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著作権20年延長はどうなったの?
著作権の保護期間20年延長はどうなったのだろうか?
「文化芸術の担い手である創作者の権利を保護し、新たな創造を促進すべきである。」
というのが、お役人様の言っていることらしいが、死後70年経ってまで保護されている作品て一体何なのだろう?死んでから70年経っても保護されるのだから、子孫に一財産残せたら、なんて馬鹿なことを考えてはいけない。今日演奏されるもので、著作権が生きているものは数少ない。ラヴェルやホルストといった人気作品も、著作権が切れてから爆発的に世の中に広まった。
ちなみに、平原綾香の「ジュピター」の原曲はホルストの「惑星」であるが、著作権の20年延長が実施されたら、あの作品は市場から消えることになる。なぜなら、ホルストは自作品の改変を一切認めていないからだ。
音楽の著作権が70年に延長されると「創作者ががんばって作品を書きたくなる」と言うのだろうか?私の作品が、もし70年経っても売れていたなんてことがあったら嬉しいとは思うが、それに使用料が私の子孫に入っているということが嬉しいなんて全く思わないだろう。
「文化芸術の担い手である創作者の権利を保護し、新たな創造を促進すべきである。」
ということばを変えて、「文化芸術の担い手である創作者に寄生する業者や著作権協会を保護し、新たな創造を阻害することである」とすると分かりやすい。
「古い、音楽でわずかなお金を儲けて、新しいものを作らせる機会を失わせること」がこの法案の基本理念であるらしいのだ。

創作に関わらない人にしたら、作った人の権利を守ってあげたら良いと思うだろう。しかし、死後70年も経って、ほとんど再販される可能性のないものに更に規制を加えることで、それらを享受する機会は極めて少ないものになるのは間違いないだろう。
考えて欲しい。ホルストの「惑星」やラヴェルの作品の出版も10年ほど更に延長されるのだ。リヒャルト・シュトラウスも20年近く延長されてしまう。それによってそれらの音楽を聞く機会は、確実に減る。それが文化政策なのだろうか。そしてそれによって彼らの遺族(その作曲者本人を知る直系の遺族はかなり少ないはずなのに・・・)そこにわずかなお金が入るとともに、著作権協会は著作権切れで自由に使われていたものからまた徴収をして、儲けるわけだ。
著作権と言っても、文化庁に書類の束となって管理されているに過ぎないため、著作権協会は誤って請求して返さないなんていうことを、結構やっているにもかかわらずである。

こんな法案が作られるお役所だからPSEなんていう世紀のお馬鹿をやってしまうわけだ。(省庁は違うが)
著作隣接権も延長されるのだろうか。演奏した翌年から起算して50年も保護されているのだ。今では1955年以前の録音は自由にやりとりができるのだが、それらが共有化されてアーカイブとして自由に聞けるようになって良いはずではないか?
私はそう考えるのですが、みなさんどうですか?
by Schweizer_Musik | 2006-03-29 12:30 | 音楽時事
間宮芳生作品集 井上道義指揮 *****(特薦)
間宮芳生の作品集を買った。二ヶ月待って、ようやくアマゾンから送って来た。昔レコードで持っていた合唱のためのコンポジションが4番だけだが入っていて、もの凄く嬉しかった。録音もライブながらなかなか良いし、演奏も大変美しい。この水準で児童合唱が聞けると、納得である。
小泉文夫氏のわらべうた研究から生み出された二十世紀屈指の名作だからだ。子供のわらべうただと馬鹿にすることなかれ!その感動の質はベラ・バルトークの一級の名作にも劣らない。わらべうたは生きている。そのことを痛感させられるが、90年代以降、完全に絶滅危惧種に入ってしまっている。何故か?子供達が空き地で缶蹴りしたりして遊ぶという環境が急速に失われていったことにある。危険だから・・・遊ばなくなったのか、パソコンでゲームをやるから・・・あるいは塾に行かなきゃ。
しかし、そういったアナログな子供の世界は急速に失われ、こうした音楽が生まれる環境は急速に失われつつあることだけは確実なようだ。私はフィールド・ワークでこうしたわらべうたの採取をしているわけではないので、ただの想像でしかないが。
しかし、この1963年に書かれたという合唱のためのコンポジション第4番のバイタリティあふれる「歌」に、ただひたすら感動する。オーケストレーションは完璧だし、井上道義指揮東京都交響楽団と東京放送児童合唱団の演奏も非の打ち所のない出来である。
あと、ピアノ協奏曲第2番と管弦楽のためのタブロー85が演奏されているが、岡田博美のピアノがあまり冴えないのはどうしてだかわからないが(これなら作曲者自身のピアノの方が良い。何しろ間宮芳生氏はピアノの名手だと思う)オケはなかなかの出来である。
間宮芳生は私の大学時代のアイドルであった。あのような作品を書くことがひとつの理想と思っていた。その彼の音楽に二十年以上を隔てて再び幸福な出会いを果たすことが出来た。素晴らしいことだ!!

日本の民族主義的な音楽は早坂文推や伊福部昭などの初期の段階から、間宮芳生で一つの頂点に達したと私は考えている。その作品がヴァイオリン協奏曲から合唱のためのコンポジション、そして2つのタブローなどである。1970年代に入り、1971年のソプラノのヴォカリーズとピアノ五重奏のために書かれたセレナーデや9人の奏者のための協奏曲などで、新しい民族主義的作風から前衛的な音の構築性へと関心は移っても、彼の音楽の軸は全くぶれていない。1974年だったから書かれた管弦楽のためのセレナードではドラム・セットやジャズのイデオムを取り入れながらも、独特の間宮ワールドを保っていた。
そんな彼の1970年代を代表するピアノ協奏曲での岡田氏のピアノは今ひとつの出来であるが、オケの素晴らしい出来に十分満足すべきだろう。80年代の管弦楽のためのタブロー(間宮芳生はこのタイトルで50年代に一曲、60年代にも一曲書いているので、都合3曲目のタブローということになる)は、1985年に書かれた作品で、このCDの中では最も新しいものであるが、オケの曲なのにかけ声が入る。バーンスタインのウェストサイドなどに例がないわけではないが、間宮芳生がやると祭りのような活気と楽しさがある。
これは、現代音楽に関心のあまりない人にも薦められる。この素晴らしい音楽を聞くことのできる最後のチャンスかもしれない。買っておかれることを強くお勧めしたい。

間宮芳生作品集_fontec_FOCD3306
by Schweizer_Musik | 2006-03-28 22:41 | CD試聴記
フルトヴェングラーの第2交響曲について
フルトヴェングラーの第2交響曲についてyurikamomeさんがいつものように書いておられたので、コメントしようと書き始めたら、長くなったのでエントリーします。

演奏家で作曲もするという人は多いですが、マーラーなんて典型でしょうね。今では本職が作曲と思っている人も多いようですが、彼はウィーン国立歌劇場の音楽監督からニューヨーク・フィルの音楽監督へとなった当時のトップ・スターであり、典型的日曜作曲家でした。その弟子、ワルターも結構沢山曲を残していて、ピアノ・トリオだとか、ヴァイオリン・ソナタなんて聞いたことがあります。ケンプも・・・。でもなんというか、私にはつまらないものでした。しかし、ワルターやケンプに比べれば、バーンスタインなんて作曲家としても成功した演奏家でしたね。彼のシリアスな作品もなかなかに面白い作品が多いですが、やはり大ヒットしたミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」を無視することはできないでしょう。
しかし、それなら、アンドレ・プレヴィンも私はあげたくなります。彼は指揮者としてピアニストとして、そしてヴァイオリニストのアンネ=ゾフィー・ムターの夫でもあるのですが、もともとはハリウッドのミュージカルの作曲家、編曲家として活躍していました。「マイ・フェア・レディ」は彼の仕事でした(編曲と指揮で)。またジャズ・ピアニストとしても超一流で、1950年代にコンテンポラリー・レーベルにウェスト・サイド・ストーリーやマイ・フェア・レディをピアノ・トリオで入れていますが、歴史的名盤として有名です。
まぁ、ですから彼がロンドン交響楽団の指揮者に迎えられた時は、ポピュラーの作曲家がクラシックのオケを振れるものかと、随分反対意見があったそうですよ。

そうした日曜作曲家の中で、私は才人マルケヴィッチを今は最も高く評価しているのですが、マルコポーロ・レーベルでいくつかリリースされているとはいえ、なかなかマイナー作曲家から抜け出せない状況です。彼の音楽は実に洒落た作風で、もっとリリースされないものかと思います。
ところで、クーベリックも引退する時は作曲する時間を作りたいというのだったような気がしますが、彼の協奏曲なんて聞いたことがありますが、結構充実さた作品でした。マルティノンの「至高」という交響曲第4番は最近タワー・レコードの企画で復活していますから、比較的簡単に聞くことができますが、結構面白いものです。

大指揮者のアンセルメは、ブロッホの弟子でしたから作曲をしていますが、作品はともかく、彼がアレンジしたドビュッシーの「六つの古代碑銘」のオーケストレーションは見事でした。デュランから出版されていますが、面白いことにアンセルメはこの曲の録音をステレオで残していないようです。実際に中々音を聞くことが出来なかったのですが、アルミン・ジョルダン指揮バーゼル交響楽団の演奏で聞くことができるようになったのはありがたかったです。
シュナーベルやシェルヘン、あるいはマタチッチあたりは、問題意識も強く、私を大いに刺激してくれます。
ムラヴィンスキーも小品ですがピアノ曲が何年か前にCDが出ましたが、「ふーん」という感じでした。
で、話題のフルトヴェングラーも「作曲もする指揮者」であり、ピアノと管弦楽のための交響協奏曲とこの第2番の交響曲が最も成功したものです。
聞いてみると・・・うーん・・・評価が難しいですねぇ。スイスに亡命して体調を崩し、サナトリウムに入っていた時に書いたのがこの交響曲ですが、戦犯容疑をかけられ、全ての音楽活動を禁止され、友人からの援助を受けて生活するという苦しい時代の音楽だけに、明るい音楽とはならなかったようです。息が詰まるような暗さがこの音楽ですが、確かにブルックナーなんかの影響は認められますが、救いがないのがこの音楽の特徴ではないかと思います。ショスタコーヴィチならずっと洒落た音使いやスペクタクルな表現で随分聞きやすくなっているのに、フルトヴェングラーはそうした効果に全く興味がなさそうで、厳しすぎるみたいです。

フルトヴェングラー作曲、交響曲第2番
by Schweizer_Musik | 2006-03-27 13:13 | 原稿書きの合間に
春にちなんだ音楽を聞いてみよう
世はすでに春だ。暖かくなってきた。杉花粉も終わりに近づいたようで、私も今日出かけてもそう反応しなかった。しかし、いつもは五月くらいまで続くので用心しなくては・・・。
夕刻、ちょっと買い物に出かけたが、近くの自動車教習所の桜が五分咲きといったところだった。岳父たちは花見に行ったそうだ。なかなか良い季節到来である。
女房は遅くなりそうだったので、回鍋肉を作った。豆板醤を入れすぎたのか、少し辛かったが家族にも好評であった。春キャベツはまだ高いので半分だけ使って作ったのだが、私としては近年稀に見る傑作となった(笑)。

バックスの交響曲「春の炎」という曲を聞く。1913年の作品ということなのでバックスの初期の作品ということが言えそうだ。地味で暗いというか、重い感じの作品が多いバックスだが、この「春の炎」は5楽章制で、各楽章にタイトルがある点で、連作交響詩のような作品となっている。7曲あるバックスの交響曲とは別に番号がつけられていないのもちょっと異端児ぼくて、私の好みに合っている。第1番の交響曲が書かれるのが、1922年だから、その十年近く前の若書きの作品と言えるのだが、それ故の勢いのようなものが作品にみなぎっているようで、これまた私の好みとなる。
更に、卓越したオーケストレーションも魅力だ。ハンドリーの指揮がもう少しデリカシーに富むものだったらと思うが・・・。(Chandos/CHAN 8464)
第1楽章が「夜明けの前の森林」と題され、鳥の声と弦の霧のような響きが印象に残る。続く第2楽章「夜明けと日の出」では、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」のような目も覚めるような才気はないが、グリーグのペール・ギュントの「朝」なんかよりもずっと雰囲気があると思うし、後半の次第に明るくなっていくところは素晴らしい!第3楽章は「日中」となるが、アタッカで続いて明るくなった世界で、春の息吹が爆発する。第2楽章から第3楽章にかけてのスペクタクルな表現は、バックスの見事なオーケストレーションの力によるものだ。
第4楽章の「ロマンス - 森林の愛」で、後のバックスの音楽様式がこの作品ですでに確立していたことを確認することができる。長いフレーズをたっぷり聞かせるそれは、フランス近代のドビュッシーなどの影響を強く受けて育っていったことを如実に物語っている。
だから、第5楽章の「マイナス・バッケー(酒神の供の女たち)」でのモードの使い方などでもそれを聞き取ることができる。
私の持っているCDはヴァーノン・ハンドリー指揮ロイヤル・フィルのもので、1987年頃に買ったもので、今もこの作品が聞けるのかは知らないが、機会があればぜひお勧めしたい。

もう一曲、大好きな作曲家であるプーランクの先生であったケックランの「春に駆ける」Op.95なんていうのも聞く。極めて多作であったケックランは、名教師として知られただけあって、ピッコロ、フルート、アルト・フルートと一曲で三種類のフルートを使う曲を書いていたり(明らかに説明のために書いたと思われる)して、私も彼の真似をしているに過ぎないのだが、そのケックランの「春に駆ける」は、バックスの作品の十年あまり後に発表された作品であるが、バックスの曲に偶然にせよちょっと似た構造を持っていて面白い。もちろんケックランの方がずっと現代的だが。
ディヴィッド・ジンマン指揮ベルリン放送交響楽団で聞いている。(RCA/BVCC-8861〜62)
もちろん廃盤なので、これは手に入りにくいかもしれないが・・・、バックスよりも聞くチャンスは多いだろう。

もう一曲。簡単に手に入る一曲をあげておこう。
ディーリアスの「小管弦楽のための2つの小品の第一曲「春はじめての郭公を聞いて」はいかがだろう。まさに今の季節にピッタリだと思う。弦が穏やかに漂う春の風のように流れ、その上に優しいメロディーがゆるやかに歌われる。
しかし、デリケートに歌おうとしすぎて音楽のエネルギーというか、生気のない演奏も多く、意外に満足のいく演奏が少ないのだが、私は古いバルビローリの演奏(TEICHIKU/25CT-3)をこよなく愛好している。CDは廃盤であるが、この演奏(1955年6月21日録音)の演奏は他からも出ていたはずだ。
しかし、この曲について書いたならば、もう一曲どうしても触れておきたくなった。それは
同じ作曲家の「北国のスケッチ 」という作品で、1913年に書かれた4楽章からなる大作で、その終楽章が「春の訪れ - 森の牧場と静かな荒野」とタイトルがつけられた、実に美しい音楽なのだ。私はチャールス・グローヴス指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(EMI/TOCE-6413)で聞いているが、LPでも持っていたもので、愛聴盤の一つでもある。
by Schweizer_Musik | 2006-03-25 21:01 | CD試聴記
今日はサックス・オケの本番
先日、アレンジしたレハールの「金と銀」とプッチーニの「誰も寝てはならぬ」の本番が今日あった。久しぶりに出かけてそれを聞いた。満足のいく出来であった。サックス・オーケストラがこんなに良い音になるとは思っていなかっただけに、うれしい誤算だった。ただ、演奏が終わって、ステージにあげられ、花束をもらうなどとは思っていなかっただけに、ちょっと驚いてしまったが、色んな人から「良かった」と言ってもらえて嬉しかった。学校で神妙な顔をして授業を受けている彼ら、彼女らとは違う引き締まった表情に、頼もしさも感じた。ともかく、充実した午後であった。
夜、帰ってきてちょっと誇らしい気持ちで花を家族にわたしたのだが、わが女房殿も娘も無視。ちょっと悲しい。
by Schweizer_Musik | 2006-03-25 00:40 | 日々の出来事
黛 敏郎/交響詩「立山」(1973) *** (注目)
黛敏郎氏の交響詩「立山」を聞く。タワー・レコードの企画であるが、良いシリーズで私はいくつか買ってあったのだが、なかなか聞く時間もないままになっていた。
「立山」はもともとが映像と連携しての音楽だっただけあって、あまり「現代音楽」らしい「難解さ」は避けている。オーケストレーションはフランス近代の例えばイベールの初期の作品などに近いものを感じさせるが、スペクタクルな内容で、私には派手なジョン・ウィリアムズなどよりもずっと好ましい。(ちなみに私は彼の分厚く音を重ねていく書き方はあまり好きでない。但しこれは個人的な趣味の問題であって、良い悪いの話ではない。)
黛のオーケストレーションはジョン・ウィリアムズなどよりももっと端的で効果的だと思う。楽器のそれぞれの響きを生かしたオーケストレーションだと思う。
モードを使った調性的な書き方が、師である伊福部昭の遺伝子を感じさせるところでもある。しかし大変に洗練されたスタイルの作品であり、リヒャルト・シュトラウスばりのオーケストレーションでスペクタクルでスケールの大きい表現が成されている。彼のアカデミー音楽賞候補となったハリウッド映画の「天地創造」の音楽を思い出されたい。
映像とのコラボレーションから出来ている音楽だけあって、音だけではちょっとつらいものもある。聞きやすい音楽でなかなかにスケールも大きく、もっと聞かれるべき音楽だとは思うが、音だけでは若干冗長に感じられなくもない。一言で言えば、繰り返しが多く、ゼクエンツを使いすぎているように思う。70年代の音楽としては若干異質というか違和感を感じるが、立山アルペンルートが全線開通した1971年に富山県から映画監督の松山善三と黛敏郎に委嘱された映像と音楽が一体となった作品として同年、富山市で初演されたものだそうで、1980年にこの録音がレコードでリリースされた時にはちょっと話題となったことを憶えている。私は大学を卒業する年だった。
第1部「大地」、第2部「祈り」、第3部「道」と題された30分あまりの大作であるが、これだけでCD一枚というのは、ちょっともったいない気もしないではない。
作曲者自身の指揮による東京交響楽団の演奏は大変立派なもので、作曲者の指揮の技術が卓越していたことがわかる。(と言ってもそれほど指揮が難しい曲でもなさそうなので・・・)
このCDはタワー・レコードのHPで買うことができる。まだ在庫があるようだ。とは言えこのCDがいつまでも売られているとは思えないので、欲しい人はお早めに・・・。

TOWER-RECORDS_TWCL-1025
by Schweizer_Musik | 2006-03-22 22:50 | CD試聴記
ジュネーヴ放送交響楽団とはどんな団体なのだろう?
コンサートホール・ソサエティは今でもやっているのだろうか?
十年以上前に案内を見たことがあるが、よく似たのでソニーのファミリー・クラブなどがあるようだ。他にもいくつか見たことがあるし、スカパー!のCMで古い歌謡曲やフォーク・ソングなどがよくセットで売っていたりもするので、それなりに需要があるのだろう。
今日、ヤフーのオークションで手に入れたCDが届いたが、それが懐かしのコンサートホール・ソサエティであった。何を買ったのかと言えば、リヴォリ指揮ジュネーヴ放送交響楽団の演奏でロッシーニの序曲集。
リヴォリはコンサートホール・ソサエティでは他にクラウスがピアノ独奏をしたモーツァルトの「戴冠式」の共演もしていたが、私はただ単にジュネーヴという名前に興味を持ったに過ぎない。
果たして、ジュネーヴの放送局と言えば、スイス・ロマンドだと思うのだが、スイス・ロマンドはスイス・ロマンド管弦楽団とローザンヌ室内管弦楽団を持っている。ではこのジュネーヴ放送交響楽団とは一体どういう団体なのか。
ジュネーヴのオーケストラとして私が把握しているのは、スイス・ロマンド管弦楽団、ジュネーヴ交響楽団、オルケストレ・ド・ランシー=ジュネーヴ、ジュネーヴ室内管弦楽団、サン・ピエール・フステリエ管弦楽団などがある。またフランスのオケらしいジュネーヴ・エランス・E.V.O.E管弦楽団も知っている(一枚だけCDを持っている)が、ジュネーヴ放送交響楽団はない。
果たしてどんなオケだろうと、CDのライナーを読んでも一言も触れていない。リヴォリについては記載があったので、ちょっと有り難かったが・・・。
スイス・ロマンド管弦楽団もジュネーヴの歌劇場で演奏する時はジュネーヴ大劇場管弦楽団となるわけで(彼らは放送オケ、通常の定期演奏会の他に、歌劇場のオケも兼ねているのだ!)ひょっとすると契約の関係でスイス・ロマンド管弦楽団が別名で出ていることも考えられないこともないのだが、しかしあまりに下手くそなので、多分そんなこともなさそうだ。
ジュネーヴ放送交響楽団。未だ実体は不明。
by Schweizer_Musik | 2006-03-22 22:07 | CD試聴記
ブルックナーとシベリウス
このところ体調が安定しない。困ったことだ。何のこともなく一日寝てしまい、今、ようやく起きたところ。お昼は食べたけれど、その他はずっと寝てしまった。
ごそごそスコアを出して眺めていて、思い出したことがある。シベリウスというソフトが立ち上がると響き渡る(何しろでかいのでビックリする)音楽がシベリウスの交響曲第7番ということで、気になってそのスコアが置いてあったので、そのページをめくって、昔、ブルックナーの交響曲第3番について書いていて、どうしても思い出せなかったのがこの曲だったことに思い至り、長年の疑問が一気に解消した次第。
ブルックナーの第3の問題のシーンはこれ。
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単純なユニゾンなのだが、バスが半拍遅れて、オルガンのようなサウンドをだそうとしたようだ。それとそっくりなのがこのシベリウスの第7交響曲の冒頭。その部分もあげておく。
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ブルックナーはクライマックス、シベリウスは音楽の冒頭でやっている。果たしてシベリウスはブルックナーを参考にしたのかどうか、わからないけれど、30年ほどの時を経ての話である。
この作品、ブルックナーの交響曲の中でもあまり人気がないのは、あまりに多くの版が作られてしまい、音楽の実像がわかりにくくなってしまったからかも知れない。しかしシベリウスとブルックナー、何となく似たキャラクターを感じている人もいるのではないだろうか?
by Schweizer_Musik | 2006-03-22 19:02 | 原稿書きの合間に
日航機のニアミスについて
新聞で、2001年の日航機のニアミス事故で、誤った指示を出してしまった管制官に無罪の判決が出た。大変適切な判決だとその記事を読みながら思った次第である。
日本人は、事故原因を人的ミスに求める傾向がある。今回もミスをした管制官がその標的となった格好だった。確かに間違った指示を出してしまった彼は間違いを犯してしまったのだが、考えれば人間は間違いを犯すものなのだ。
私は専門家でもないので、個人的な感想を書かせて頂くと、事故は複合的であるように私には思える。
ニアミスを起こした二人の機長の対応では、一方は飛行機のRA(空中衝突防止警報装置)の指示に従い、もう一方は管制官の指示に従った。この為に事故が起こり、100名ほどの重軽傷者が出てしまったのだ。
管制官の指示に従わなかった機長は、RAの指示に従うと失速すると考えたそうで、これまた機長が実際に操縦している機体の性能を正確に理解していなかったことも原因として指摘されている。だからと言って、これは不起訴となっている。情報伝達に問題があったとはいえ、十分にそうした情報が伝えられていなかったことを罪に問うのは不可能だったということなのだろう。当たり前だ。
「責任者出てこい」式の解決方法では、何一つ問題点は見えてこない。人間はミスを犯す生き物なのだ。だから、ミスを探せば問題点は簡単に出て来るだろうが、そんなことでは事故防止はできない。
事故を防止するには、ミスを犯す人間をカバーするシステムの構築なのだろう。
久しぶりに良い判決だと思った。事故防止のために教訓化されればいいのだが・・・。日航だからなぁ。無理かも知れない。
by Schweizer_Musik | 2006-03-21 09:04 | 日々の出来事
シベリウスがやって来た
楽譜作成ソフトのSibelius2が我が家にやって来て、ただいま試運転中。木五でもせっせと作ってみて、やり方を憶えることにしよう。
ソフトを立ち上げるとシベリウスが作曲した交響曲第7番の大体80小節ほど過ぎたあたり、私の大好きなザンデルリンクの演奏で5分45秒ほど過ぎたあたり(何しろあの作品の構成を分析していくと、頭がおかしくなってしまうほど難しい…)で出てきて、以後節目で使われるフレーズが鳴り響くのには驚く。音楽を作るというのに、他人の音楽がまず鳴り響くというのは、私には作った人のセンスを疑う。但し、中身は素晴らしいし、全く問題はないのだが。
しばらくは、原稿書きも含めて三つどもえで仕事をせねばならない。
しかし、楽譜作成ソフトで、何故シベリウスなのか?よく分からない。彼が作曲の筆を折る最後の作品である第7交響曲の一節をこのソフトに使っていることか連想すれば、彼が作らなかった音楽をお前が書けという意味なのかとも思うが、これはただの私の想像というか妄想なので、信じないように!
それにしても、一日の過ぎるのがなんと速いことか。年をとった証拠だろう。ついうんざりする。
(業務連絡です・・・N島君、メールを何度か出しているのですが、返事が来ないので、もうあきらめていたのですが、いきなりのプレゼントで喜んでいます。たまには返事を下さいね。色々ありがとう!!)

追記1
今使っていて、ヘルプを開けようとしたら、Acrobat Readerをディスクからインストールせよと出たので、やってみたが、何度やってもエラーがでる。おかしいなと思って見てみると、なんとAcrobat Reader5をインストールしようとしていた。古すぎる・・・。私のOSに入らないだけでなく、もうダウンロードのサービスはしていないのではないか。
ヤマハさん、しっかりしてよ!笑われるよ!

追記2
Acrobat Readerを入れた。実は、ただのReasderでなくて私はAcrobatそのものを入れているのにおかしいなと思っていたのだが、Acrobat Readerの最新バージョンを入れたが、ヘルプは使えない。新しいソフトには対応していないということで、ヘルプは使うなということなのか?
おいおい、これでは欠陥商品ではないか?どうなってるの?
もうすぐSibelius4がでるので、アップグレードすればいいでしょうということなのだろうか?ちょっと非道いじゃないの?
by Schweizer_Musik | 2006-03-20 23:56 | 日々の出来事