームなのだそうだ。前の没後200年の時にフィリップスの大全集を買っているので、もう今となっては欲しいものもない。ユニバーサルのような大レーベルが古い録音を集めて全集とか称して出している体たらくであるからして、あの会社はもう音楽文化とほとんど無縁の過去の遺産を食いつぶしているだけの会社に成り下がってしまったようだ。
アニヴァーサリー・イヤーだということをユニバーサルは知らなかったに違いない。あれほどの名手を擁しているレーベルをたくさん傘下に持つ会社が、古いカラヤンやカール・ベームの録音をまとめてモーツァルト大全集ですとやるとは・・・。世も末である。

そんな、時代を読めない、また時代を作れない、現代のガリバーなんて相手にしていてはならない。
私は、今、スカパー!でジェルメッティの指揮するモーツァルトの40番を聞いているのだが、その素晴らしいことと言ったら!!これらの演奏がテレビで放映される時代に生きていることを心から感謝せずにはいられない思いである。
その前、今日、私が学校に行っていた間に留守録していたガーディナーの指揮する大ミサ曲とレクイエムを聴いていたのだが、こうした演奏がテレビで放映される時代なのだ。古い歴史的名盤をいつでも聞けるようにしておいてほしいとは思うが、これらをまとめる程度の企画しかできないレーベルにはもはや明日は無いのだろう。

ディヴィッド・ジンマンとトーンハレ管によるモーツァルトのシンフォニーの全集やら、ガーディナーのシンフォニー全集。あるいはツィメルマンなどによるソナタ全集や協奏曲はどうだろう!こんな企画なんて無理なのだろうか?

モーツァルト・イヤーの今年に向けて、どれほどの準備をしていたのか、こうしたレーベルは試されているのだ。
by Schweizer_Musik | 2006-01-27 23:32 | 日々の出来事
やれやれ・・・
ようやくパート譜の印刷が終わった。
時間をかけたので、勘定すればマクドナルドの時給よりも安くなりそうだ・・・。とは言え自分が教えている学生達のコンサートで使われるとのこと。仕方ないと思う。

不思議な話もあるものだが、五十才を過ぎたおっさんが若い女性十人以上と一緒に暮らしていることを一日報道している。
面白そうだということで、レベルの低いというか、視聴率が欲しいのか、報道番組がやたらとそればかりやっている。好きでやっているのだから、ほっておけば良いと思う。わけのわからない「専門家」が出てきて、わかったようなことを述べ立てているが、ああ、アホらしい・・・。
警察のリークらしい怪しげな話が出て来る。「催眠術の本があった」とか・・・。目撃者だとか・・・。体験者の話とか・・・。
別にこんなことに注意をするよりも、もっと議論しなくてはならない話があるじゃないか!!マスコミの水準の低さ!
私は、この怪しげなおっさんの味方をしようとも思わないけれど、これに注目している間に、国会で耐震偽装の話やら、ライブドアの話が進展しているのだ・・・。誰が被害者なのかわからないが、集団生活をしている人達はそれで幸せならば良いじゃないかと思う。自分の倫理観とかけ離れているが、だからと言って、私の倫理観を押しつけようとは思わない。
あの白装束の集団にしても、人畜無害なのに、あれほど大騒ぎをして、一体どうなっているのだろうと思った。騒ぐだけ騒いで、結局飽きたら放りっぱなしなのはマスコミの酷さだ・・・。
昔の「イエスの箱船」だってそうだった・・・。常識人として振る舞うワイドショーのコメンテーターには更に辟易とする。「あの女性たちにも家族がいるのだ・・・」なんて気の抜けた昭和一桁のおっさんの常識話は、かなり疲れる。
by Schweizer_Musik | 2006-01-26 18:07
授業の記録・・・
授業の日。今日はちょっとしたトラブルがあって、音だしの授業が出来ずにあわてた。
現代音楽の授業では、武満徹の「地平線上のドーリア」を取り上げた。先週は矢代秋雄のピアノ協奏曲の分析を行い、ついでに武満徹の「ガーデン・レイン」をとりあげたので、その続きである。
私の考えでの地平線上のドーリアの解釈で勘弁してもらうしかないので、ちょっと恥ずかしいのだが、私はあれを雅楽の弦楽合奏版であると考えている。弦楽の特殊奏法はほとんど使わず、ポンティチェロやタストなどが使われているに過ぎないのだが、ハーモニクスの多用と、ピチカートなどのアタックと減衰の組み合わせが独特というか、大変ユニークであること。また拍子感の喪失と、沈黙(ゲネラル・パウゼ)の多用が独特の「間」を感じさせる点が私にはとても面白いと思えるし、雅楽と共通する何かがあるように思えるのだ。
使った演奏は、古いLPをデータ化したもので、若杉弘指揮読売日本交響楽団。大分古い録音であるが、とても良い演奏だ。小澤征爾などいくつかの録音があるが、私はこれ以上の録音はないと思う。寡黙な音の隙間から「歌」を感じるのはこの演奏だけである。
それはともかく、来週は間宮芳生のセレナードかヴァイオリン協奏曲を取り上げる予定。
by Schweizer_Musik | 2006-01-26 03:46 | 授業のための覚え書き
悲しいこと・・・
ライブドアの堀江氏がとうとう検察に捕まった。案外早い時期での逮捕に私も意外に思ったが、我が家はその時、かわいいムクちゃんが死んで大騒ぎで、そんなことを言っている暇もなかったのが実情で、あとから考えてそう思ったに過ぎない。
逮捕がショックだったということはないが、彼を信奉するという人が意外と多いのに驚かされている。朝令暮改も彼ほどの人物となると全く動じる様子もないのに、彼の言動を良いと思う人が多いのは、知識人ぶったり、エラソーな顔して威張る年寄りのせいかも知れない。
彼は三十三才だそうだ。側近と呼ばれる(同時期に逮捕された)幹部たちも一様に三十代が多い。私より十才以上若い人達ばかりだ。だから、大学生や就職氷河期を生きてきた世代に彼らのような「勝ち組」は憧れの対象となりやすいのかも知れない。
ようやく彼は退場となった。あのわけのわからない、客を客とも思っていないライブドアなる会社も退場してもらおう。乙部某とかいう何の芸もない女の顔も、ようやくブラウン管から消えるのだろう。私は遅すぎたと思っているが・・・。

しかし、ようやくアレンジが終わった。パート譜の制作にかかるが、300小節を過ぎるアンサンブルのパート譜だと、一日かかってしまうので、これは明日にすることにした。とりあえず楽譜をもらってから一週間でアレンジをあげることはできたが、手書きならとっくの昔に終わっている話だ。コンピューターでアレンジをし、五線に書かなくなってしまったおかげで、こんなに時間がかかるようになった。まぁ、そのために管理が簡単にもなったので文句は言えない。
出かけたり、騒動があったりで、なかなか落ち着かない一日だった。ライブドア云々よりも、チンチラのムクが亡くなったことの方がずっと私にとっては重要だ。コーダの最後から3ページの所で彼が亡くなったのだ。夜、一人で仕事をしている私をずっと見ていてくれたのは彼だけだった。時々バタバタして「自分を見て」と要求するムクが今もそこに居るような気持ちになる。悲しい一日であった・・・。
by Schweizer_Musik | 2006-01-24 21:43 | 日々の出来事
チンチラのムクが亡くなった
我が家のペットであったチンチラのムクが亡くなった。さっきぐったりしているのを発見し、今病院に連れて行ったのだが、残念ながら永眠。
娘も妻も涙・涙・涙である・・・。
三年あまり一緒にいたら、家族同然になっていただけに、ああとても悲しい。
明日は野辺の送りとなりそうだ。3年間の家族の笑顔をありがとう!!
by Schweizer_Musik | 2006-01-23 20:45 | 日々の出来事
テンシュテットの千人の交響曲、ライブ・・・凄い!!
スカパー!に入っていて良かったと思った。テンシュテットの千人の交響曲のライブを見ることができたのだから・・・。これが商品になっているのかどうかは知らない。でもなんという凄い演奏なのだ!!私の永久保存盤が増えてしまった。感動!!
これを聞いていたら、マーラーは生涯の締めくくりにこれを持ってくるつもりだったのではないかと思えてくる。明らかにベートーヴェンの第9あるいはミサ・ソレムニスを意識したこの作品。マーラーの大編成と声楽の扱いの見事さをどれだけうまく交通整理するかが問題なのだが、それだけなら有象無象の平凡な出来に終始していただろう。テンシュテットの指揮によって、バーンスタインの映像以来、最も感動的で普遍的なマーラーが描き出されたと言えよう。
夕食後、これを見ていて、ちょっと感動してしまった・・・。絶賛するしかない!!
by Schweizer_Musik | 2006-01-23 01:00 | 日々の出来事
雪・・・
c0042908_10163083.jpg寒い!カーテンを開けると雪景色・・・。豪雪に大変な被害を受けている方には申し訳ないことだが、少しの(適量の)雪は本当に美しい。アレンジを頼まれてちっと原稿書きから離れているが、気になって仕方がない。
by Schweizer_Musik | 2006-01-21 10:17 | 日々の出来事
ライブドアについて
ライブドアのおかげで、バブルに水が差された感があるが、全く良い話だ。虚業で大もうけして、地道に物を作っている人たちが苦しむことが正しいこととは思えなかったからだ。昨年からずっといい加減にしてくれと思っていたライブドアの露出は、やっと終わるのだろうか?
美人かどうかはそれぞれの人の主観であるから、コメントするような話ではないにしても、広報の担当の女性社員をタレントのようにバラエティーに出して、喜ぶ姿は、近年の軽佻浮薄の風潮の象徴のように思える。
ブログで、最初私はライブドアの方でブログを作っていたが、早々で止めた。掲示板も含め私のネット上の色々な部分が、この数年ライブドアに買収されていったのだが、ライブドアになるといきなりサービスが低下するのに、嫌気がさしたからだ。
昨年の夏頃には、ライブドア系からの所謂エログのTB攻撃にも随分迷惑をしたが、こうした仕事の脇の甘さの反面、何故こんないい加減な仕事をする会社がこんなにもうかっているのだろうと、不思議でならなかったものだ。選挙に出るなど、かなりお調子者だなぁとも思っていたが、おごれる者久しからずである。ライブドア関連の自殺者まで出てきている。自殺なんて卑怯者だと思う。死者にむち打つようなことはしたくないが、死ぬことで何の責任も果たせないではないか。

昔、私と一緒に仕事をしていた作曲家が自殺したことがある。そう親しい間柄でもなかったが、ヤマハが方針転換をし、高度な音楽力を必要とせず、安直な歌作りに軸を移していく中で、彼は次第に居場所を失っていったようだ。その歌のコンサートのリハーサルをしている時に彼は亡くなったのだと知らされた。
九州では知られた作曲家であったが、それをヤマハは「遺族の希望」ということで隠しまくった。監督する立場の人間を守る側に立ったのだろう。私が掲示板で追悼の文を載せたら、「削除してください」とのメールが来たものだ。
私は、色々なつながりがあったので、その時は削除したが、当時のヤマハの講師たちは九州でJOCの仕事をしていた彼の死を病死だと信じていた。敢えてそのことを言ってまわる必要もないので、そのままにしているが、私は彼が生きていてくれればとつくづく思う。

ライブドアの事件については、きちんとした捜査をし、罪を犯した者たちの全て摘発し、反社会的なことをやったらどういうことになるのかを社会に示すことを検察には期待したい。

それにしても今や新しい名詞として仕えるようになった「姉歯」以来思うことは、会社として悪事を大がかりに行う輩が増えたということである。「カネボウ」の粉飾決算などかわいいものに見えてくるほどの今回のライブドア事件。対岸の火事としては面白いものだ(笑)。
by Schweizer_Musik | 2006-01-19 11:54 | 日々の出来事